僕はその年の四月、就職を機に上京して来たのだが、そこでいささか奇妙な出来事に遭遇することになった。その出来事は今では、僕自身の深いところにある何かとしっかり結びついてしまって、どうしても記憶から離れなくなってしまっている。まるで土鍋にこびりついた執拗な焦げみたいに。
僕は大学を卒業し、中くらいの規模の銀行に就職した。特に銀行業に興味があったわけではない。僕にとっての仕事とは独立した場所で独立した生活を営むための手段にすぎなった。
大学時代は実家に住んでいたから、これが初めての一人暮らしだ。引っ越して三週間後くらいに母親が差し入れを届けてきた。日持ちのする缶詰やレトルト食品なんかだ。男の一人暮らしということで色々と心配してくれたのだろう。でも実を言うと僕は缶詰もレトルト食品も好きではない。だから気持ちだけに感謝してベッドの下にしまっておいた。
日々は思ったよりも退屈だった。もちろん新しい生活に過度な期待を寄せないよう注意はしていた。大きく膨らみ過ぎた希望は、大きく膨らんだ失望をもたらすことになる。それくらいのことは僕だって知っていた。
しかしだからといって現状の生活が良いものだとは決して言えなかった。そこには明らかに何かが欠けていた。それが何なのかを具体的に言い表すことはできない。僕に分かるのはただそこに何かが欠けているということだけだ。僕は職場で同じような想いを抱いている人間がいないか周りを見回してみた。しかし僕の気持を理解してくれそうな人間は、ただ一人として見当たらなかった。
五月の中頃にまた小包が届いた。きっと母親からだろうと思って差出人を見てみると、そこには僕の名前が書いてあった。そう、僕自身の名前だ。見ると筆跡もそっくりだった。僕は不審に思って配達人の顔を見た。彼は戸惑ったような顔で僕を見返した。
「こんなものを送った記憶はない」と僕は言った。
「でもここに届いていますから」と彼は言った。
「誰かがいたずらをしているのかもしれない」
「でもいいじゃないですか。もらえるものはもらっておけば」と彼は言った。
確かにその通りだった。
段ボールの中にはちょうどその時に必要だったものばかりが詰め込まれていた。輪ゴム、ボディソープ、たわし、コーンフレーク、何枚かのTシャツ。CDまであった。サイトウキネンオーケストラ、ブラームスの交響曲第一番、小澤征爾指揮。そろそろ買いに行こうと思っていたものばかりだ。僕はその鬼気迫るブラームスを聞きながら、いくつかの輪ゴムを限界寸前まで引っ張っては元に戻した。ぱちん。一体誰がこんなものを送って来たんだろう?
贈り物はその後も続いた。それはいつもちょうどいい時に来て、ちょうど良いものを届けた。差出人の欄には相変わらず僕の筆跡で、僕の名前が書いてあった。
ある時にはシェイクスピアの『ソネット』が原書で入っていた。
“From fairest creatures we desire increase”
(美しいものは殖えることこそ望ましい・・・)
それは確かにその時僕が読みたいものだった。
九月に届いた段ボールには瓶に入った赤い液体が入れられていた。最初はトマトジュースかと思ったのだが、匂いを嗅いでみてそれが血液であることに気付いた。どうしたらいいか分からなかったので、とりあえず冷蔵庫にしまっておいた。
その後も血液の瓶は届き続けた。冷蔵庫に並んだ血液は不気味な赤黒さを湛えていたが、どうしてもそれを捨てる気にはなれなかった。
その間も僕は何とか仕事をこなしていた。しかし心の空虚さはだんだんと増していった。朝出社の支度をしていると頭がふらふらした。一度医者に診てもらったが、身体には何の不具合も無かった。精神的なものでしょう。ストレスを避けてください。と医者は言った。
その日は特にひどいめまいがした。僕は何とか仕事に行こうとベッドから起き上がったのだが、ふらふらと床に倒れ込んでしまった。目の前には冷蔵庫のドアがあった。僕はふと思い立って、しまっていた血液を飲むことにした。僕は朦朧とする意識の中で考えた。僕自身が送ってきたということは、これはおそらく僕自身の血液なのだろう。僕は横になったまま瓶に入った血を飲んだ。何本も何本も飲んだ。美味いわけがない。舌には苦い鉄の味が残った。しかしそれは、瞬時に僕の心と身体に染みわたった。
今日限りで仕事を辞めよう、と僕は思った。