カメラ

ある日火星人がやって来て、僕をカメラに収めてもいいかと尋ねた。僕は火星人というのは八本足のタコみたいな生き物だと思っていたので、彼が我々とほとんど同じ見た目なのを見て驚いた。「良いですよ」と僕は答えた。「僕なんかでよければ」

 

彼は鞄から火星製のカメラを取り出し、僕にレンズを向けた。僕はその場にじっとして彼がシャッターを切るのを待った。

 

今思うとあのとき彼の様子にはいくつかの不審な点があった。火星人のカメラは妙に大きくて仰々しかったし、彼自身もなんとなく愛想が悪く、どことなく暗い雰囲気を持っていた。火星版マッドサイエンティストと言った感じだ。でも僕は深く考えることもせず、写真に取られることを了承してしまった。

 

そのときの僕は知らなかったのだが、火星のカメラと地球のカメラとは全然違うものだった。それに二つの星の間では「写真を撮る」ということの意味も全く違っていた。でも彼はそんなことは何も説明してくれなかった。ただ黙ったままシャッターを切っただけだった。

 

 

カメラが発明された当初、未開地域の人々はその機械に魂が抜き取られるのではないかと恐れたらしい。そして、そのとき起こったのはちょうど彼らが恐れていたことだった。つまり火星人のカメラは被写体の魂を抜き取ってしまうのだ。

 

僕の魂は火星人のカメラに収められた。その世界では時間というものが動きを止めていた。ものごとは一切変化することなく、映された時のまま永久に保存されていた。言いかえれば、僕はその世界に閉じ込められる代わりに、永遠の命を得たということになる。

 

 

そこは一種のコミュニティのようになっていた。そこではカメラに収められた地球人たちが集まって暮らしていた。彼らは写真に写されたときのまま一切歳を取っていなかった。僕はそこで、1960年代に写真に写された、ある詩人に出会った。

 

「やあ、新入りさん」と彼は言った。
「こんにちは」と僕は言った。
「君はいつカメラに映されたんだい?」
「2016年です」と僕は言った。
「ジョン・レノンはもう死んだかい?」
「ずいぶん前に」と僕は言った。
「そうか」
「そうみたいです」

 

「サリンジャーは新しい小説を書いたかな」と彼は聞いた。「つまり70年代以降ということだけど」
「70年代以降は小説を発表しなかったみたいです」
「そうか、それは残念だな」と彼は言った。「ついでに聞くけど、アメリカ軍はもうベトナムから撤退したのかな」
「撤退しました」と僕は言った。
「ピース」と彼は言った。
「ピース」と僕も言った。

 

次に僕は、そこで明治時代に写真に取られた女性に出会った。彼女は女学生で、油で固めたまげを結い、綺麗な着物を着ていた。まげにはかわいらしいリボンが付いていた。ちなみに彼女は夏目漱石のファンだった。

 

「ねえ、ハイカラさん」と彼女は言った。「漱石先生はまだ生きてらっしゃる?」
「もう亡くなりました」と僕は言った。
「それは残念ねえ」と彼女は言った。「ねえ、東京にはまだ電車が走っているのかしら」
「たくさん走っています」と僕は言った。
「ふうん。女学生はまだまげってらっしゃる?」
「もうまげは結っていませんね」と僕は言った。
「じゃあ何をってらっしゃるの」と彼女は聞いた。
「何もっていないみたいです」
「ふうん。つまらないのね」
 

カメラの中の世界にはほんものの森があった。かなり本格的な森だ。きっと火星人がこの世界の環境を地球に似せるために造ったのだろう。僕は鬱蒼と茂る樹木の間を奥へ奥へと進んで行った。僕はそこで一人のネアンデルタール人に会った。彼は毛むくじゃらで、どちらかというとゴリラに近いようにも見えたが、その顔にはまぎれもない知性のきらめきがうかがえた。

 

「やあ」と彼は言った。
「こんにちは」と僕は言った。
「良い天気だね」
「そうですね」
「まあ実際のところ毎日良い天気なんだけどね」
「そうなんですか」
「そうだよ」

 

