啓示 1

「俺は今日の午後9時28分に死ぬ」と彼は言った。

 

彼はわざわざ僕の職場に電話をかけてきてそう言ったのだ。俺は今日の午後9時28分に死ぬ、と。僕が仕事中携帯の電源を切っているのを知っていて、わざわざ会社にまで電話をかけてきたのだ。

 

それについてどう反応すればいいのか僕には分からなかった。

 

「どうしてそれが分かるんだ?」と僕は受話器に向かって言った。

 

「さっき啓示を受けたんだ」と彼は言った。「ベッドの上で天井を見つめていたら、急にその考えが舞い降りてきた。そして俺の中に根を張ったんだ。深い根だ。そしてそれはまだ俺の中で息づいている。こんな感覚を得たのは初めてのことだ」

 

「それは確かなのか?」と僕は言った。そしてそう言いながら、上司が一体何の話をしているのか、と僕の方をちらちら見ているのに気付いた。あまり長話はできない。

 

「確かだ」と彼は言った。「それは地球が太陽のまわりを回っているのと同じくらい確かなことだ。そして今年のペナントレースで阪神タイガースが優勝しないのと同じくらい確かなことだ」

 

阪神の件は確実とは言えないような気がしたが――なにしろ選手たちは必死で頑張っているのだ――とにかく彼にとってその啓示は、それくらい確実なものだということだ。死がほぼ目前にまで迫っているのだ。

 

「今家にいるのか?」と僕は言った。

 

「そうだ」と彼は言った。「早く来てくれ。今日が俺の最後の日なんだ。会社なんかほっぽり出してここに来てくれよ」

 

「でも会社というのは、そんなに簡単に抜け出せないものなんだよ」と僕は言って、また上司の顔を見た。彼はまだ僕の方をちらちら覗き見ていた。

 

「生きるか死ぬかの問題なんだ」と彼は言った。そしてこう付け加えた。「まあ俺の場合、もう『死ぬ』と決まってはいるんだが」

 

「分かったよ」と僕は言った。分かったよ。「なんとかしよう」

 

「そうこなくっちゃ」と彼はさも当然のことのように言った。

 

 

彼の部屋があるマンションは、僕の職場から電車を乗り継いで30分ほどのところにあった。僕がそこに着いたのは、午後2時15分だった。

 

「遅かったじゃないか」と玄関先で彼は言った。見ると、彼はまだパジャマ姿のままだった。

 

「ここに来るためにいろんな嘘をつかなきゃならなかった」と僕は靴を脱ぎながら言った。「僕の母親はまだぴんぴんしているのに、急に病気になった、ということになった」

 

「だって君の母親は東北にいるんだろう?」

 

「実の母なんだ、と言っておいた」と僕は首を振りながら言った。「彼女は東京で一人孤独に暮らしていて、急に病気になったのだと。本当はそんな人間存在しないのに」

 

「まあいずれにせよ」と彼は全然悪びれもせずに言った。「来てくれてうれしいよ」

 

 

僕はそこで彼から詳しい説明を聞いたのだが、結局聞かされたのは電話で話したのとほぼ同じ内容だった。

 

「だから啓示が訪れたんだ」と彼は言った。「お前は今日の午後9時28分に死ぬだろう、と」

 

「どうしてそんなにピンポイントで特定できるんだろう」と僕は言った。

 

「そんなこと俺には分からない」と彼は言った。「とにかくそれがメッセージだったんだ」

 

「ほかにメッセージらしきものはなかったのか?」

 

「あったよ」

 

「どんなもの?」

 

「それはね」と彼は言った。「今日の午後9時29分に宇宙が死ぬだろう、というものだ」

 

「宇宙が死ぬ?」と僕は驚いて訊き返した。

 

「そう」と彼は言った。「でもまあ俺には関係ない。だって俺はもうその1分前には死んでいるからな」

 

「ちょっと待ってくれよ」と僕は慌てて言った。「もし宇宙が死んだら、残された我々はどうなるんだ?」

 

「そんなこと知らんね。でもおそらく宇宙が死んだら、地球だって長くは持たない。とすると、君らもほどなく死ぬ、ということなんじゃないかな」

 

僕はそこで一度黙り込んだ。頭を少し整理しなければならない。宇宙が死ぬ?

