ロードバイクで、東京から宮城の実家に帰る(往復:954km:5日間)

 そう、すべては眼科から始まったのだ。

 たしか去年(2024年)の11月の終わりくらいに、ハードコンタクトの定期検診のために眼科に行った。僕は左目だけが悪くて(円錐えんすい角膜という症状らしい)、その数ヶ月前に新しくコンタクトを作ったばかりだったのだ。そして定期検診。眼科までは3kmほどの道のりで、電車では一駅だけれど、歩くと遠い。ということで久しぶりにママチャリで移動することにした。天気が良くて、秋の終わりで、空気が乾燥していて……なかなか気持ち良かったことを覚えている。最近はあまりママチャリにも乗らない生活を送っていたので、「自転車に乗る」という行為が新鮮に感じられたのだ。そしてそのときにふと「ああ、ロードバイクで遠乗りしてみるのも悪くないな」と思った。部屋には父から譲ってもらったロードバイク(イオンバイクが発売していたKAGRA-R1というモデル)がほとんど乗られずに置いてあった。一応ライトとかヘルメットとか鍵とかは買ってはいたけれど、いちいち外に出すのも面倒くさくて、置き物化していたのだ。それに乗ってみたらどうだろう、と思ってしまった。

 一度思い付くとなかなかその想念から離れられない。僕の悪い癖である。もしかしたら休みをもらって……そう、実家の宮城県までまた●●自転車で行けるかもしれないぞ、と思う。僕は2023年の5月に一度ママチャリで八王子——仙台間を走っている。あのときはたしか380kmほどの道のりだった。夕方4時半くらいに出て、寝ずに漕ぎ続け、膝を痛めながらも次の日(正確には次の次の日)の午前3時くらいに到着した。34時間半(休憩込み)かかったと記憶している。あのときはママチャリだったからすごく身体がキツかった。車体は重いし、荷物も多かった。途中で(たしか福島県あたりで)すごく軽そうなロードバイクに乗った人々にあっという間に追い越された。ああ、あれをいつか買いたいな、と思ったものだ。だとすると……今やってみるしかないじゃないか、と思う。ということでとりあえず出発日を2ヶ月後に設定し、練習を始めることにした。

 問題はいろんな装備を揃えるのにお金がかかることで、最終的には5往復とか6往復できるくらい(新幹線で、ということですが)コストがかかってしまった。追加の鍵、SPDペダル、シューズ、冬用のウェア、タイツ、バッテリーが長持ちするライト、予備のライト、サドルバッグ、フレームバッグ、輪行袋……数え上げればキリがない。途中「何をやっているんだろう、俺は?」と思うことも多々あったけれど、一度進み始めてしまった歯車を元に戻すのは難しい。心情的に、もうやり切らないと収まらない、という感じになってしまったのだ。いやはや。

 それで12月の2週目あたりから乗り始めて、基本的には毎週土曜日にロングライドをこなしてきた。一覧がこれである。

・12月14日(土)八王子→多摩サイクリングロード往復(112.79km)

・12月21日(土)八王子→奥多摩湖→風張かざはり峠→八王子(121.41km)

・12月28日(土)八王子→荒川サイクリングロード起点→終点(熊谷市)→八王子(236.96km)

・2025年1月3日(金)から4日(土)八王子→大手町読売新聞社前→箱根→読売新聞社前→八王子(338km)

・1月11日(土)八王子→山中湖→ヤビツ峠→八王子(192.69km)

・1月18日(土)八王子→甲府(青梅街道経由・柳沢峠)→八王子(230.24km)

・1月25日(土)八王子→奥武蔵グリーンライン→奥秩父→八王子(212.45km)

・1月31日(金)から2月1日(土)八王子→江戸川サイクリングロード起点→利根川サイクリングロード終点(群馬県渋川市)→八王子(369km)

・2月8日(土)八王子→平塚→城ヶ島→横須賀→八王子(201.62km)

・2月15日(土)八王子→狭山湖→八王子(64.52km)

 

 その間にも平日に17kmとか18kmくらいの距離を乗ったこともあった。まあまあ……初心者にしては結構乗っていたと思う。その間に自転車用の筋肉を付け、あの前傾姿勢に慣れ、ビンディングペダル(ペダルと靴がくっつくやつ)の扱い方に習熟する必要があった。プラス、冬の寒さ●●●●。普通の人は冬の夜に峠越えなんかやらないのだろうけど、僕としては時間がない。2ヶ月でロードバイクに慣れなければならないのだ。ということで闇夜の中を何度か峠越え(下り)することになった。特に1月18日に甲府に行ったときには寒かった……。柳沢峠というところを通ったのだけれど、行きに登り、帰りにも登った。膝とももが悲鳴を上げている。でもここまで来たからには自力で登り切るしかない。途中で日が暮れてしまう。ゆっくりゆっくり登っていく……とここまでは良かったのだけれど、下りがものすごく寒い。あとで確認してみるとたしかマイナス4度くらいだった。その中を汗をかいた身体で急に下っていくのである。しかもこのルート(青梅街道)は行きはずっと上りで、帰りはずっと下り、という道だったので、ものすごく寒い。自転車というのは漕いでいるうちは身体が暖まるのだけれど、漕がないと急激に冷える。カイロを何枚も貼って、手袋の中にも無理矢理突っ込んで(そうしないとかじかんでブレーキが握れなかったのだ)、かろうじて生きて帰ってきた。いやあ、よかった。熱いシャワーを浴びても身体の芯の冷えがなかなか取れなかったことを覚えている。

