長い下りエスカレーター、及び哲学的なゴリラ

その頃僕は人生の重要な転機にいたのだと思う。もちろん当時はそんなことには気付かなかった。頼んでもいないのに次々にやって来ては去っていく一日一日をなんとかやり過ごすだけで精一杯だった。それはまるで長い下りエスカレーターを逆走し、ただひたすら上に登り続けるような日々だった。立ち止まることは許されなかった。一番下では深い闇が大きく口を開け、僕が落ちて来るのを今か今かと待ち受けていたからだ。ときどきそこからぞっとするような風が吹き上がってきた。その氷のような冷気は僕の背中にぴたりと張り付き、いつまで経っても(どれだけ動いても)消えなかった。

 

 

そのとき僕は二十歳で、大学の二年生だった。東北から東京に出てきて、小さなアパートで一人暮らしをしていた。大学では法学部に所属していた。でも特に法律に興味があったというわけではない。いずれ公務員にでもなるんだろう、と思っていたから法学部を選んだだけだ。もちろん本当はもっと熱意を持って勉学に励めればよかったのだと思う。でも残念ながら僕は、大学という機構の中になんら熱意を向けられる対象を見つけられなかった。でもまあどうせほかの学部を選んだところで大した違いはなかっただろう。

 

 

東京に来るにあたって僕が心がけたのは、外部の世界に過度な期待を寄せない、ということだった。大きく膨らんだ希望は、大きく膨らんだ失望をもたらすことになる。できることなら僕はそういう不毛な精神的消耗を避けたかった。ないものを見るのではなく、あるものを見なければならない。他人ではなく、自分に期待しなければならない。そう僕は自分に言い聞かせた。

 

始めの一年間はこの方針でだいたい上手くいった。もちろん気分の浮き沈みはあったし、つまらない失敗もした。自分の未熟さにつくづくうんざりもした。でもそんな中でも他人の悪口だけは言わないようにした。そんなことをしても心がすさんでいくだけだ。

 

しかしいつまで経っても友人を作ることはできなかった。もともとがそんなにしゃべる性格ではない、ということもある。しかしまわりにいる人々を見ていると、なんだか自分が外国人みたいに思えることがよくあった。彼らは独自のルールの下で、独自の言語を使って、独自のゲームをプレイしていた。それは奇妙に完結した世界だった。内部の人間にとっては全てが自明なのだが、外部の人間にとってはそこにある何もかもが不思議な角度にねじれているのだ。僕はそんな彼らの世界にも、彼らがプレイしているゲームにも興味を持つことができなかった。結局彼らは彼らの生活を続け、僕は僕の生活を送り続けることになった。

 

 

そのようにして最初の一年が過ぎていったわけだが、僕は当初の姿勢を維持していた。外部の世界に過度な期待を寄せない、という姿勢だ。もちろんそれ自体が間違っているわけではない。もしもう一度あの頃を生き直すとしたら、僕はきっと同じような姿勢で人生にのぞんだだろう。でももしかすると、どこかでバランスが狂ってしまっていたのかもしれない。針が一方の側に触れ過ぎていたのかもしれない。気付いたときには僕は、他人だけではなく自分自身にも期待を寄せられなくなってしまっていた。

 

どうしてこうなってしまったんだろう、と僕は思った。かつては僕にも熱意というものがあったはずなのだ。希望というものがあったはずなのだ。それはいったいどこに消えてしまったんだろう。僕はあらためて自分の内側を覗き、かつてそこにあったはずの熱意や希望を探し求めた。しかし僕がそこに見出したのは、誰もいない駅の待合室のような、がらんとしたもの寂しい空洞に過ぎなかった。

 

 

