小松菜通信 3の続き
さて、毎月恒例の小松菜通信の時間です。
私は小松菜ゆでる(24歳、女)、小松菜たべる(28歳、男)の妹です。通っている大学がコロナヴァイルスの影響でオンライン授業になったので、適当にサボって・・・じゃなく、自主的に受講を回避して・・・こうして街に出てきたのであります。
というのも実はお兄ちゃんのことが心配だったからで、彼は前回の小松菜通信以来、まったく音信が途絶えてしまっていたのです。電話をしても変なメッセージのアナウンスが流れるだけ。ちょっと聞いてみる?(そこで電話をかける)
「プルルルル、プルルルル・・・。えーと、ただいま電話にでることができません。ピーという音が鳴ったら・・・いや、鳴ったとしてもお前には用はない! おととい来やがれ! ウッホイ! ドシドシ!」
そう、こんなメッセージが流れるの。こんなもの録音している暇があったらもっとまともなことをやればいいのにね・・・。
あ! そんなことを言っているうちに、道端に一人の変態が・・・。長老!
長老(276歳、男):なんだ変態とは。人聞きが悪いな。
ゆでる:いや、ごめんなさい。でもオーラが明らかに普通の人とは違っていたから・・・。
長老:はっはっは。それは私がほかのすべての人より賢いせいだ。賢いオーラが出ているんだ。とくにこのお尻の先端あたりからな。ちょっと触ってみるか?
ゆでる:嫌ですよ。まったく。全然変わってないんだから。ところで今日はちゃんと服を着て、一体何をしていたんですか?
長老:いや、最近たべる君がどこかに隠れてしまっていてな。暇つぶしの雑談をする相手がいなくて困っていたんだ。なにしろ彼ときたら私の言うことはなんでも聞いてくれるからな。
ゆでる:長老とも会わないとなると・・・これはちょっと重症かもしれないわね・・・。あ! 長老! ねえ、あれを見て! あれお兄ちゃんじゃないかしら?
長老:ん? どこだ? ああ、あんなのはただの萎れた小松菜じゃないか・・・。と思ったらよく見ると動いている。作業着みたいなのを着て、とぼとぼと歩いている。そして道端の小石を力一杯蹴飛ばした、と思ったら外してすってんころりん。後頭部から道路に倒れて、その部分をさすっている。なあ、ゆでる。あんなのはただの馬鹿だよ。我々とは何の関係もない。
ゆでる:まったく。長老は目が悪いんだから。あれはどうみてもお兄ちゃんでしょ! お兄ちゃん。何しているの?
たべる:(道路からなんとか起き上がり、もう一度その小石を蹴ろうとする。でもうまく行かず、今度は自分の軸足を蹴って、もう一度倒れる。彼にはもう起き上がる力がないらしく、そのまま仰向けに寝て、天を見上げている)
ん? なんだか今妹のゆでるの声が聞こえたような気が・・・。でもきっと気のせいに違いない。彼女がここにいるわけがないのだから。ここは地獄だ。生き地獄だ。いっそのことこのまま土に還りたい・・・。
ゆでる:何をぶつぶつ言っているのよ! ほら、ちゃんと立ち上がって!(そこで彼の腕を引っ張り、無理矢理地面に立たせる。服に付いた埃を払ってやる)。 まったく。ずっと心配していたんだからね! 電話にも出ないし。一体何をやっていたの?
たべる:ああ、やっぱり君だったんだな。まったく。いいか? ここは地獄だぞ。まともな人間なんてどこにもいやしない。一緒に崖から飛び下りよう。
ゆでる:嫌よそんなこと。勝手に一人で飛び下りればいいじゃない。でもどうしたの? その顔。やつれて、埃だらけで、髪の毛はボサボサで・・・。まるでチューバッカを一晩煮詰めて、天ぷら粉を付けて揚げたみたいな顔しているじゃない。
たべる:相変わらず比喩が突飛だな・・・。なんだか昔のことを思い出すよ。小松菜県で二人で古典文学を読み漁っていた時代だ。あの頃は良かった。太陽は燦々と輝き、人々はどこまでも純粋だった。まだ資本主義経済が台頭する前の話だ・・・。
ゆでる:何言っているのよ。せいぜい15年くらい前の話でしょ? あれはあくまで小松菜県が特殊だったってだけよ。この現実の世界はそんなに単純にはできていないのよ。ねえ、そうでしょ、長老?