 そんな経験をすると「もう二度とこんなことするもんか」と思うのだけれど、一晩寝て起きてしまうと「ああ、あそこをこう改善すればもっと快適に乗れるかもな」とか考えている。懲りない男である。ということでこの挑戦は継続することになった。

 甲府、奥武蔵むさしグリーンラインというのはものすごい登坂高度で(少なくとも僕にとっては、だけれど)、かなり鍛えられたと思う。僕の使っているサイコン(Bryton Rider420)によれば、甲府のときが3,722m、奥武蔵→奥秩父のときが3,291mである。ちなみにこれは100m上って100m下り、また100m上ったら「200m」と計算する(要するに足し算していく)上った高度の積算値である。峠を最も軽いギアでゆっくりゆっくり上っていく……というのはなんだか亀さんになったみたいな気分だけれど、上ったあとの爽快感は素晴らしい。下りの寒さは如何いかんともしがたいけれど。

 とにかく、そうやってなんとか鍛えていった。江戸川サイクリングロードの起点(要するに海の近く)からずっとさかのぼって、利根川に合流し、利根川サイクリングロードの終点(群馬県渋川市というところにある)まで行ったときには、あまりの距離の長さに膝を痛めてしまった。金曜の夜にバイトを終え、そのまま22時頃に出発して、寝ないで漕いでいた。いやあ、ものすごく寒かったなあ。寒すぎて、身体を温めるために(止まって休憩しているだけで一気に冷える)ずっと漕いでいたからそれが良くなかったのかもしれない。いずれにせよ一度痛めてしまうとなかなか復活しない。今回は輪行かな——つまり電車で帰るということ——と覚悟もしていたのだけれど、利根川サイクリングロードの終点の吾妻あがつま川公園に来たときに、「まあ行けるところまで行ってみようじゃないか。帰りは下り基調だし、追い風だから」と思って、なんとか漕いでいるうちに、それなりに進むことが判明した。痛めている右足はほとんど使わずに(つまり体重を乗せずに)、かなり不格好だけれど、左足だけで進んでいく。ときどきお尻を浮かせて休めながら……。それで369km走った。これは鍛えられたけど、「膝の痛み」という懸案事項を抱え込むことになる。本番までに治らなかったらどうしよう……。

利根川サイクリングロード終点。吾妻川公園。

 翌週の三浦半島一周(予定)コースでも痛みは再発してしまった。ネットでいろいろと調べて対策は練っていたのだけれど……。つまりサドルの高さをミリ単位で調整し、股関節のストレッチをやるのだ。股関節で漕いでいる限り膝にあまり負担はかからない。初心者はどうしても膝に力を入れてしまうらしい(要するに大臀だいでん筋を使うべきなのだ。大きな筋肉)。あのときはサドルを低くしたのだけれど、今度は先週とは反対の左膝が痛くなってきてしまった。まったく……。おそらくは僕の場合右脚がちょっとだけ短くて(数ミリなのだけれど)そのせいで右脚に合わせると左が痛くなり、左に合わせると右が痛くなる、というジレンマに陥ってしまっていたのだ。なんとかしよう、と思って調べてみると、あった●●●クリートウェッジという部品があって、これでミリ単位で靴の高さを変えられるらしい。こんなプラスチックの部品で(原価いくらだよ、と思うのだけれど……)5,000円越えって、高くないか? まあ仕方ないよな……ということでAmazonで買いました。結果これはうまく機能したと思う。右の靴底を少し高くして、サドルの高さは左に合わせた。プラス、これは「カント角」という足首の角度もうまく調整してくれるらしく、きっとこれがなかったら今回の旅も走り切ることはできなかったと思う。5,000円。うん、高いけれど……。