人生が長い下りエスカレーターのように思え始めたのもこの頃だ。気付いたときには僕はエスカレーターに乗せられていて、その下りて行くスピードに負けないように、ただ必死に階段を登り続けていた。一番下では暗い闇がぱっくりと口を開けていた。そのエスカレーターにはときどき意地悪く(としか思えないのだが)段ボール箱や何の役にも立たないがらくたが置いてあった。僕はなんとかしてそれをけながら上に登って行った。ときどきバランスを崩して転びそうになったが、その都度なんとか踏ん張って持ちこたえた。少し余裕ができたときに後ろを振り向き、そこで気付いたのだが、その段ボールやがらくたとは、かつての僕が大事に保管していた記憶の一部だった。それらの荷物は暗く深い闇の底にシュッという音を立てて消えていった。頭上からゴミが落ちてくることもあった。今思えばあれもかつての記憶の一部だったのだろうが、そのときの僕にはなんとかしてその状況を生き延びることしか頭になかった。だからその落ちてくるゴミやがらくたをどんどん踏みつけ、必死になって動く階段を登り続けた。かつての記憶たちは――誰にもかえりみられることなく――ただ深い闇に呑まれていった。

 

 

あれは大学二年の五月だったと思う。食堂で昼食を食べているときにその男に出会った。彼は僕に、向かいの席に座ってもいいか、と尋ねた。僕はかまわない、と答えた。

 

彼は自分は文学部の二年生だと言った。彼の顔には見覚えがなかった。どうしてこの男はよりによって僕の向かいの席にやって来たんだろう、と僕は思った。どうしてわざわざこの席でなければならなかったのだろう?実を言うとそのとき僕は少し迷惑に感じていた。できることなら一人で静かに昼食を食べたかったのだ。でも彼はそんな僕の気持には一切気付かず、どっかりと向かいの席に腰を下ろした。彼のトレイには大盛りのチキンカレーと水の入ったプラスチックのカップが三つ置かれていた。彼はイスに座ると、まず美味そうに二杯の水を飲み干した。そしてスプーンを持ち、獲物を狙う肉食動物のような目付きでプレート上のカレーを眺めた。彼の目は今異様なほどぎらぎらとした輝きを放っていた。こいつは一体何者なんだ、とそれを見て僕は思った。彼は混み合った食堂内において明らかにただ一人異彩を放っていた。まわりにいる人たちは皆一様に彼のことをちらちらと横目で見ていた。ちなみに彼の頭は、見事にりあげられたつるつるのスキンヘッドだった。

 

「その頭はどうしたんだ?」と僕は我慢しきれずに聞いた。

「この間鏡を見てて思ったんだ」と彼は言った。「髪の毛なんて邪魔なだけじゃないかってね。重いし、蒸れるし、伸びたらいちいち床屋に行かなくちゃならない。それならいっそ全部り落としてしまおうと思ったんだ。それでその場ですぐにった」。彼はそう言いながら一口につき何度も咀嚼そしゃくを繰り返す僕を見て不思議そうな顔をしていた。「なんでそんなにもぐもぐ噛んでるんだ?」

「一口につき三十回は噛むことにしている」と僕は言った。「そうすれば満腹中枢が刺激されて、食べ過ぎなくても済む」

「俺なんて一口につき三回くらいしか噛まないけどな」と彼は言った。そしてすごいスピードであっという間に大盛りのチキンカレーを平らげてしまった。「君きっと早寝早起きをして、毎日きちんと歯を磨いているんだろう」

「なんでそれが分かる?」と僕は言った。

「そんなの顔を見れば分かるさ」

「ちなみに毎朝シャワーを浴びてシャンプーもする」と僕は言った。

「俺だってシャンプーするよ」と彼は言った。「リンスだってつける」

「だって君髪の毛ないじゃないか」と僕は抗議した。

「そんなの全然関係ないね」と彼は言った。「とにかくシャンプーが好きなんだよ。それにリンスも好きだ。好きなんだから仕方がない。他人にとやかく言われる筋合いはない」。そしてつるつるとした頭を撫でた。

 

そのようにして我々は友達になった。

 

 