「あなたも火星人のカメラに映されたわけですね」と僕は聞いた。
「もちろん。だからここにいるんじゃないか」と彼は言った。
「一説によればあなたの仲間達は絶滅してしまったということですが」と僕は言った。
彼は深い溜息をついた。
「俺がカメラに映されたころは火星文明の全盛期でね。たくさんの火星人がやって来た。そして俺たちを片っ端から奴隷として火星に連れて行ったんだ」
「でもその頃には我々の直系の祖先もいたわけでしょう。なぜあなた達だけを連れて行ったのですか」
「その頃の君らの祖先は知能が低かったのさ」と彼は言った。「ゴリラやチンパンジーとさほど変わらなかった。でも我々は宗教も持っていたし、儀式も執り行っていた。火星人にとっては我々の方が使い勝手が良かったんだよ」
「でもあなたはここにいる」
「俺は一種の標本としてここに保存されたんだ」と彼は言った。
「仲間達に会いたいですか」と僕は聞いた。
「どうだろう。時々あの頃を思い出そうとするんだが、頭がぜんぜん働かないんだ。もう時間というものがどんなものだったのかも思い出せない」

 

その後僕は2153年からやって来た女性に出会った。まだ若い女性だ。

 

「こんにちは」と僕は言った。
「こんにちは」と彼女は言った。「あなたのその格好、歴史の教科書で見たわ」
そう言われて初めて僕は自分の服装を見つめた。僕は特に何ということもない服装をしていた。こんなものが歴史の一部になるというのはいささか変な感覚だった。
「僕の時代はみんなこんな格好でしたよ」と僕は言った。
「まあそうでしょうね」と彼女は言った。「でもかわいいじゃない。ちょっと重苦しいけど」
僕は自分の服装のどこが重苦しいのか考えてみたが、よく分からなかった。なにしろ古いジーンズの上に色のあせた緑色のシャツを着ているだけなのだ。それに汚れたスニーカー。僕はあらためて彼女を見つめた。彼女はシンプルな白いノースリーブのシャツと、シンプルな白いショートパンツという格好だった。その上裸足で、さらに言えばスキンヘッドだった。

 

「2153年には女性はみんなスキンヘッドなんですか」と僕は聞いた。
「男性もよ」と彼女は言った。
「街はどんな具合です?」
「色んな建物が壊されたわ」と彼女は言った。「そしてそこに木を植えたの。今ではみんなせっせと自然に還ろうとしている」
それはなかなか悪くない考えのように思えた。「それで人々は幸せになれたんでしょうか」と僕は聞いた。
彼女は少し考え、それから言った。「そうねえ。昔と大して変わらないんじゃないかしら」
「そんなものですか」と僕は聞いた。
「そんなものよ」と彼女はクールに言った。

 

僕はその後も何人かの人々と会ったが、正直なところ、彼らとの会話は次第に退屈に感じられるようになっていった。違う時代からやって来た人々と話すのはもちろん楽しいのだが、そのうち会話に広がりというものがないことに気付く。同じ所をぐるぐると回り続けていて、その先に進むということが決してないのだ。それになぜか彼ら同士には横のつながりというものが全然ないみたいだった。皆がそれぞれ自分自身の追想に耽っていて、他人と話をしてもその内容をすぐに忘れてしまうらしかった。

 

僕はもう一度あのネアンデルタール人に会った。彼はまだ僕を覚えていた。

 

「ああ、あなたでしたか」と彼は言った。
「こんにちは」と僕は言った。
「あなたは何か、ほかの人にはない独特な雰囲気を持っています。だから忘れない」と彼は言った。
それについては僕は、一体なんと答えたらいいのか分からなかった。だからそのことはとりあえず脇によけておいて、率直に本題に入ることにした。「ねえ、あなたに聞きたいのです」と僕は聞いた。「ここの生活は退屈ではありませんか」
彼は言った。「まあ、そう言われればそうかもしれない」
「我々はここで死を免れている。しかしそれと同時に生を失っているんです。そう思ったことはありませんか」と僕は聞いた。
「そう言われればそうかもしれない」と彼は言った。

 

そこで僕は自分の考えを率直に打ち明けた。
「あなたは言わば、人類の黎明期を生きた人だ」と僕は言った。「あるいはあなたは我々の直系の祖先ではないのかもしれない。あなた方の遺伝子はどこかで途切れてしまったのかもしれない。でも意識の夜明けを生きたという点では何の変わりもありません。僕は思うのですが、あなたはその頃何か大きなものとつながっていたはずです。それは言わば、意識の源泉のようなものです。もしもう一度その大きなものとのつながりを回復することができれば、あなたは生と、そして時間を取り戻すことができるかもしれない。そしてもしそれが――つまりつながりを回復することが――できたら、そのやり方を僕にも教えてほしいんです」
「形骸化する前の宗教、というわけか」と彼は言った。
「まあそういうことです」と僕は言った。