 それで、本番の前の週は膝を痛めるのが怖くて狭山湖に行くだけにして(久しぶりに土曜の日中に帰ってくることができて気持ち良かった。いつもは早朝に出て、夜遅く帰ってくるという感じだったので)、平日はチェーンの清掃をしたり、おかしくなったリアディレイラー(つまり後輪の変速)の調整をしたりしていた。You Tubeで詳しい解説動画があって、なかなか役に立った。ただ初心者がやるとなるといろんな問題が出てきて……かなり苦戦しましたが、それでも自力で直せると結構嬉しい。「俺は作家志望で、本当はこんなことに時間を使っている場合じゃないんだけどな」という思いもありましたが。

 もちろんその間も筋トレしたり、料理したり、小説を書いたりしていました。小説を書いていると、自転車のことなんかどうでもよくなってくる。俺のプライオリティーの一番手はこれなんだよな、と心が主張している。でも●●にもかかかわらず●●●●●●●●、この計画を実行に移したい。それもまた自分の本心でした。ロングライドに出るようになってから、いろんな場所に自力で行って、いろんな光景を見てきました。山中湖から見る富士山。柳沢峠から見る富士山。三浦半島から見る富士山(なんか富士山ばっかりだな……)。それ以外にもたとえば箱根の温泉街とか、小田原の街とか、甲府とか、秩父とか、多摩川から見る野球少年たちの動きとか、川沿いのでかい謎の工場とか、山の中の民家の庭で一休みしているおばあさんとか、相模原とか、茅ヶ崎とか……いろんな「パッとしない光景」を自分の中に溜め込むことがなぜか重要だったような気がします。八王子周辺でランニングしているだけでは絶対に見ることのできない光景。単なる住宅街でも構わないのです。「どこか、ここではないところ」に行きたい、という思いが自分の中に溜まっていたのかもしれない、と思う。そういった人間にとって、自転車で移動することは結構有効な手段となります。でかいトラックに追いかけられるのはなかなか辛いけれど……。

柳沢峠から見た富士山。この時点ではまだ暖かったけれど、帰りが寒かった……。

 ということでようやく本番です。10日ほど前にたしかかなり強い寒波がやって来ていて(「今季最強」と言われていましたね……)、日本海側では大雪が降った。でも今のうち来てくれればきっと本番の頃には去ってくれるはずだ、と期待していたのですが……そうは行かず、また寒波がやって来てしまった。いやはや……。

 でも天気予報を見るに、僕の予定しているルートでは大雪はなさそうだ……ということで予定通り出発することにする。2月21日の金曜日の朝に出発し、そのまま寝ずに漕ぎ続けて、翌22日土曜日の夕方くらいに目的地に着ければ、というのが計画だった。出発地点は八王子で、ゴールは実家のある宮城県栗原市である。去年までの勤務先と、おばあちゃんの家という「寄り道」の予定があるので(まっすぐ帰るよりは少し距離が伸びて)、事前に作ったルートによれば計480kmになる。480km……。僕がこれまで走った最長がママチャリで走破した380kmである。あのときも死にそうだったのに、いくらロードバイクとはいえ……本当に行けるのだろうか? もちろん心配はあるけれど、気合いでなんとか行けるっしょ、と都合良く自分を励ます。そもそも簡単なことだったら面白くないもんね……。でもいろんな知り合いの方々が心配してくれて(特に凍結や寒さについて)、道中無事を報告するメッセージを送り続けることになる。ご心配をおかけしてすみません……。これだけ身を案じてくれる方々がいる、というのもきっと幸せなことなんだろうけど。はい……。

 出発したのが午前6時過ぎ。まだまだ寒い……。でも甲府に行ったときに比べれば余裕さ、と思いながら漕ぎ始める。ちなみにルートは国道4号線を北上しよう、というものである。雪がひどかったら6号に変える(こちらは海沿いである)という選択肢もあったのだけれど……なんとかなりそうだったので、当初の予定通り、4号ルートを行くことにする。とはいっても八王子スタートなので、実際に国道4号に入るのは茨城県古河こが市に入ってからで(僕はずっと「ふるかわし」だと思っていたのだけれど)、それまでは昭島あきしま福生ふっさ瑞穂みずほ町→入間いるま狭山さやま→川越……と進んでいく。サイクリングロードが近くにある場合はそれを使う。今回は入間川サイクリングロードを通った(ここはママチャリで帰ったときも使った。懐かしい……)。

八王子市役所前。夜明け。午前6時38分。

 荷物が重い●●●●●。僕はお金がないので(そしてケチなので)可能な限り補給食を事前に準備して持っていこうと思って、大量のおにぎりと(鶏肉と舞茸とニンジンが入った炊き込みご飯を作りました)サンドイッチ、安く買ったチョコレートなんかをリュックやフレームバッグ、サドルバッグ等に入れていた。夜寒くなったときのための水筒。いざというときのための輪行袋。レインウェア。その他諸々もろもろ……。ということで肩と腰が痛くなってくる。でもちょっとずつ補給していくと(自分自身は重くなるけれど)荷物はだんだん軽くなっていく。その感覚も結構好きで、まあ我慢しながら進んでいくことになる。