聞けば彼は文学部に所属しているものの、ほとんど授業には出てこないという話だった。

「あんなの時間の無駄だよ」と彼は言った。「人生は短いんだ。知ってるか、世の中には二種類の人間しかいない。時間を無駄にする人間と、無駄にしない人間だ。君はどっちになりたい?」

「そりゃあ無駄にしない人間になりたいとは思っているよ」と僕は言った。

「その姿勢が大事なんだ」と彼は言った。

 

 

しかしその言葉とは裏腹に、僕にはどうしても彼が時間を有効に活用しているようには見えなかった。彼の行動は常に衝動的で、落ち着きがなく、一貫性を欠いていた。あるときは抽象画を描こうとし、あるときは現代音楽家になろうとし、あるときは錬金術師になろうとした。そのとき彼は言ったものだった。「俺はもうすぐ賢者の石を発明するぜ」。でも長時間の試行錯誤の末出来上がったのは、茹で卵のようなの匂いのするずんぐりとした硫黄の塊でしかなかった。「なんか温泉に入りたくなってきたな」とそれを見て僕は言った。

 

 

僕らはつかず離れずという関係を維持していた。ぶっ通しで何時間もしゃべることもあれば、何週間も会わない時期もあった。僕らの性格は正反対と言ってもいいほどだったが、僕と彼は不思議とうまが合った。たとえくだらない話をしていても、ちょっとした言葉の端々はしばしから、我々はお互いの心を深いところで理解し合っている、という感じを抱くことがよくあった。

 

 

その年の九月に会ったとき(どういう経路を辿ってそういう判断に達したのかまったく理解できなかったのだが)、彼は自分はゴリラになるべきだという結論に達していた。

 

「今日も動物園で観察してきた」と彼は興奮した面持ちで言った。「あの落ち着きって言ったらないね。威厳と、美しさが同居している。人間はみなすべからくゴリラになるべきなんだ」

「心にゴリラ的なものを持つ、という意味じゃなくて?」と僕は聞いた。

彼はそれを聞くと実にゴリラ的に憤慨した。「いいか、君はなんにも分かっていない」と彼は言った。「ゴリラ的なるものは心の中にあるんじゃない。身体の中にあるんだ」。そして低い声でうなり、両手を使ってボコボコと胸をドラミングした。

 

 

その日彼は僕の家に遊びに来た。彼が僕の部屋にやって来るのはそれが初めてだった。彼が興味深そうに部屋を眺めている間、僕は手動ミルでガリガリと豆を挽き、彼のためにコーヒーを淹れた。

「相変わらずまめな男だね君は」と彼は言い、僕の淹れたコーヒーをすすった。「うん、良い香りがする」

「でもゴリラがコーヒーなんか飲んでもいいのか?」と僕は聞いた。

「ゴリラだってコーヒーくらい飲むさ。たまにはね」と彼は言った。そしてかばんからまだ青いバナナを取り出し、皮をむいてむしゃむしゃと食べ始めた。

「それで、いつまでそんなことをしているつもりなんだ?」と僕は聞いた。

「そんなことって?」と彼は言った。

「そのゴリラごっこさ」

「俺は本気だぜ」

「まあいいさ」と僕は言った。「これは君の人生だ。君の好きに生きればいい。でもさ、ときどき思うんだよ。君は結論を急ぎ過ぎているんじゃないかって」

「そんなことはない」と彼は言った。「俺は日々前進している。失敗から色んなことを学んでいるんだよ」

「じゃああの錬金術から何を学んだ?」

「それは・・・」

「抽象画は?現代音楽は?だいたい抽象画のはずなのに君は消しゴムの絵ばかり描いていたじゃないか」

「あれは消しゴムのイメージをいったん分解して、抽象的に再構築したものなんだ」と彼は言った。

「まあいいさ。でも――これは君のことが好きだからこそ言うんだけど――このままじゃきっと、君はいつまで経ってもどこにも行きつけないんじゃないかな」

 