 

「なあ」と少しして僕は言った。「前にもその啓示とやらはやって来たことがあるのか?」

 

彼は頭をぽりぽりと掻き、なんとか古い記憶を掘り起こそうとした。「ええっとね・・・」と彼は言った。「たぶんないと思う。これが初めてだ」

 

「それなのに」と僕は訊いた。「どうしてそれが『確かだ』と分かるんだ?」

 

「俺にはただ分かるんだよ」と彼は確信に満ちた顔で言った。「それはもう確実なことだ」

 

「それは一種の声なのか?」

 

「いや、声じゃない。どのような音声でもない」

 

「じゃあ何なんだ?」

 

「それはだね」と言って、彼はまっすぐ僕の目を見た。「物語だ」

 

「物語?」

 

「そう、物語だ」

 

 

 

『啓示の物語』

 

「それはこう始まるんだ」と彼はその物語を始めた。「まず最初に一人の若い男がいる。彼は大体25歳くらいで、自分は今日の午後9時30分に死ぬのだと思っている」

 

「彼は君なのか?」と僕は訊いた。

 

「いや、俺じゃない」と彼は言った。「少なくともまだ俺ではない」

 

「それで」と彼は続けた。「とにかくその男は、自分がその日の午後9時30分に死ぬと知っている。その理由は明らかにされていないんだが、それでも彼はその予感をほとんど確定されたものとして受け取っている。勘違いしないでほしいんだが、俺はなにも彼が自殺しようとしているとか、そういうことを言っているんじゃない。彼はただ事実として、その自分が死ぬことを知っている、というだけなんだよ。

 

彼はその予感を朝目覚めたときに感じるんだが、それでもそのままいつも通り勤めている会社に向かう。実際ほとんど普段と変わった様子はない。ベッドから起きて、顔を洗って、ひげって、歯を磨いて、朝飯を食って、コーヒーを飲んで、テレビでくだらないニュースを見て、また歯を磨いて、そしてスーツに着替えて、部屋を出て行く。

 

通勤の満員電車の中で、彼はふとあの予感を思い出す。そしてしみじみと思うんだ。今日の夜に死ぬ、ということは、俺がこの満員電車に乗るのも最後なんだな、と。でもその事実によって彼が喜ぶことはない。ただ単にそう思った、というだけのことだ。

 

やがて彼はその電車を降り、都心のオフィス街をすたすたと自分の会社に向かって歩く。そしてそこに着くと、いつも通り仕事をするんだ。

 

はっきり言ってここまでは何のおもしろみもない。あの予感以外、普通と変わったことは何も起きていないわけだからな。もしこれがテレビドラマなら、ここでチャンネルを切り替えて野球中継を観ているところだ。でも俺には何か引っかかるところがあったんだ。だって人生最後の日なのに、どうして彼はこんな風に時間を無駄に過ごしていられるんだ?

 

その点が気になったから、俺はチャンネルを替えなかった。でも、相変わらず彼はいつも通りの日常を続けていた。彼はごく普通にパソコンで仕事をこなし(何の仕事なのか俺にはよく分からん)、上司のくだらないジョークに相槌あいづちを打ち(これがとことんくだらないんだ)、かかってきた電話の応対をする。見ると、同僚の女性社員には結構可愛い子もいるんだが、彼は見向きもしない」

 

彼はそこで一度話を中断し、僕に問いかけた。「なあ、この話の骨子が分かるかい?」

 

分かるわけない、と僕は言った。

 

「そうだよな。俺にも始めは分からなかった。だってそこでは何一つ起きないんだものな。でも俺は、彼が昼休みになって、近くのコンビニでおにぎり(鮭と梅干)を買って帰ってきたときに気付いた。こいつは生きてなんかいないんだと。いいかい? つまり彼は歩く死体だったんだ。だからその日の夜死ぬ、という予感を得ても何も感じなかったんだよ。なぜなら彼はすでに死んでいたからだ。

 

それに気付いてしまうと、俺は、彼のまわりにあるほとんどのものがすでに死んでいることに気付いた。上司も、同僚の女の子も、歩く死体に過ぎなかった。掃除のおばさんだって死んでいた。パソコンも、電話も死んでいた。ビルそのものも死んでいた。

 

唯一例外だったのは動物たちだ。もちろん都会の真ん中だから、そもそも動物なんかあまりいないわけだが、それでもハトとカラスくらいならいた。そして彼らは生きていた。俺にはそれが分かった。彼らはきちんとした生きた目を持って、空から――あるいは電線から――真実の光景を眺めていた。彼らはちゃんと知ってたんだ、ここにいる人間たちは、ただの歩く死体に過ぎないのだと。

 

また勘違いしないでほしいんだが、なにも俺はこういう、会社に身を捧げる生き方が悪いとかって言っているわけじゃない。だって世の中には会社だって必要だものな。そうじゃなくて俺が言いたいのは、その物語においては、ほぼすべての人間が死んでいた、ということなんだ。そのときの俺には見えなかったが、農家も、漁師も、学校の先生も、子供も、老人も、みんなが死んでいたんだ。生まれたばかりの赤ん坊だって死んでいた。俺にはそれを感じることができた。つまり、そこはそういう世界だったんだよ。歩く死体たちの世界だったんだ。

 

そのときただ一人、街に生きている人間が現れた。それは、君だった」

 

「僕だって?」と僕は驚いて言った。

 

「そうだ」と彼は言った。「君だ」

 

「ちょっと待って」と僕は言った。「そこまでは分かった。いや、本当は分かってなんかいないのかもしれないけど、とりあえず分かったことにする。でも一つ訊いておきたいんだが、『歩く死体』っていうのは、ちょっと矛盾していないか?」