 始めのうちはあまり語るべきこともない。ただ進んでいく。この時点であまり距離のことを考えても仕方がない。何枚も重ね着をしていたのだけれど(ロードバイクにおいては重ね着・細かな体温調節が必須である)日中は上りで暑くなって、一番上を脱ぐ。コンビニに寄ってトイレを借りる。駐車場で(あるいは公園で)自分の持ってきたおにぎりを食べる……。古河市に入ったところで新4号の側道に入る。これは前回は通らなかったルートで、ネットで調べておいたものだ。新4号そのものは「高速道路」と化しているが、その側道はほとんど車の通りがなくて、快適に進めるとのことだった。そして実際にその通りだった。このまま宇都宮までひたすら北上する。本当にたまに車が通るけれど、それ以外は全然人通りがない。ただ向かい風がひどかったことは閉口したけれど。宇都宮を過ぎたあたりで日が暮れた。

川越で見た猫。
利根川を渡って茨城県に入る。この川沿いの道を、僕は3週間前に走っている。
新4号の側道はこんな感じ。ずっと宇都宮まで続いている。

 夜になったところで、くっつけていたカイロたちを更新する。全部引っ剥がして、新しいものを貼り付ける。おなか2枚、背中2枚。手首に巻くやつ足の甲に付けるやつ。プラス、靴とシューズカバーの間にも入れる(マグマミニ)。最後の方は寒くなって脇腹にも付けたような気がする……。いずれにせよカイロは必須です。これがないと低体温症になりかねない。

 それでところどころ休憩を入れながら、漕いでいきます。幸い雪は降っていない。しかし那須から白河に進んでいくところで標高が上がり、ものすごく寒くなる。覚悟していたことではあったのだけれど……。ちなみに大田原市から一度4号を離れ、国道294号線を進んでいく。ここが「おすすめの道」だという情報があったので。別に4号に恋をしているわけではないので、できることならそこから離れたルートを取ってみたい……というのが希望だった。

 いずれにせよ寒い。もう真夜中になっていて、お星様が僕を見下ろしている。案の定上っている間はなんか耐えられるのだけれど、福島に入って下っているときが辛い。コンビニがあるたびに寄って、トイレに行って、何か温かいものを食べることにする。カップラーメンとか。クラムチャウダーとか。もちろんその瞬間は良いのだけれど、疲労と寝不足で(そういえば金曜日もなんだかんだで3時間半睡眠で出てきたのだった。身体に悪いね。たしかに……)消化器系がやられている。すぐに胃もたれがやって来る。しかし食べないと気持ちが落ち着かない。というか実際に●●●それだけのカロリーを消費していたのだと思う。プラス、寒さもある。人間は寒いと熱を発するために普段よりも多くのカロリーを消費するらしい(とどこかで読んだ。そして実感としてもそうだと思う)。気持ち悪さを抱えながら、なんとか進んでいく。朝日が待ち遠しい。「あと何時間で朝日が昇るのか」と計算する。なんとかこの闇を乗り越えれば……。

暗闇の中福島県に入る。午前2時49分。那須町から白河市へ。途中トンネルで手袋を三重にしようとしていたら(二重でも寒かった……)通りかかった車のドライバーさんが止まって、わざわざ降りてきてくれた。「大丈夫ですか?」と声をかけられた。「大丈夫です」と言っておいたけど。どうもすみません……。

 朝日が見えてきたのがたしか福島県鏡石かがみいし町のあたりで、そのときはすごく嬉しかった。幸いまだ膝は動いている。ただ立ち漕ぎをすると怪しい痛みが発生するので(特に左脚)、立ち漕ぎはしないで進む。このときの問題点はお尻がひどく痛い●●●●●●●●ということである。立ち漕ぎができれば、手は痛いけれど、お尻は休められる。でもそれができないとなると……結構辛い。「お尻議会」が紛糾している。ヤジが飛び、議長はボコボコにされ、警備員が銃を抜き……。というのは冗談です。はい。でもそれくらい大変だった。とりあえず下りのときなんかに隙を見てお尻を浮かせて休める。あとはひたすらペダリング、ペダリング、ペダリング……。

福島県鏡石町。午前6時25分。太陽のありがたみをひしひしと感じる。でも止まっている暇はない。漕いでいないとどんどん体温が奪われていく……。

 景色を眺めている余裕なんか正直言ってない。ただ進んでいくだけである。この時点で予定よりも結構遅れている。お昼までに仙台に着けば、という感じでいろんな人には報告していたのだけれど、まったくそんな時間には着けそうにない。いやはや。いずれにせよ進んでいく。こんなところで諦めるわけにはいかないからね……。