彼はそれを聞くとじっと黙り込み、少しだけ髪の毛の生え始めた頭を撫でた。そして言った。「そうだな、少し焦り過ぎている部分もあったかもしれない」

彼はそこで一度天井を見上げ、続けた。「でもね、それを言うなら君はどうなんだ。部屋にこもって本ばかり読んでいる。君の方こそそれでいいのか?」

「もちろんこれでいいと思っているわけじゃない」と僕は言った。「はっきり言って君の言うとおりだ。でもね、なんでもいいからとにかく行動すればいい、とは思えないんだ。まあだからと言って何をすればいいのかも分からないんだけど。今は自分でも何がなんだかよく分からないような状態なんだよ」

 

僕らはそこで二人とも黙り込んだ。気持ちの良い風がレースのカーテンを揺らし、窓の外から小さな子どもの遊び声が聞こえてきた。「俺もかつてはあんな風に無邪気に遊んでいたのにな」と彼は言った。「あの頃はよかった。なんにも考える必要なんてなかった。ただ毎日気の向くまま騒ぎまわっていればよかったんだ」

「今でも十分無邪気だよ」と僕は言った。もちろん褒め言葉として言ったのだが。

「まあね。でもときどき君のことがうらやましくなるんだ。君はほかの奴らとは違っている。いつも落ち着いていて、自分というものを持っている。俺とは大違いだ」

「自分というものなんて持っちゃいないさ。落ち着きだってない。ただそういう振りをして、格好付けているだけなんだよ」

 

 

「なあ」とやがて彼は言った。「なんだか暗い気分になってしまった。どうしてこうなっちゃったのか自分でも分からない。俺は健康的なゴリラとしてこの部屋に来て、健康的なゴリラとしてこの部屋を出て行く予定だった。それなのにずんと沈み込んでしまった」。そこでまた頭を撫でた。「こんな気分のままのこのこと帰るわけにはいかない。それは俺のポリシーに反する」

そこで彼はまっすぐ僕の目を見つめた。「だから何かお互いの好きなものについて話そうじゃないか」と彼は言った。「まずはそこから始めよう。そしてこのうじうじから抜け出すんだよ。君は一体何が好きなんだ?」

 

僕は少し考え、頭に浮かんだ好きなものを列挙していった。「そうだな、まずは本を読むこと。大体が外国の古典文学だ。ドストエフスキーは好きだよ。面白くて、深くて、なおかつ優しい。ゴーゴリもいいな。彼は独特のユーモアのセンスを持っている。日本のものでは夏目漱石が好きだ。彼は徳義というものを大事にしていた。でもそれを人に押し付けたりはしなかった。彼の考える徳義とは、固まった教条主義的なものではなく、もっと柔軟で生き生きとしたものだったからだよ。

あとは音楽が好きだ。まだそんなに詳しくはないけれど、モーツァルトやベートーベンやブラームスを聞いた。音楽の良いところは頭で何も考える必要がない、ということだ。

そうだな、それに運動することも好きだよ。たまに部屋の中で腕立て伏せや腹筋をやる。汗をかくと身体に溜まっていた嫌な気分が抜けている。

あとはパンケーキが好きだ。焼き上がった後の匂いがたまらない。でも最近は食べ過ぎないように注意している。なんといってもカロリーが気になるからね。

あとはそうだな、野菜とか、果物とか、山とか、川とか、夏の青空とか、冬の朝に雪が積もっていて、何もかもが真っ白な光景とか、そういうのも好きだよ。まあこんなところかな」

 

 

「そうだな、俺は動物が好きだ」と彼は言った。「どんな動物でもいい。犬でも猫でも、ゴリラでも。彼らは本当に自然な表情をしている。そこが好きだ。それに彼らは一切不平を言わない。そこも好きだ。

