果たして「ゴリラスムージー」とは何なのか? 僕にも正直よく分かりません。しかしこの曲を聴けば、なんとなくそのニュアンスのようなものは掴めるかもしれません。
新しい年がやって来たにもかかわらず、相変わらず僕はアルバイト生活です。日々走り、小説を書くか音楽を作るか(絵を描くか)して、サラダを食べて寝ます。夢にはさまざまなものが入り込んできます。とっくに忘れ去っていた、と思っていた要素を使って、彼らは一種の幻想的なイメージを送り込んできます。朝起きると僕の頭は、まるで豆乳バナナスムージーのようになっています。自分が豆乳なのか、それともバナナなのか、はたまたスムージーそのものなのか、さっぱり腑分けできない・・・。そんなことをしているうちに仕事に行く時間がやって来ます。
今日(2020年2月13日)はとても暖かくて、まるで春のような日和でした。考えてみれば、僕は昔から春が好きではありませんでした。きりっとした冬の空気の方がずっと好きだった(今思えばそれは、僕が十分に自由ではなかったことと関係があるのでしょう。学校に行かなくてはならなかったり、そのほかにもいろいろとやらなければならないことがあった・・・)。
そしてそれからずいぶん時間が経って、いまだに僕は不自由なままです。アルバイト、ということもあるのだけれど、それだけでなく、もっと有効に自分を表出できるのではないか、という思いが常にあります。そのためにはまとまった時間が必要だし、言うまでもなくその中で少しずつ成長していく必要があります。
ついさっきレイモンド・カーヴァーの短編を読み返していました。なんだかこの四年間の(あまりうまくいかなかった)経験を経てみると、彼の作品は身に染みます。もちろんまだまだひよっこではあるのだけれど、それでも前よりはちょっと感じ方が違ってきました。彼が書いているのは、ごく普通の人々のごく普通の感覚です。しかしその奥に、彼ら自身ですら見逃しているものがある。カーヴァーの鋭くも温かい目は、その瞬間を逃しません。その結果至る境地は基本的には似たようなものです。自分もまた彼らと同じ生身の人間なのだ、ということ。その触れ合いを、文章を通して僕はひしひしと感じ取ることができるのです。
小説にはおそらくさまざまな役割がありますが、少なくとも僕が書きたいのも似たようなものです。スタイルが違っていても、その方向性のようなものに、僕は心を惹かれるのです。中心にあるのは言葉にならないものです。登場人物の身になってみることで、僕らは身体的にその感覚を感じ取ります。それは彼らの強さであり、弱さです。同時に我々自身の強さであり、弱さでもあります。しかし結局のところやることに変わりはありません。少なくともどこかに進み続けること。生きている限りは。
むんちゃんおもしろいね,全部読んだよー
どうもSさん。お久しぶりです。まさかあなたに発見されるとは・・・。僕のことを「むんちゃん」と呼ぶ人はもはや周囲にはいません。あれからずいぶん長い歳月が経ったのですね・・・。読んでいただけて幸いです。ところであなたはちゃんと教師になったのでしょうか?
なったよー、時間あるとき会おうよー