こんにちは。マスコットのビギナー君です。
さて、みなさん、ついに十一月がやって来てしまいました!
十一月がやって来ると僕は深い物思いに沈み、ほとんど現実の世界に帰ってくることがありません。そう、僕は自らの記憶の内部を散策しているのです。
そこは薄暗い場所です。僕の幼少期のダークなイメージ群が、そこら中に充満しています。ジャングルに潜む虎。獲物を狙うライオン。盆踊りを踊るツキノワグマ。全裸のおじさん。エトセトラ、エトセトラ……。
僕は部屋にこもり、蝋燭に火を灯して、それらと対峙します。何かをするわけじゃないんです。僕は彼らを殺そうとはしません。彼らはただのイメージであり、ある意味では僕の理解を待っているからです。
僕はじっとして、それらのイメージの本質を探り当てていきます。虎は虎ではなく、ライオンはライオンではないのです。ツキノワグマも、全裸のおじさんもです。それらは別のイメージの、奇妙な運動の結果起こった、たまたまの事象なのです。え? 難しい?
いやいや、やってみれば簡単です。集中しさえすれば、彼らはポジティブな影響を与えてくれます。それはまるで……そう、寒い冬の夜に熱燗を一杯やるようなものです。身体が芯から温まります。
虎はときどき僕に話しかけてきます。「え? 俺虎じゃないよ。俺は本当は……」
そこでツキノワグマが乱入してきます。「私はツキノワグマじゃない。私は……」
全裸のおじさんが割り込んできます。「私はそのままのおじさんだ! ハッハ! 参ったか!」
と思うとライオンがおじさんに噛みつきます。「グルルルルル。ガオウ!」
おじさんからは血ではなく、日本酒が流れてきます。ライオンはそれを飲んで酔っ払い、奇妙な踊りを踊り始めます……。その踊りにツキノワグマが嫉妬し、タックルをお見舞いします。ライオンは空高く飛び、そこでカラスに変わります。おじさんはこれをチャンスと逃げ出します。そのランニングのフォームは完璧です。かと思うと虎がおじさんに噛みつきます。今度はおじさんからはビールが流れてきて……。
というのが一つの例です。え? イカれているって? いやいや。そんな。私ごときに……。そんなに誉めたって何も出ませんよ。
あなたも是非自らの内面を探索してみてくださいね!
それではまた! お元気で!
今年もあっという間に十一月がやって来てしまいました。私は十一月になると、ほとんど常にあの世のことを考えるのです。まあたしかにほかの時期もあの世のことを考えてはいるのですが、特に、です。
もちろんあの世のことを考えなくたって人はいつか死にます。そのことは重々承知しています。しかし、にもかかわらず、十一月の風や、日光や、匂いなんかが、私をそのような思考に導くのです。はい。
私の考えるあの世とはどちらかといえば観念的な場所です。あまり具象性を持っていない。死者たちは名前を持たず、はっきりとした言語も持ちません。その辺をフラフラと飛び回っています。一方でカラスだけがこちらとあちらを自由に行き来できるのです。カラスはときどきあっちの世界の情景を私にカラス語で教えてくれます。「カー、カカカ、カー」という風に。私はカラス語辞典を開き、なんとか理解します(Google翻訳はカラス語に対応していないので)。ああ、なるほど。今のは〈あちらでは不吉な風が吹いている。あの世の役人が何かに怒っている。死者たちは知らないふりをしている。新入りがやって来たが、まだ死んだことに気付いていない。線香の匂いが漂っている。光が現れ、消えている。それは人工的なものではない。あの世の時間は歪んでいる。個人的な記憶がやって来ては、別のものに変わる。その瞬間奇妙な匂いを放つ。我々カラスはそれに耐えられない。一羽、仲間が死者に捕えられた。そして頭を切り落とされた。我々は供養として彼の肉体を食べた。我々は穢れている。しかし同時に、使命を帯びてもいる。死者からのメッセージ。太陽は二度沈む。しかし一度しか昇らない。生まれる前の母親は誰か?〉ということだな、と理解するのです。
え? 意味が分からない? いやあ、しかしカラスですからな。ここまで分かっただけでもよしとしましょう。私はこれからその謎のメッセージの解明に挑むことにします。生まれる前の母親は誰なのか? さて、チクタクチクタクと時間は過ぎ去っていきます。意識を保っていられる時間もそう長くはありません。では、さようなら。またお会いしましょう。お元気で……。