 だいぶ疲れてはいたのだけれど、たしか福島市に入って、4号を離れたときに、急に調子が上がった。阿武隈あぶくま川サイクリングロードを通ったときだった。車に追いかけられたり、歩道に逃げたりしながら走っていたのが(この歩道が状態が悪いんだ。本当に……)急に快適な道路を走れるようになる。雪はちらついていたけれど、すぐにやんでくれた。膝じゃなくて、ももで大きく回転させるように漕ぐ。それを――それだけ●●を――意識する。自分は「腿上げ隊長」なんだと言い聞かせる。「隊長!」と実際に声に出してもみる。「あなただけが頼りなんです。あなただけが! 隊長! 眠っている場合じゃないですよ! 隊長!」

 完全に不審者である(笑)。でもそうでもしないと意識をまともに保っていることができない。そんなことを続けているうちに……ふっと抜けた●●●のだ。福島市のあたりで。急に楽になった。これじゃあ帰りは輪行だな、と思っていたのが、「あるいは帰りも乗って帰れるかも」とか考えられるようになった。脚が●●動く●●のだ! しかもそこまで無理をせず。まあとにかく進む。腿上げ隊長は気力を取り戻している。伊達橋から東に進み、そのまま国道349号に入る。ここもまたネットで事前に調べていたルートだ。4号を行くよりもずっと快適らしい……。そして実際にそうだった。車の通りも少ないし、川沿いのルートで景色も良い。県境を越えてしまうと俄然がぜん元気が湧いてくる。「宮城県だ! 宮城県ですよ、隊長!」と自分で自分に声をかける。当の隊長は寡黙に脚を回し続けている……。

阿武隈川サイクリングロード。福島市。13時10分。
ようやく宮城県へ。15時08分。

 結局予定よりもかなり遅れて宮城県名取市にやって来た。ここでおばあちゃん、および親戚の方々と会い、急遽親戚の方の家に泊めて頂くことになる。寒さと疲労でかなりボロボロだったので、助かりました。申し訳ありません……。ここまでで約36時間、384.78km走ったことになる。その後は温かい食事を取り、お風呂に入って、寝ました。丸太のように寝ました。翌日(2月23日、日曜日)午前10時40分に、また出発。ここから栗原市を目指します。

 4号を行くのはこりごりなので、そこから離れたルートを。前日は館腰たてこし駅から車で運んでもらったので、まずそこを目指す。駅の脇を抜け(これでとりあえずは全部自力で走ったことになるよな、と自分に言い聞かせて)、昨日の続き。去年までの勤務先に挨拶をして、海沿いのルートへ。フロントギアが外れたり、雪がちらついていたり、いろいろありましたが、なんとか漕ぎ進めていく。途中道の駅で東京へのお土産を買う。荷物をこれ以上増やすことはできないので、宅急便で送る。レジのおばさんは同じ栗原市一迫いちはさまの出身で、同じ小学校を出ていることが分かった(校舎は僕の時代には新しくなっていたから、違うはずだけれど)。東京から自転車で来たんです、と言うと驚いていた。「大学生なの?」「いや、実はもう30を越えていまして……」「全然そんなふうには見えないよ」

宮城県大崎市松山。鳴瀬川の夕陽。

 若く見られることをとりあえずポジティブに捉えることにして(全然成熟していない、ということの裏返しでもあるのですが、とにかく……)実家への道を進んでいきます。ここまで来ると気合いだ! ということで、腿上げ隊長も頑張ってくれている。結局この日は7時間半かけて99.73km走った(3日間で計484.51km。いやあ、長い……)。夕方に実家に着き、みんなと会話を交わして、食事を取る。さて、帰りはどうしよう……?

 輪行、という手ももちろん考えたのだけれど(というかそれがまともな選択肢なのだけれど)なんとか脚が動く限りは自力で走ってみたい、という思いがある。ということで翌朝(2月24日、月曜日)の朝7時13分に、早くも出発する。家族と過ごすことのできた時間はかなり短かったけれど、まあ仕方ない。この「移動」が今回の旅の主要な目的だったのだから。

 帰りは6号ルートを取ることにする。でもそれは岩沼市のあたりからで、そこまでは4号を進む(岩沼で分岐する)。栗原市から裏道を抜けて、大崎市古川で4号に入る。昔何度も車で通った道だ。問題はものすごく●●●●●寒くて凍結しているということ。しかも坂道だ。ここはそういえばよく夢に出てくるな。ブレーキを踏んでも全然効かないという夢(夢では車を運転している)。とにかく慎重に進む。転ばないように……。

 なんとか4号には出たものの、雪がうっすらと積もっている。走るのにはさほど支障はないけれど、とにかく泥が飛ぶ。自転車もリュックも(フェンダーを付けていないので)タイヤに付いた泥が跳ねてだいぶ汚れてしまった。いやはや。

