「かえるピョピョピョピョ・・・三ピョピョピョコ・・・。ねえ、お母さんこれって難しいね」
「そうだね。もっと頑張って言えるようになろうね」
という親子の会話を聞いた。勤務先の駐車場でのことだ。少年は四歳くらいで、お母さんは三十代後半か(ちなみに彼らはただそこを通り抜けていただけで、別に私の勤務先には何の関係もない)。そのような牧歌的な光景は――要するに今現在の私のデスパレート(絶望的)な状況と対を成して――私の心の奥の、どこかすごく柔らかい場所を刺激した。ふと田舎に住んでいた頃の記憶が蘇ってきた。私もまた四歳くらいで、覚えたての早口言葉を繰り返している。そして知らぬ間に、早口言葉の国に入り込んでしまったのだ。
どこまでも高く、青い空が広がる五月の日曜日だった。私は家の近くの田んぼ沿いの道を、一人で歩いていた。少し離れたところに母親がいた。私は「生麦、生米、生卵」と繰り返そうとしていた。「なまむぎ、なみゃごめ、なみゃたみゃご。なまむぎ、なみゃみょげ、なみゃたみゃご・・・。お母さん、これって難しいね」
でもふと背後を見るとそこには母親はいなかった。いたのはピーター・パイパーだった。
「やあ」と彼は爽やかな微笑みを見せて言った。三十代の半ばくらいだろうか。背がすごく高く見える(でもたぶんそれは私がまだ小さかったからだろう)。肌が透き通るように白く、腕にうっすらと産毛が生えていた。黒いスラックスに、白いポロシャツという姿だった。彼がどうして日本語を話せたのか、私には今思うととても謎なのだが・・・。
「ピーター・パイパーさん!」と私は驚いて言った。「すごく久しぶりだね! 前に会ったのはたしか・・・」
「君が生まれて二十分くらいの頃だ」と彼は当時を思い出して言った。「君の意識はまだ原初の混沌を彷徨っていた。そこで私が元気づけるために早口言葉をまくしたてていたのさ。例のやつをね。Peter Piper picked a peck of pickled peppers… そしたら看護師たちに追い出されたよ。君の母親は不思議そうな顔をしていたっけな」
「あれ? そういえばお母さんはどこに行ったんだろう?」
「お母さんはちょっと用事があって出ていくってさ。でも大丈夫。私がいるからね」
「でもさ、ピーター・パイパーさん。ぼくはあれからどれだけ考えても分からなかったんだけどね。結局酢漬けの唐辛子はどこにあったんだろう・・・」
と、そのとき、バスがガス爆発した。そう、バスガスバスパスしたのだ。いや、違った。ガスばくはつパス・・・。いや、違う。とにかくガラパゴスで、バスガス爆発したのだ。私はそれを第六感で感じ取った(実は私は当時は超能力者だった。ちなみに)。でもガラパゴスのバスなんて、パタゴニアのパパゴリラくらい興味がなかったから、とりあえずその感覚はパスしておいた。まあまたあとで考えればいいだろう。
「ねえピーター・パイパーさん。酢漬けの唐辛子はいいとして、ぼくは最近疑問に思っているんだ。一体どうして人間は生きなければならないんだろうってね?」
「それは、つまり?」
「つまりさ」とぼくは最近頭の中で思い巡らしていた疑問を彼にぶつけた。「ぼくは今こうして生きている。でも結局は死んじゃうわけじゃない。例外はないって本に書いてあった。もしかしたら将来医療が発達して、もっと長く生きられるかもしれない。でもぼくにはちょっと信じられないな。とにかくさ、ぼくもいずれはおじいちゃんになっちゃうんだよ。そしてきっと死ぬんだ。だとしたら、今こうして下らない早口言葉をまくしたてている意味って何なんだろう? どうしてピーターさんはそうして三十代半ばになってものうのうと生きていられるの? 馬鹿なの?」
「ハッハ。君も四年のうちにシニカルな哲学者になったってわけだ。きっと教育が悪かったんだな。その答えはね、実はこの辺に・・・」
でもそこでよく柿食う客が現れた。五十代くらいのおじさんで、中肉中背で、柿を食っていた。右手に甘柿、左手に渋柿。そして口の中に干し柿。よっぽど柿が好きなんだな。
「あ! よく柿食う客だ! お父さんがこの前文句を言っていたよ。一体いくつ柿があれば足りるのかって」
「いやあ、なんだか申し訳ないですね」と彼は頭を掻きながら言った。「でもこれはもう病気なんですよ。もうどこに行っても柿のことばっかり考えていてね。実は柿のディーラーをしているんです。でもこの間農家に様子を見に行ったときに、勝手に柿を食べているところを防犯カメラに撮られて、あえなく御用になりました。ハッハ。時代には勝てませんね」
「でも渋柿も持っていますね」とピーター・パイパーが言った。「それも食べるんですか?」