あとはそうだな、自転車に乗って外を走り回るのが好きだ。俺は大体どこにでも自転車で行くんだが、風を切って走るあの感覚がいいんだ。

食べ物で言えばだね、俺はさばが好きだ。塩焼きでも味噌煮でも良い。理由なんてない。とにかく好きなんだよ。

それにこれは前も言ったと思うが、シャンプーが好きだ。これも特に理由なんてない、とにかく気持ちいいからだよ。

あとはそうだな、朝まだ誰も起きていないような時間に起きるのが好きだ。あのしんとした心持が良いんだ。俺はよくそういう時間に起きて、ただ外を眺めながらぼおっとしている。それはね、とにかくいい感じなんだ。まあざっとこんなものかな」

 

彼はそこで残っていたコーヒーを飲み干し、言った。

「なあ、俺達はこの世界に生きていて、こんなにたくさん好きなものを持っている。なのになんでこううじうじしているんだろう」

「きっと人生にはそういう時期も必要なのさ」と僕は言った。

「でもいつかは抜け出さなくちゃならない」と彼は言った。「でも俺には分からないんだ。『抜け出す』というのがどういうことなのか」

「それは抜け出してみて初めて分かることなのかもしれない」

 

「君は動物になってしまいたいと思ったことはないか」と彼は聞いた。そしてまた天井を見上げた。「俺にはしょっちゅうある。動物になれば何も考えずに済む。人間の一番の問題は何かを考えすぎることにあるような気がするんだ」

「僕は動物になりたいとは思わない」と僕は言った。「きっと動物には動物なりの問題があるんだろう。人間として生まれた以上、人間としての責務を果たして行かなくちゃならない、と思う。つまり『考える』という能力を与えられた以上、それを上手く使っていかなくてはならないんじゃないか、ということだ」

 

「まったく、君は実にまともな考え方をするんだな」と彼は感心して言った。

「にもかかわらず僕らは自分の中に動物的な側面も残していなければならない」と僕は言った。

「ウホ」と彼は言い、もう一本バナナを出して食べた。

 

 

僕らがどれだけ熱意を持ち、真剣になったところで、人間というのはそう簡単に変われるものではない。結局その話し合いのあとも問題は解決しなかった。僕らは相変わらずうじうじし続けていた。彼は結局純粋なゴリラになることをあきらめ、今では哲学的なゴリラになろうとしていた。一方の僕は相変わらずあの長い下りエスカレーターを悪戦苦闘しながら登り続けていた。

 

その一か月後に彼に会ったとき、彼は図書館の閲覧室でヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を読んでいた。

「ちゃんと理解できてるのか?」と僕は後ろから尋ねた。

彼は驚いて後ろを振り向いた。そして声をかけたのが僕だと分かると「なんだ、君か」と言った。「まあ、理解できているとは言えないが、理解しようと努力はしている。その姿勢が大事なんだ」

「でもゴリラが本なんか読んでいていいのか」と僕は言った。

自分は哲学的なゴリラになることにした、と彼が言ったのはそのときだった。

哲学的なゴリラって一体何なんだ?」と僕はあきれて聞いた。

「文字通りの意味さ。哲学的なゴリラだよ。ゴリラでありながら、ちゃんと頭も使う」

 

見ると彼の体つきは一か月前とは様変わりしていた。身体が一まわり大きくなり、肩や背中の筋肉が服の上からでも分かるくらいに盛り上がっていた。

「すごいな、一月でそんなに変わるなんて」と僕は驚いて言った。

「うん」と彼は言った。「相当な努力をした。ジムに行って、ハードなトレーニングをこなした。食事は果物しか摂らなかった。一体何本のバナナを消費したことか。哲学的なゴリラになるのもこれはこれで大変なんだぜ」

僕はあきれてものも言えなかった。

 

「それで君の方はどうなんだ。あれから何か進展はあったか?」と彼は聞いた。

こっちは相変わらずだ、と僕は言った。規則正しい生活をして、好きな本を読んで、好きな音楽を聞いている。にもかかわらずそこには何か大事なものが欠けているのだと。まるで長い下りエスカレーターをひたすら登り続けているような感じなのだと。どれだけ登っても実質的な位置は変わらない。ただ疲労が蓄積されていくだけなのだと。

 