長老:ん? 今なんか言ったか? 今ちょっとお尻をシェイプアップする体操をやっていて、全然聞いていなかった。ええと、質問は今年のセリーグはどこが優勝するか、ということだったかな? それは難しい質問だ。いくら私といえどもすべてを正確に予測することはできない。なにしろ原監督は若手を起用する手法に長けているからな。横浜だって結構強いし・・・。
ゆでる:いや、そうじゃなくて。
長老:いや、失礼。パリーグの方だったか。パリーグに関していえばだな、オリックスの先発二枚看板がいかに怪我なく投げられるかがカギになって・・・。
ゆでる:長老!
長老:ハッハッハ。冗談だよ。何を言っているのかは分かっておる。たべる君。君はどうやらこの現実世界にうんざりしているようだな。違うか?
たべる:まさにそうですよ。前回あなたたちに会って以来、僕は自分探しの旅に出ていたんです。高尾山にも登ったし。パチスロもやってみたし。スナックでカラオケも歌ってみたし・・・。
ゆでる:それが自分探し?
たべる:要するに今までやっていなかったことをやってみようと思ったんだ。その辺にいる女の子に片っ端から声をかけて(ねえ、お姉さん。一緒に小松菜、食べませんか?)、片っ端から振られたり。警察を呼ばれたり・・・。なあ、ゆでる。最近の女の子は小松菜を食べないのか?
ゆでる:そりゃあときどきは食べるけど・・・。いや、そんなことじゃなく、どうしてそんな作業着を着る羽目になったわけ?
たべる:それはお金がなくなったからだ。小松菜県から支給される奨学金が底をついてしまったんだ。パチスロのやり過ぎで。あと競馬もやったな・・・。いずれにせよ、僕はこれはチャンスだ、と思った。社会経験を積むためのね。それで工場にアルバイトに行って、せっせと何だかよく分からないものを作っていた。これだ。
ゆでる:たしかに何だか分からないわね・・・。一見すると何かの部品のようにも見えるし、ただのガラクタのようにも見える。まるでチューバッカを二晩煮詰めて、砂糖をまぶして揚げたみたいな・・・。
たべる:君の比喩のセンスはどうにかならないのか? まあいいや。僕はこれを作りながら、周囲にいるほかの従業員たちに真実を見せようと試みたんだ。マルクスの『資本論』を朗読したりしてね。彼ら何と言ったと思う?
ゆでる:「うるさい、あっちに行け」とか?
たべる:(驚いて)何で分かったんだ? そう、その通りだった。彼らは自分が何を作っているのかも分からないのに、全然そのことを気にしないんだ。どうかしてるよ。とにかく給料がもらえさえすればいいのさ。まったく。世も末だよ。
長老:それでそんなに元気がなかったのか?
たべる:まあそれが20パーセントで、残りの80パーセントはある女の子に振られたからなんです。その子はとてもキュートで、僕は心を奪われてしまった。何度か街で顔を見かけて、それで声をかけたんだけど・・・。
ゆでる:警察を呼ばれた。
たべる:うん(と言って深く頷く)。白バイが3台も来たよ。あいつらいかつい顔をして、僕をいじめるのさ。ただ一緒に小松菜食べませんか、と言っただけじゃないか? それが刑法の何条に抵触するんだ? あいつらそんなことも分からないのさ。
ゆでる:でも逮捕されずに済んだんでしょ?
たべる:まあなんとか逃げ出したんだ。僕がマルクスの『資本論』の一節を暗唱すると、彼らあまりの退屈さにうとうとし出したんだ。その隙に小松菜ダッシュをしかけて、近くの川に飛び込んだ。
長老:どうして川に?
たべる:どうしてだろうな・・・? おそらくそこに川があったからですよ。そして鴨の一家が楽しそうに泳いでいた。僕もその仲間になりたかったのかもしれない・・・。あの純粋な顔ときたら・・・。と、そんな話をしていたら、あんなところに!(そこである一人の女性を指差す。彼女はどこかに向けて速足で歩いていく。たべるには目もくれない)
ゆでる:あれが例の女性、というわけ? ふーん。まあまあ可愛いじゃない。私には敵わないけど。ちょっと声かけてきてあげようか?