 前日寄った勤務先にまた寄って(同じシフトで働いていた方々に挨拶したかったので)思いがけずもお土産をもらい(すみません……)再び出発。宮城県南部に入るともう雪も残っていない。だから泥も飛ばない。良かった良かった……。

 もう一つ良かったことは思っていたよりも脚が動くことだ。「腿上げ隊長」はまだ元気だし、「立ち漕ぎ支隊長」も復活している。これは思いがけないことだった。立ち漕ぎができればお尻を休ませることができる。ただ立ち漕ぎをすると手に体重がかかるため、親指の付け根あたりがかなり痛むのだけれど……まあそこは仕方ないですね。進めるだけ良しとした方がいい。

 持ってきていた補給食たち(お菓子やゼリーなんか)はどんどん減っていく。差し入れでもらったプロテインバーなんかも減っていく。食べれば食べるほど胃もたれはひどくなっていくけれど……食べないと身が持たない。胃薬も飲む。効果は……あるのかないのかよく分からないけれど、きっとないよりはマシだろう……。そのまま進み、国道6号に入る。南相馬市のあたりで日が暮れたような気がしている(記憶が定かではない)。もう何も心配する必要はないから、持てる体力を全部注ぎ込むんだ! と思って漕ぎ続ける。隊長はまだ生きている。

福島県相馬市。17時02分。この少し先で完全に日が暮れた。
これも相馬市。宇多川の夕陽。

 原発事故があったあたりを進む。道路の状態は4号よりもずっと良い。バカでかいトラックたちが追い越していく。でももちろん深夜は交通量は少ない。寒いけど、行きの4号よりはずっとマシである(0度かマイナス1度くらいか)。それでも温かいものを補給していく。コンビニや、すき家なんかで。ここで問題になったのが眠気だ。そもそも出発した金曜日からずっと寝不足だったため、かなり眠い。しかしカフェインを取ると胃にダメージが来るし、何よりもトイレが近くなる。だからずっと我慢していたのだけれど、このあたりで解禁する。もうダメだ、と思う。カフェインの力を借りなければ、漕ぎながら眠り込んで、あのデカいトラックたちにぺしゃんこに引き潰されかねない。そして実際にフラフラしていて歩道の脇にあるポールにひどく肩をぶつけたりもする。いやあ、参ったな。ということでローソンでコーヒーを飲む。

 おかげでちょっと復活した。深夜勤務のなかなか格好良いお姉さんが外でタバコを吸いながら(ちょうど休憩時間だったらしい)「お気を付けて」と言ってくれる。そういった一言が僕を勇気付けてくれる。なにしろ寒くて暗くて恐ろしく孤独だもんな。頭を下げてから、また道路に出る。いわき市のあたりが帰りの中間地点(235km)だったのだけれど、「ここが中間地点だ。まずはそこを目指そう」と決意すると……なかなか近付かない。だから青い交通表示を見て、とにかく次の町、次の町と目指していくことになる。たとえば浪江町まで何km、双葉町まで何kmというように……(原発事故の報道でよく聞いた町々を通り抜けていく)。そしてようやくいわき市に入っても、そこからが長い。「寒い! 長い!」とときどき声に出して文句を言いながら走る。やっぱり不審者だけれど、まわりに誰もいないので通報する人もいない。まあ普通の人間は——普通の思考能力を持った人間は、という意味ですが——こんな夜中に一人で自転車で走り続けていたりはしない。それも5日間で二度目の徹夜である。頭がだんだんフラフラしてくる。大丈夫かな? と心配になり始める。でもここまで来ちゃったら進むしかない。腿上げ隊長! 頑張って腿を上げろ! 膝を押すんじゃない! 腿を上げるんだ!(ペダルと靴がくっついているので、引き足で進むことができる。それは僕の中で「腿上げをし続けている人」というイメージに結晶する)

 再び夜明け。いやあ、嬉しかったですね。太陽のおかげで僕らは生きてるんだ、と本当に思う。たしか茨城県の日立市だったと思う。お日様が出てくると眠気も一時的に退却してくれる。とりあえず水戸を次の目的地に定めよう、と思う。幸い脚はまだ動いている(自分でも驚きだったのだけれど)。そう、辛抱強く……。