「ふうん。長い下りエスカレーターか」と彼は言った。「なかなか上手いことを言うね」

「上手いことを言って問題が解決すればそれに越したことはないんだけど」と僕は言った。

「あのさ」と彼は言った。「思うんだが、君もゴリラになったらいいんじゃないか?」

「何を言いだすかと思えば」

「いや、なにも本物のゴリラになれって言ってるわけじゃない。もしその方がいいんならゴリラ的なるものを持つ、と言い換えてもいいかもしれない。君に必要なのはそういう野性味みたいなものなんじゃないのかな。部屋にこもって考えてばかりいると身体が腐っちまうぜ」

「どうだろう。人はそんなに簡単にゴリラになれるものだろうか」

「やってみなくちゃ分からないだろう」と彼は言った。「なにも純粋なゴリラになれって言ってるわけじゃない。哲学的なゴリラである必要もない。俺は思うんだが、君は文学的なゴリラになればいいんじゃないかな。君なら誰よりも立派な文学的ゴリラになれる。それは俺が保証する」

僕はだんだん頭がこんがらがってきた。しかしなぜか彼の言うことにも一理あるような気がした。彼の言葉には不思議な――野性的なと言ってもいいかもしれない――説得力があった。

「一体どうすれば文学的なゴリラになれるんだ?」と僕は聞いた。

「たくさん本を読んで、たくさんバナナを食べるんだ」と彼は言った。そしてリュックから房になったバナナを取り出し、半分を僕に渡した。「ほら」

 

僕はバナナを受け取った。今思えば、あれが転機の先触れだったのかもしれない。それまでの僕は自分が何をしようとしているのか全然理解できていなかったし、自分がどこに向かっているのか、どこに向かうべきなのかも分かっていなかった。でもそのバナナを受け取った瞬間、僕の中にある一つの指針が生まれた。それは明確な形を持たないものだったが、その分柔軟で、僕の中心にしっかりと結び付いたものだった。

 

先のことなんて誰にも分からない、大事なのは今をきちんと生きることじゃないか、と僕は思った。思ったところでそれが簡単にできるわけではないことは分かっていた。でもそう思い、実践しようと努めることが大事なんじゃないか。そういう姿勢を取り続けることが大事なんじゃないか。

 

そのあと我々二頭のゴリラは司書の目を盗み、閲覧室で残りのバナナを平らげた。

 

 

彼がパプアニューギニアに修行に行くと言いだしたのはさらにその一カ月後だった。その頃には僕も文学的なゴリラになるべく、日々トレーニングに励んでいた。

「なんでパプアニューギニアなんだ?」と僕は聞いた。

「地球儀を見て決めた。特に理由はない」と彼は言った。

「でもニューギニア島にゴリラはいないぜ」

「いいんだ」と彼は言った。「哲学的なゴリラに仲間は必要ない。必要なのは一個のまともな脳みそと、適度な大きさのジャングルだけさ」

「いつ出発するんだ」

「一週間後」と彼は言った。

「健闘を祈る」と僕はゴリラ語で言った。

「ウホ(ありがとう)」と彼は言った。しかし話はそこで終わらなかった。

「ただしだね」と彼は言った。「出発する前にひとつやらなくちゃならないことがある」

「やらなくちゃならないこと?」

「それは君のことだ」

「僕のこと?」

「俺は君をこのままの状態で置いていくことはできない」と彼は言った。「俺はこの国にも、家族にも未練はない。でも君だけが心残りなんだ」

「一体何をすればいいんだ」

「エスカレーターだ」と彼は言った。

 

 

彼は、僕が実際にエスカレーターを逆走する必要があると言った。そうすることで僕は長い下りエスカレーターの呪縛から逃れることができるのだと。

「エスカレーターっていうのはあくまで比喩だ」と僕は抗議した。

彼は言った。「君は文学的なゴリラになるんだろう?自分で作った比喩を乗り越えられない奴なんて文学的なゴリラとは言えない。いや、普通のゴリラとさえ言えないよ」

「でもそんなことで問題が解決するとは思えないけどな」と僕は言った。

「俺だってこれだけで君の長年の問題が解決するとは思ってないさ。でもね、ものごとには区切りというものが必要なんだ。これまでの人生と、これからの人生との区切りだ」

「そしてそのためには実際にエスカレーターを逆走する必要があると」

「その通り」

 