たべる:(ひどくそわそわしながら)いや、そんなことは。ええと、ああ、行ってしまう。おい! 早く行ってこい! 何をぐずぐずしているんだ!
ゆでる:はいはい。ちょっと行ってきますよ。この人は情緒不安定なんだから・・・
ゆでる、そこでその女性のところに行って話しかける。女性は不審そうな顔をしているが、徐々に表情を崩す。そしてチラチラと作業着姿のたべるを見る。たべるは顔を真っ赤にして地面を見ている。長老はお尻のシェイプアップに余念がない。
長老:いち、にい、さん、しい。右、左。右、左。いやあ、運動って楽しいな。
たべる:長老、ちょっと黙っていてください。あの二人の声が聞こえないじゃないですか?
長老:こんな遠い距離で声が聞こえるわけがないじゃないか? まったく。ああ、なんか暑くなってきたな。ちょっと服を脱ごうかな。
たべる:いや、やめてくださいよ。ほんとに。僕があなたと知り合いだと思われたらどうするんですか?
長老:こんなところでしゃべっている時点ですでに知り合いだと思われてるよ、きっと。
そんなことを言っていると、ゆでるが彼女を連れて戻ってくる。たべるは緊張して一本の棒になったみたいに固まってしまった。何かを言おうにも、もはやうまく声が出せないみたいだ。
ゆでる:ほら、連れてきたわよ。この人実はお兄ちゃんのこと変態だとは思っていなかったみたい。ちょっとあのときは警戒したけれど、警察を呼んだことを今では後悔しているって。
たべる:(ひどく緊張して)ほ、ほ、ほ、ほ。
ゆでる:もう、何言ってるのか分からないじゃない! でもまあいいわ。どうせ大したことじゃないんだし。ねえ、さっき話を聞いたらね、この人私たちと同じ趣味を持っていたのよ。ジャン=リュック・ゴダールの映画は全部観ていて、ワシントン・レッドスキンズのファンで、そして何よりも、高見盛関の物真似ができるのよ。
女性:(そこでものすごくリアルな高見盛の物真似をする。取組前の仕草。顔を両手で激しく叩き、気合いを入れる)ピシャリ! ピシャリ! オイ! オイ!
ゆでる:(興奮しながら)ねえ、ものすごくリアルでしょ? 本人が目の前にいるみたい。ねえ、私たちもよくやったじゃない。この人彼が負けたあとのものすごく悔しそうな表情も真似できるのよ。
女性:(泣きそうな顔をして、土俵へと戻る高見盛の真似をする。まさに瓜二つだ! その後恥ずかしそうな顔をして、普段の穏やかな雰囲気に戻る)まさかここで同志に会うとは思っていませんでした。誰にも理解されなくて、ずっと一人きりで練習していたんです。なんというか、とっても不思議なご兄妹なんですね。
ゆでる:ねえ、この人アニマル浜口の物真似もものすごく上手いのよ。見てみたい?
たべる:(正気に返って)いや、それはまたあとに取っておこう。(独白)なんだかさっきの高見盛の物真似で目が覚めた。これが現実か。僕はもっとおしとやかな女性だと思っていたんだが・・・。人は見かけによらない、ということか・・・。
ゆでる:何ぶつぶつ言っているのよお兄ちゃん。今度はお兄ちゃんの番でしょ? ほら、高見盛の物真似やって!
たべる:いや、僕は朝青竜の真似にしよう。目はこんな感じで・・・。
長老:いち、にい、さん、しい。右、左、右、左。現実とは不思議なものだ。何が起こるのか予想というものがつかない。
さて、今回の小松菜通信はいかがでしたでしょうか? 彼ら三人はその後物真似合戦をし続け、不審に思った近所の人が呼んだ警察も物真似で煙に巻き(アヒルの一家の物真似をした)、和気藹々とした雰囲気で別れました。例の女性はアルコールが入るとヒトラー並みに冷酷になる、という話でしたが、筆者はまだその場面を見ていないので、なんとも言えません。たべる君の恋心がどうなったのかは興味深いところです。彼は例の物真似を見たあとでもまだ彼女のことが好きなのか? それは次回以降述べられる、かもしれません。時間があったら。と、いうことで、さようなら。どうかご自愛ください。失礼。