最後の夜明け。茨城県日立市。すごく嬉しかった……。

 たしかこの辺から「東京まであと何km」という小さな表示が現れる。これを減らしていこうぜ、と自分に言い聞かせる。まだあと100km以上あるけれど……。

茨城県小美玉市。まだあと90km。しかも日本橋まで。長い……。

 問題はその「東京」というのがおそらくは起点の日本橋のことで、そこから八王子まで50km近くあるということである。でもそのことはとりあえず考えない(ように努める)。いやあ……ここからが長かったですね。休憩は極力入れたくないけれど、カフェインを入れないと頭がフラフラするし、炭水化物も摂取しないといけない。コンビニでいろいろ食べたり、あるいはたまたま通りがかったデパートのフードコートでラーメンを食べたりする(美味おいしかったけど、胃がもたれた……)。お店で普通の生活をしている普通の人たちを見ていると、自分がそこから遠く離れた場所にいる「異邦人」みたいに思えてくる。俺はいったい何をやっているんだ? と心から思う。でもその孤独を噛み締めながら、また出発する。とにかく何かを考えるのは到着したあとにしよう、と決意する。今はまずは東京を目指すんだ。茨城県を脱出して……。

 千葉県に入ったときはすごく嬉しかった。そして東京……。予定よりも大幅に遅れている。明日の午後からバイトだ。でもそんなことは気にするな。とにかく生きて帰るんだ。それが先決じゃないか……。

千葉県松戸市の夕陽(17時15分)。あとちょっとだ……。ちょっとで東京だ。そのあとのことは……まだ考えない。

 ということで都心にやって来る。はるばる6号を辿ってこんなところにやって来たんだな、としみじみ実感する。あの福島県の、広くて誰もいなくて恐ろしく孤独だった道路から、こんなに人がいっぱいいる東京にやって来たんだ! と感慨に耽る。でも脚は動かし続ける。皇居の近くを通って、新宿の前を通って(人がたくさん信号待ちをしていて、なんだか不思議な気持ちになった。別の惑星にやって来たみたいな)、国道20号(甲州街道)に入る。あとはひたすらここを辿っていけば……家に着ける! でもひどく眠い。都心の道路は平らで、気持ちが良くて、漕ぎながら何度か眠り込んでしまいそうになった。これは危ない……ということで、コンビニでコーヒーを買う。何度もトイレに行く。胃もたれがまたひどくなる……。でも仕方ない。生きて帰り着くことが先決だ!

 ここからがすごく長く感じられた。調布、府中、日野……。元気であればなんということもない距離なのに、ここまでの疲労が合わさって、僕の意識を――身体を――痛めつける。八王子まであと20kmを切ったところでも、まだ油断できないぞ、と思っている。どこかで眠り込んで車に轢かれたら、そこで人生終わりなんだからな! と自分に言い聞かせる。「隊長! あとちょっとですよ! こんなところで死んでいいんですか!」。いいわけない。だからひたすら脚を動かし続ける……。そのうち見覚えのある景色がやって来る。でもまだ油断できないぞ。あと3km、2km、1km……。

 ということで、なんとか帰ってきました。午後10時半……くらいだったような気がする。始めのうちは自分でも生きて帰ってきたことが信じられなかった。鍵を開けて、なんとか自転車を部屋の中に運んでしまうと……そこには僕の部屋……らしきものがある。らしきもの●●●●●。たしかに見た目は似ているけれど……本当にそうだろうか? なんか近くの別の世界に入り込んでしまったみたいな感覚がある。間違っていないよな、と思って、たしかめてみる。うん、間違っていない。もういいから早く寝ようぜ。シャワーを浴びて……。

 いろんな方々に「無事到着しました」という報告をして、シャワーを浴びて歯を磨いて、寝た。翌日はなんとかバイトに行ったけど、かなり頭はフラフラしていた。左の膝の裏が痛くて、普通に歩けない(まあ当たり前か……)。結局帰りは469.67km走った。かかった時間は休憩・信号待ち込みで39時間ほど。予定よりもずっと遅い。でもまあ無事に帰れただけで良しとしようじゃないか。往復では5日間で954.18km走りました。かかった時間は合わせて82時間半(行きは3日間で43時間半かかった)。いやあ……長かった。精神的な修行みたいなものだよな、と思う。でもとにかく最初の思い付きを(かなりの時間とお金とエネルギーをかけて)やり切った●●●●●、という爽快感みたいなものはある。この文章を書いている時点で――4日ほど経過しているのですが――まだ身体が痛くて、眠気が取れていませんが、それでも。

 果たして僕は向上したのか? よく分かりません。いろんな光景を目にしてはきたけれど、それについて考えを巡らす余裕まではなかった(隊長を鼓舞するのに忙しかったので)。自然にどこかに沈滞して、自然にいつかポッと――たとえば小説を書いているときなんかに――出てくれたらな、と思っている今日この頃です。あとしばらくは自転車には乗らずに小説に集中したいと思います。あまりにも時間とエネルギーを取られてしまったからな。ここから挽回しなくちゃ……。