 

彼はあらかじめ新宿駅で適切なエスカレーターを見つけて来ていた。それは結構な長さのものだということだった。「あれはなかなかのものだぜ」と彼は言った。

我々は彼が出発する日の前日に計画を実行することにした。その日はちょうど日曜日だったからだ。平日のラッシュアワーの中ではいくらなんでも計画をやり遂げられそうになかったのだ。彼は言った。「あれはどんなゴリラにも歯が立たない」

 

当日の早朝、朝日を眺めながら我々はお互いの頭を剃った。僕らはそれぞれ真の哲学的なゴリラと真の文学的なゴリラになるべく、気持ちを新たにする必要があったのだ。これもまたひとつの区切りだ。髪の毛が無くなるとスースーとしてとても無防備な気持ちになったが、これはこれで気持ちのいいものだった。

「さあ、行こう」と彼は言った。

 

 

日曜日の朝の新宿駅は思っていたよりも混んでいた。しかし我々は怯まなかった。なぜなら我々はもはや人間ではなく、勇敢な二頭のゴリラだったからだ。我々はSuicaをかざして改札を通り抜け、彼があらかじめ見つけておいた新宿駅で最も長いエスカレーターへと向かった。エスカレーターは僕が思っていたよりもずっと長かった。それでも僕の決意は揺らがなかった。むしろ長ければ長いほど登りがいがあるというものだ。「これでいいか」と彼は聞いた。「もちろん」と僕は答えた。

 

我々は階段を使って一番下に降り、その地点からその長い下りエスカレーターを見上げた。時は満ち、あとは計画を実行するだけだった。

「健闘を祈る」と彼はゴリラ語で言った。

「ウホ(ありがとう)」と僕は答えた。

 

 

まず第一段階として彼がプラットホームで騒ぎを引き起こした。彼はトイレの個室でリュックサックからゴリラの着ぐるみ(Amazonで買った)を取り出し、それを身に付けた。そして両手にバナナの房を持ち、大声を上げて、大都会の地下にゴリラ的騒擾そうじょうを引き起こした。

 

人々はパニックにおちいった。気持ちの良い日曜日の朝に、地下鉄の構内でマウンテンゴリラに遭遇する心の準備ができている人はまずいない。彼らは自分の見ている動物が本物なのかどうかはじめは半信半疑で見つめていたのだが、着ぐるみがかなり精巧だったこともあり――それに彼が鬼気迫る迫真の演技を見せたこともあり――多くの人がそれを本物のゴリラであると判断したようだった。

 

彼が暴れまわっていると、駅員が飛び出してきて彼を捕獲しにかかった。しかし勤務マニュアルにはマウンテンゴリラの捕獲方法が記載されていなかったのだろう、彼らは一体どうすればいいのか分からず、戸惑っているようだった。そのとき彼が僕に合図を出した。「ウホ、ウホ!(今だ、行け!)」

 

僕はかぶっていたキャップを脱ぎ捨て、つるつるの頭をむき出しにして前方に伸びる長い下りエスカレーターを登り始めた。駅員たちは暴れまわるゴリラに気を取られていて、僕には一向に気が付かない。エスカレーターには多くの人が乗っていたが、僕はその隙間を縫うようにして上に登っていった。僕は全力を振り絞り、可能な限りのスピードを出して登り続けた。人にぶつかっても、文句を言われても一切気にしなかった。俺は一頭のゴリラなのだ、と僕は思った。一頭の勇敢な文学的ゴリラなのだ。今さら何を気にすることがある。僕は必死で階段を登り続けた。闇に追いつかれないように。死に飲み込まれないように。立ち止まってしまったらあっという間に下に引きずり下ろされてしまう。エスカレーターがくだるスピードよりも早く登らなければならない。僕はただ前進することだけを考えていた。ほかのことは一切考えなかった。