 

「生と時間を取り戻すということは」と彼は言った。「もれなくそこに死もくっついて来るということだ。それでも構わないのかな」
「構いません」と僕はきっぱりと言った。
彼は少しの間考え込み、やがて静かに言った。「俺も構わないような気がする」
 

我々は知り合いを集めて儀式を執り行うことにした。1960年代からやって来た詩人と、明治時代の女学生と、僕と、ネアンデルタール人と、2153年からやって来たスキンヘッドの若い女だ。我々は集まると挨拶を交わした。
「はじめまして、だっけ?」と詩人が言った。
「前に会ったような気もするわ」と女学生が言った。
「ここに来てから記憶が曖昧になっているのよね」とスキンヘッドが言った。

 

僕は彼らに計画を説明した。ネアンデルタール人と共に原始の儀式を行い、大きなものを呼びだす。そして我々は生と、時間と、そして死を取り戻すことになる。もしこのままここに残っていたいのなら、無理をして参加する義務はない。
「でもそんなことが本当に成功するのかい」と詩人が聞いた。「だってここは火星人のカメラの中なんだぜ。ネアンデルタール人が何をやったところで無駄なんじゃないかな」
でもやってみる価値はあるのではないか、と僕は言った。生や時間は、言わば我々の内的世界に属するものだ。だから我々自身が変われば――外的状況がどうであれ――生と時間を取り戻すことができるかもしれない。

 

「とにかくやってみましょうよ」とスキンヘッドが言った。「私も初めのうちはここは静かで良いところだと思っていた。でも確かに退屈なのよね。こんな生活が永遠に続いたってなんの意味もないような気がする」
「俺も詩人を自称しているわりにはだね」と詩人が言った。「ここに来てから一篇の詩も書いちゃいないんだ。かつてはあったはずのイマジネーションがどこかに消えちまったんだ。それはもしかすると、あまりにもここの居心地が良いからかもしれない」
「あなたはどうしますか」と僕は女学生に聞いた。
よくってよ、私もやるわ。と彼女は言った。

 

ネアンデルタール人は地平線から登る太陽が必要だと言った。「我々は毎朝それに向かって儀式を行ったのです」と彼は言った。
しかしこの世界における太陽は中空に浮かんだまま動きを止めていた。実際それがほんものの太陽なのかどうかも判断がつかない。あるいは火星人が合成したただの映像かもしれない。
「あの太陽では駄目なんですか」と僕は聞いた。
「地平線から登ってくる瞬間が大事なんだ」と彼は言った。

 

我々はやむを得ず別の手段を取ることにした。要はネアンデルタール人がかつての気持ちを思いだせれば良いのだ。そこで我々五人は暗い納屋に集まり、地平線から登る太陽を再現することにした。

 

まず、平べったく横に広がった女学生のまげを地平線に見立てる。そしてスキンヘッドがその奥にしゃがみこみ、徐々に登っていく太陽を再現する。僕がタイミングを見計らい、横からスキンヘッドにライトを当てる。ネアンデルタール人が正面からそれを眺め、かつての心持を思い出す。

 

「あの、俺は何をすればいいんだろう」と詩人が聞いた。
「気が向いたら好きな詩を朗誦してください」と僕は言った。
「ねえ、リボンはつけてても構わないかしら」と女学生が聞いた。
「リボンは外してください」と僕は言った。「地平線にリボンはついていませんから」
「つまらないのね」と彼女はつまらなそうにつぶやいた。

 

儀式は始まった。ネアンデルタール人は目をつぶって意識を集中し、かつての心持を思いだそうとしていた。残った我々四人はじっと息をひそめ、彼が合図を出すのを待っていた。そのうち彼は静かに言った。「いいよ。始めてくれて構わない」

 

ネアンデルタール人は納屋の暗闇の中でそっと目を開けた。女学生が畏まった姿勢でイスに座り、そのうしろからスキンヘッドが徐々に立ち上がって行った。詩人がBGMとしてキーツの詩を暗唱した。

 

「A thing of beauty is a joy for ever :
(美しいものは永遠のよろこびである)
It’s loveliness increases ; it will never
(その素晴らしさは増して行き、決して)
Pass into nothingness ; but still keep
(無に消えることはない。それは)
A bower quiet for us, and a sleep
(我々のため寝室を静かに保ち、眠りを)
Full of sweet dreams, and health, and quiet breathing.
こころよい夢と、健康と、穏やかな寝息とで満たし続ける)」