 ということで、皆様。運動はほどほどにしておいた方がいいと思います(笑)。そういえば今回の挑戦のために2ヶ月で4kgほど痩せた。ロングライド、プラス食事制限で。目に見えて脂肪は減っていた(こんな体重になるのは10年ぶりくらいでした)。主に坂を膝に負担をかけずに上るためだったのですが……。でも帰ってきてからかなりの勢いで食べているせいで――食べないと身体が納得してくれない――急速に戻りつつあります。いやはや。まあでも仕方ないですね。膝が治ってからまたランニングを再開すればいい。それまではウォーキングをするか、あるいは力士体形になるまで食べ続けるか……。まあそれはないと期待しましょう。「腿上げ隊長」は今は基地で休んでいるみたいです。「立ち漕ぎ支隊長」はパチンコをやっているみたいです。「お尻議会」はまだ紛糾しています。平和が一番ですよね。とにかく。それでは。また。

〈買って良かったものリスト〉

桐灰化学 【2個セット】めっちゃ熱いカイロ 貼るマグマ10個入:とても熱いカイロ。これがないと寒い夜のライドは乗り切れなかったに違いない。普通の安いカイロだと寒さに負けて全然暖かくなかった。お腹や背中、腿とか、いろんなところに貼っていた。

小林製薬 桐灰カイロ くつ下用 甲に貼る 黒 5足分入:足の甲に貼ることのできるカイロ。靴の中で邪魔にならない。正直そこまで暖かくはないけれど、やはりあるとないとでは差が出ると思う。

桐灰化学 巻きポカ 手首用 手首から指先までぬくもりが拡がる 手首ウォーマー(ホルダー2個+シート4個) :手首に巻くタイプのカイロ。甲府に行ったときにあまりにも手がかじかんで、ブレーキを握れなくなってしまった。それをなんとかできないかと思って買った。これもすごく暖かいというわけではないけれど、やはりないよりはあった方がいいと思う。手首なので、ブレーキ操作の邪魔をしない。

Protect J1 長時間持続型保護クリーム お徳用150ml:お尻に塗るクリーム。これがなければお尻の痛みでリタイアしていたかもしれない。何度も塗り直していた。塗り直すたびに保護膜を形成してくれる。高いかなと思ったけど、ロングライドには必需品かもしれない。

ギアトル サドルバッグ 5L:サドルの後ろに付けるバッグ。容量が大きくて、僕は輪行袋や、おにぎりなんかを入れていた。立ち漕ぎをしてもそこまで揺れは気にならなかった。

ギアトル トップチューブバッグ:トップチューブバッグ。小さいけれど、モバイルバッテリー(2台)を入れて、ここからケーブルを伸ばしてスマホを充電していた。ロングライドにはやはり必要だと思う(膝にもほとんど干渉しない)。

GORIX(ゴリックス) フレームバッグ:フレームバッグ。これもまた荷物を積むのに役に立った。細長いのでボトルに干渉しにくいし(ちょっと干渉するけれど、まあ取り出すのにそこまで支障はない)、膝にも当たらない。おにぎりとか水筒とか入れていた。リュックの荷物を少しでも自転車に背負わせることで、肩や腰の負担が軽くなる。

BIKEFIT(バイクフィット) クリートウェッジ Cleat Wedge (2穴:レッド SPD用):靴底とクリートの間に挟むプラスチックの板。これで一ミリ単位で高さ、および角度を調節できる。出先で調整できるようにツールボトルに入れておいた。これがなければ膝の痛みで走り切ることはできなかったと思う。僕は右足の方を厚くし(5枚重ね)、左足の方を薄くしておいた(2枚重ね)。左右で脚の長さ——というか正確には股関節の硬さによって差が出るらしいのだが——に違いがある人は結構いるそうなので、需要はあるのかもしれない。右足の方は付属のボルトでは長さが足りなかったので、ホームセンターで自分で長めのボルトを買った。そういえばそのときに余っていた「六角穴つきボタンボルト」(頭が丸まっているやつ)を始めに使ったのだけれど、締めてしまったあとにこれでは出っ張っているせいでペダルや地面に干渉すると気付いた。そこで外そうとしたら……ナメた。いやあ参りましたよ。頑張って外そうとすればするほどナメる。結局Amazonでこれ(ENGINEER エンジニア ネジザウルスGT φ3~9.5mm用 PZ-58 グリーン)を買って外すことができた。細かい溝が付いていて、ちょっとでも頭が出ていれば外せるみたいです。ああ良かった……(余計な出費)。

ニチバン バトルウィン セラポアテープ撥水(キネシオロジーテープ) 50mm×4.5m SEHA50:キネシオテープ。膝の痛みが不安だったので、これを使った。巻き方はYou Tubeを参考に。あるのとないのとではやはり違うと思う。帰りになんとか脚が動いたのもこれのおかげだと思った。なくなってしまったので、道中仙台のドラッグストアで同じものを買った。

 

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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