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こんにちは。マスコットのビギナー君です。
さて、ようやくのことで2024年がやって来ました。
2024年ですよ! 2024年!
どうしてそんなに興奮しているのかって? それは今年が閏年うるうどしだからです。
閏年には、僕の肌は少しだけ、例年よりもうるおうのです。そのような研究結果がDr. Wikipediaから報告されています。はい。
それで、その潤った身体で何をするのか?
それはもちろん「潤い音頭」を踊るのです。
うっるおう〜お肌には〜(ハーヨイヨイ!)
化粧水なんかいっらぬ〜(ドッコイショ!)
四年に〜一度の閏年(ソラ!)
ピッチピッチおっ肌でおっどりましょ(ヨイ!)
(このあとサイケデリックなギターソロが入る。ふんどし一丁の高齢男性たちがとぼしい髪の毛を振り乱して踊りまくる)
ってなものです。はい。実際はもっと狂気に満ちていて、2月29日にそれがピークに達します。死人も毎回何人か出ます。でも彼らは幸福なのです。「人生そのもの」を体験できるのですから。
ということで、みなさん。今年も良い年になりますように。それでは。

さて、ついに新しい年がやって来ましたね。私は実は百年前からこの年を心待ちにしていたのですが、それは専属の占い師がパリの街角で私にこう言ったからなのです。「あんたはこれから百年後に運命の人と出会うよ」と。彼女はそのときすでに120歳くらいにはなっていたと思いますが——運転免許証にそう書いてありました——それでもまだピチピチしていました。化粧水のおかげだったのか、あるいは閏年だったおかげなのか・・・。いずれにせよ、私はそのときあの狂騒の20年代をパリで過ごし(コール・ポーターと友達になりました。一緒に将棋を指したものです)、その後30年代の恐慌期をアメリカ南部で綿花を積んで過ごしました。そのあと20年間はヘミングウェイとボクシングをしながら過ごし、60年代にヒッピーになって(全裸で踊っていました。幻覚を見ながら)、70年代に東京に戻り、モーレツ社員となって会社のために働きました。80年代にインドに旅行し(クリケットのスター選手になるためです。なれませんでしたが)、90年代は山小屋の主人として、長野県で過ごしました。00年代に田舎の実家に帰り、そこで田んぼを作っていました。2010年代はアイドルになろうと一念発起し、ミニスカートにも挑戦したのですが、ダンスを覚えられず、挫折(閏い音頭なら踊れたのですが。ほぼ無意識に)。そして2020年代へと入っていたのです。はい。私はこれから運命の人を探す旅に出ようと思います。手始めに岩手県を探し、そのあとで青森県へと入る予定です。移動手段は「閏い音頭」です。もし道端で踊り狂っているピチピチのおじさんがいたとしたら、それはきっと私です。そんな私に臆せず話しかけられる女性が(女性とは限りませんが、とにかく)いたとしたら、きっとそれが私の運命の人なのでしょう。是非私の家で一緒にスマッシュブラザーズをやりましょう。私は当然、ドクターマリオを使いますが。それでは。

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