「もちろんです!」と彼は干し柿を呑み込んだあとで言った。「これはね、こうやって目に塗りつけるんですよ。そうすると渋みが全部抜けて・・・あとは・・・」
と、そこでよく客食う柿が現れた。よく客喰う柿は、よく柿食う客の天敵で、ソ連が開発したものだった。冷戦の終結に一役買ったらしい・・・とこの間インターネットで見た。とにかく、よく客食う柿の風貌は凶暴で、私はあやうくおしっこをちびってしまうところだった。でも寸前のところで我慢して、ピーター・パイパーの後ろに隠れた。
「悪い子はいねえがぁぁ」とよく客食う柿は言っていた。そしてピョンピョン飛び跳ねながら、よく柿食う客のあとを追っていった。
「悪い子なんていませんよ。ほら」と彼は両手を広げていった。何もない・・・ように見えるが、上着の内ポケットからポロリと甘柿が落ちてしまった。あとは昔書いたものすごく恥ずかしいラブレターも。
「あ! 柿だけでなく、あのものすごく恥ずかしいラブレターも落としてしまった。赤面! 赤面! これはこうしちゃいられないぞ。とっととずらからなければ!」
「悪い子はいねえがぁぁ」
彼らはあっという間に消えていった。なんだか不思議な日だな、と私は思っていた。こんなにたくさんの早口言葉たちに会うなんて。
「ねえピーターさん。それでさっきの答えは何なの?」
「答え? ああ、どうして君がいずれ死ぬのに生きなくちゃならないのか、という疑問に対する答えか。四歳にしてそんなことを考えているとは・・・。これはマザーグースのおかげかな。なにしろ生後二十分で私の呪文を聞かされたのだから・・・」
「何をぶつぶつ言っているの?」
「いや、なんでもないさ。とにかくだね、あれを見てみなよ」
すると竹藪が焼けていた。「たけやぶやけた」のだ。あれ? なんか主旨が変わっていないか?
「今に放火犯がやって来るぞ」とピーター・パイパーは言った。
たしかにその男はやって来た。細身の、黒づくめの男で、いかにも放火犯といった感じだった。「たけやぶやけた! たけやぶやけた!」と興奮したように叫んでいた。
すると! 突然道の向こうから、私がずっと会いたいと思っていた生麦事件がやって来た。武士の格好をして、刀を持っている。そして、ああ、放火犯に向けてその刀を抜いた!
「無礼者! 大名行列の前を通り過ぎるとは何事だ!」
「ああ生麦事件だ。こりゃまいった! どうかお助けを。生麦生米生卵! なまむぎなまごめなまたまご!」
「うん? おぬしなかなかやるな。さすが〈たけやぶやけた〉だけのことはある。ちょっとうちで一杯やらないか?」
「いやだね! だってアル中にはなりたくないからさ」
「なにを! 失礼な! 私はアル中ではない。毎日たくさんのお酒をたしなんでいるだけのことだ。両親の年金を使ってな。しかしここはどこなんだろう? 生麦ではないことだけはたしかだが・・・」
「ねえピーターさん。もしかしてあの中に何か人生を理解するヒントが隠されているとでもいうの?」
「その通りさ。私の結論はこうだ。日本人はクレイジーである」
「だから生きると?」
「そう」
「論理性が分からない」
「要するにさ。クレイジーさの中に何か真に生きるだけの熱量のようなものが含まれているってわけさ。それは意識に潜在するものなんだよ」
「あ! たんぼからカエルが飛び出してきた。最初は三匹で・・・もう三匹やって来た! これはまさに・・・。かえるピョコピョコ三ピョコピョコ。合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ! あ! 言えたぞ。ついに。もうあとのことはどうでもいいや。今すぐ死んだっていい! 神よ! 世界は美しい!」
「なんだか嫌に感激しているじゃないか」とピーター・パイパーは言った。「さて、私は帰るとするかな。カエルだけにね。Peter Piper picked a peck of pickled peppers…」
その日の夕飯には酢漬けの唐辛子が出た。私は我慢して食べてみたが、四歳の子供には刺激が強過ぎたようだ。その夜うなされて、変な夢を見た。生麦事件が、別の酔っぱらいと裸踊りをしている夢だった。そこにピーター・パイパーがやって来て、「クレイジー」と叫ぶ。すると放火犯が「たけやぶやけた! たけやぶやけた!」と繰り返す。半裸の空手家が「素手、痛いです。すで、いたいです」と叫んでいる(やはり主旨が変わっている)・・・。
そのあとのことはあまり覚えていない。私は自身が三十代の半ばになったが、いまだに生きる意味を見いだせずにいる。ためしに早口言葉をくちずさんでみれば、何か分かるのかもしれないが・・・。