 

あと少しというところまで来たとき、下から彼の叫ぶ声が聞こえた。「行け!」と彼は叫んでいた。彼は興奮のあまりゴリラ語を使うことを忘れていた。「行け!進め!」

彼に声をかけられると、僕の中に眠っていた内なる力が鼓舞され、全身にドクドクと行き渡った。僕はうなり声を上げて最後の階段を登り切った。

 

 

そこにあったのは変わり映えのしないいつもの駅の光景だった。何の変哲もない普通の駅だ。人々は不思議そうな顔で僕のことを――奇声を上げてエスカレーターを逆走してきた若いスキンヘッドの男を――眺めていた。そこには特別なものなんて何一つなかった。しかし僕はその光景を前にしても失望したりはしなかった。僕は新しい目で、新しい世界を眺めていたからだ。新しい僕の中で、新しい心臓が、新しい鼓動を打ち始めていた。

 

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

2件のコメント

  1. 村山さま
    大変興味深く読ませていただきました。
    主人公の彼は、ちょっとしたきっかけで奇妙な(不明瞭な言い方ですが)友人を得たことは、それまでの閉塞感が漂う日常に小さくて、大きな晴れ間をもたらすような経験だったのではないかと思いました。それを、主人公の彼が悪戦苦闘する下りエスカレーターの先で待ち構えている黒い穴と(勝手にですが)対比しながら読みました。
    友人との出会いは彼にとって必要であり、起こるべくして起きたのかもしれないとも思いました。そういう面で主人公は幸運でしょう。
    それでも、毎日を支配する閉塞感や焦燥感はぬぐえないものですね。
    これは主人公の彼もゴリラの彼もそうでしょうし、私自身もそういう毎日を過ごしています。なので、とても共感します。
    その閉塞感を把握したうえで、もがくけれども、あきらめないというか、自分自身に見切りをつけない、という姿勢はつらい時こそ必要なのかなと考えます。

    青春小説としても、おもしろく読みました。後半のゴリラ語で会話する二人も微笑ましく思えます。
    中盤でしょうか、主人公の彼が友人に対し忠告のような事を(君のことが好きだからこそ言うんだけれど)言う場面は露骨な友情表現でないものの、誠実な愛を感じました。
    私にも久しくあっていない大切な友人(勝手に私が思っているだけかもしれませんが)がおりまして、彼のことを思い出しました。少々きついことでもきちんと言ってくれる、そういう友人がいるというのは、本当に有難いことです。
    性格が似ていなくても、心の底で通じ合っている仲間は、時として自分を映す鏡のような、自分を知る手がかりであるような存在かなと感じる時があります。
    それが善いのか悪いのかは別として、友人を持つことの不思議さを改めて思いました。

    駄文失礼しました。

    1. 読書ぶらく様、コメントありがとうございます。(海外からの謎のスパムメールを別にすれば)あなたがこのサイトにコメントを寄せてくださった最初の方です。
      実はこの作品はある文学賞に応募して落選したものです。書いたのは確か去年の八月だったかな。落ちた時は多少がっかりしましたが、あらためて読み返してみると(完成度という点から見ても)まあそれも仕方がないのかなと思ったりもしています。でも少なくともこれを書いている時は僕は楽しんで書いていました。それは事実です。こんなものを読んで誰かがコメントを寄せてくださる、というだけでも僕としてはとてもうれしいです。

      閉塞感というのはやはり自分で打ち破るしかないのかなと最近は思っています。そんな偉そうなこと言える立場でもないのですが、一気に打ち破るのではなくて、すこしずつでもトライしてみることが大事なのではないかと思っています。もしかしたらそのうち強くなっている自分を発見できるかもしれない。僕は今そのトレーニング中です。

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