 

「何が?」と彼は不思議そうに言った。

 

「だって歩いたらもう死体じゃないだろう」

 

彼はそれについてあらためて考えた。でも結局こう言っただけだった。「いや、全然矛盾してないよ」

 

「どうして?」

 

「うん、まあうまく説明はできないんだけどさ、とにかくそれは歩く死体だったんだ。動いてはいるが、何も見ていない。しゃべってはいるが、その言葉に中身はない。行動は、どこにも結びついていない」

 

「まあそう言われればなんとなく分かるよ」と僕は言った。

 

「そうだろ?」と彼は安心したように言った。

 

 

「それでだ」と彼は続けた。「そこにただ一人現れた生きた人間ってのが君だったんだ。君は、今ここにいる君とほぼ同じ姿をしていた。そして同じような歩き方をして、同じようにズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。

 

君はあの男のいるオフィスに無断で入ってくると、彼をパソコンの前から連れ出した。彼の上司や同僚の女の子はじろじろと君を眺めたが、特に何も言わなかった。まあそれも無理はないよな。なにしろ彼らはただの死体に過ぎなかったわけだから。

 

そして君は彼の手を取ってその部屋を出て(その男は何の抵抗もせず従った)、ビルの屋上に向かったんだ。エレベーターの中で、君と彼とは対照的に見えた。君の目は生きていたが、彼の目は死んでいた。まあそういうことだよ。

 

そして屋上に着くと、空は青く晴れ渡っていた。それは実際のところ素晴らしい空だった。ところどころに薄い雲があったが、それだってかえって青空を際立たせるようなものでしかなかった。カラスが何羽か手すりに止まり、ハトがコンクリートの上で歩き回っていた。

 

君は何もしゃべらないまま、青年の手を取って手すりのところに行った。そこからは都会の情景が一望に見渡せた。そこより高いビルもいくつかあったが、大して数は多くなかった。下を見ると、狭い道路にたくさんの車が走っていて、人々はゴミみたいにしか見えなかった。気持ちのいい風が吹いていた。

 

君と彼はそうやってじっとしていたんだが、やがてどこからか――どこから来たのか俺には全然見えなかったんだが――一匹の猫が歩いて来た。それはごく普通の三毛猫で、ゆっくりと――本当にゆっくりと――そこを歩いていた。君らはその猫の歩みをじっと眺めていたんだが、猫はそんな視線にはお構いなしに、どんどん歩いていった。尻尾はピンと立っている。その猫は彼のすぐ脇を通り、そのまま手すりの隙間を通り抜けた。その先にはちょっと高いコンクリートの塀みたいなものがあるだけで、ほかには何もない。ただ空気があるだけだ。

 

でも猫は臆した様子も見せず、そのまま先に進んだ。ひょいとジャンプして、その塀のふちに立ったんだ。そして一度だけ君らの方を見て、そのまま下に飛び降りた。

 

彼はさすがに驚いたようだった。今まで死んだような目をして、何を見ても驚かなかった彼が、だ。彼は手すりに手をかけて、下を見つめた。でももう猫がどこに行ったのかは見えなかった。あるいはすでに地面に落ちてぺしゃんこになっているのかもしれない。

 

彼の呼吸が荒くなるのが分かった。でも君はといえば、ものすごく冷静な顔をして、ただ上空を眺めていた。猫の行方なんか興味もない、という感じで。俺はそれを見てすごく驚いた。だって君は動物が好きだったからな。

 

でもそんなのはまだ序の口に過ぎなかった。俺はそんなことで驚いている場合ではなかったんだ。というのも、君は何食わぬ顔で手すりに手をかけると、それをひょいと飛び越え、その先のコンクリートのふちに立ち上がったからだ。君はそこから彼に手を差し伸べていた。まるで君も早くのぼってこいよ、とでも言うみたいに。

 

彼はもちろん躊躇ちゅうちょした。一体誰がそんなところに立ちたいと思う? でもそこで彼は思い出したようだった。俺は今日の午後九時三十分に死ぬのだ、と。だとしたら、今ここで屋上のふちに立つのを躊躇してどうなる? どうせ死ぬんじゃないか、と。彼は決心したらしかった。意を決して柵を乗り越えると、そのすぐ先にあるコンクリートの塀の上によじ登った。そして下を見た。

 

そこには何もない空間が広がっているだけだった。隣のビルまではずいぶん距離があったし、しかもそれは君らがいるビルの半分の高さもなかった。上にはものすごく広い空が広がっていて、死んだ街を覆い尽くしていた。透明な風が彼のすぐ脇を吹き抜けていった。

 

君は彼が隣にのぼってきたのを見ると、やがてその手を取り、迷いなく足を踏み出した。そう、空中に、だよ。それは飛び降りる、というよりは、ただ単純に足を前に踏み出す、という感じだった。まるでその先にまだ地面が続いているかのように。君がそこに足を踏み出すと、彼もまた道連れになって下に落ちていった」

 

啓示 2』に続く

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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