 

僕はタイミングを見計らい、スキンヘッドにライトを当てた。スキンヘッドの女は小刻みに揺れながらも徐々に立ち上がって行った。ネアンデルタール人の目が神秘的な色を帯びて行くのが分かった。

 

スキンヘッドが完全に地平線(つまり女学生の髪の毛)から顔を出すと、ネアンデルタール人は腹の底から低いうなり声を上げ始めた。それは言わば、原初の混沌から湧きあがって来る唸り声だった。彼の中の獣と、人間が共に主導権を巡って相争っていた。僕は全身に鳥肌が立つのを感じた。彼は唸りながら、登っていく太陽(つまりスキンヘッド)に向かってひれ伏すように一度うずくまった。彼はしばらくそのままじっとしていたが、やがて立ち上がり、踊りを踊り始めた。僕はそこに狂気を見た。百パーセント純粋な狂気だ。そこに規則性というものはなく、ただやみくもに身体を動かしているようにも見えるのだが、全体としては何か統合性を持った意思のようなものを感じることができた。

 

彼の踊りを見ていると、僕は自分の中に、これまですっかり忘れられていた感覚が湧き上がって来るのを感じた。それは言わば、生きることを欲し、生命を与えてくれたものに対して感謝する心持だった。僕は目を閉じ、自分の中に広がる暗闇に身を沈めた。僕の中の獣もまた太陽に向かって声高く叫んでいた。僕はそれを身の内にひしひしと感じることができた。納屋では詩人が詩の続きを朗誦していた。

 

「Therefore, on every morrow, are we wreathing
(だからこそ、毎朝我々は編み続ける)
A flowery band to bind us to the earth,
(我々を大地に繋ぐ花の絆を・・・)」

 

 

気付くと僕は元いた世界に戻って来ていた。つまり2016年の、ちょうど火星人がシャッターを切った瞬間の世界にだ。その世界はなんだか懐かしい匂いがした。目の前にはカメラを持った火星人が立っていた。

 

僕はしばらくの間ただ茫然とそこに立ち尽くしていた。始めのうち自分が戻って来たということをうまく飲み込めなかった。詩人は、女学生は、スキンヘッドは、そしてネアンデルタール人はどこに行ったのか?でもそのうちにだんだんとこの世界の重力に頭が馴染んできた。僕は思った。ここに戻ってきたということは、儀式は成功したということなんだろうか?

 

「いや、儀式はなんの関係もありません」と火星人が僕の考えを読んだように言った。「火星の人権団体がうるさく言ってきたのです。誰ひとりとして地球の人々の生と、死と、時間を奪う権利はないと。なにも拷問を加えているわけではない、彼らは居心地の良い場所に大事に保管されているだけだ、と主張したんですがね、聞き入れてもらえませんでした。でもなかなか悪くない場所だったでしょう」
「確かに」と僕は同意した。
「でもあなたはもうここで生きるしかない。良くも悪くも」と彼は言った。
「ほかのみんなはどこに行ったんですか」と僕は聞いた。
「それぞれの時代に帰りました」と彼は言った。「もっともネアンデルタール人はひとりぼっちですが」

 

僕は何十万年前だかの世界に一人置き去りにされたネアンデルタール人の姿を想像した。彼は自分の世界に帰ったが、どこにも仲間はいない。仲間達はみな火星に連れ去られ、地球上ではほぼ絶滅してしまった。果たして彼にとってそれは良いことだったのだろうか?むしろ時間の止まった世界で永遠に保存されているほうが幸せだったのではないだろうか?
「もう選びようはないんです」と火星人は言った。「みんなそれぞれ自分の時代で生きて行くほかない」

 

僕は彼と握手をした。彼の手は思っていたよりも温かかった。僕は彼に「あなたも」と言った。
彼は僕の手を強く握り返した。「そうです。私もまた、自分の時代で生きて行くほかない」と彼は言った。

 

気付くと彼はいなくなっていた。僕は道端に一人でぽつんと突っ立ち、そこにある空白と握手をしていた。僕の掌には彼の手の火星的な温かみがいつまでも残っていた。僕は自分の服装を眺め、そろそろ新しい服を買いに行かなくちゃなと思った。

 



村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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