こんにちは。マスコットのビギナー君です。
さて、みなさん、ついに十二月がやって来ました! 師走ですよ、師走。
と、いうことで僕は今年もサンタクロースのことを考えています。ああ、今年はサンタさん来るかなあ……。おそらく一年(概ね)良い子にしていたので、たぶん大丈夫だと思います。年によって来ないこともあるのですが……。
そういえば子供の頃、12月25日の朝にプレゼントがなくて、愕然としたことがありました。あれは……9歳くらいだったかな。僕はお父さんとお母さんに直訴しました。「どうして僕にはサンタさんが来ないんだろう? これは憲法違反だ! 子供の幸福を蔑ろにしている!」と。
僕の両親はサンタさんが来ないことは憲法違反ではない、と完璧なロジックを用いて説明しました。それでも僕は納得することができず、家の障子という障子を全部破ってしまったのでした。
その仕事が終わったところで、サンタさんがやって来ました。汗をかいていて、申し訳なさそうな顔をしています。「いやはや、トナカイ君が関節炎になってしまって、さっき獣医さんに見てもらったところだったんだよ」と彼は言いました。
僕は家中の破れた障子を見て、恥ずかしくなりました。「これは僕がやったんじゃない」と僕は咄嗟に嘘をつきました。
「ほほう、じゃあ誰がやったんだい?」と彼は言いました。
「これは……隣の家の、サブロウさんがやったんだ!」
「ほほう。三郎さんが、この家に侵入して、わざわざ破ったというのかね?」
「そ……そうだよ! あの人は精神的に病んでいて、ほら、いつも家でカラオケ歌っている声が聞こえるし……」
「もし嘘だったらこれから一生プレゼントなしだぞ?」と彼は言いました。
「それは……」と僕は言って、迷いました。サンタさんはどうやら本当のことを知っているみたいでした。
「ごめんなさい!」と僕は土下座して謝りました。そして本当のことを言いました。「サンタさんが来ないと思って、腹が立って、全部破っちゃったんだ」と。
「じゃあきちんと障子を貼る手伝いをしなさい」と彼は言いました。「それが終わった頃にまた来るからね」と。
「はい」と言って、僕は障子を貼る手伝いをしたのでした。たしか大晦日 の朝だったか、サンタさんがそっと僕の枕元にプレゼントを置いて行きました。え? 何だったのかって? それは言えませんねえ……。すごくワクワクするもので、そう簡単には手に入らないものです。そして心をポカポカ温めてくれる……。あ! 時間だ! そろそろ耳鼻科に行かなくちゃ!
ということで、さよなら。お元気で!
今年も十二月が来ましたね。私はパールハーバーのことを思い出します。1941年に、私はアメリカにいました。ブルーズシンガーになりたくて、南部を放浪していたのです。しかし12月の7日に(ハワイ時間ですが)日本軍が真珠湾を攻撃したというニュースが飛び込んできました。私がそれを知ったのは三日後でしたか。ある田舎のダイナーでハンバーガーを食べているときにラジオで聞いたのです。私は日本人ということを隠していたので(火星人だとみんなには言っていました)動揺しないようにするのが難しかったのを覚えています。
それから長い戦争があり、いろんな嫌なことがありました。遥か昔のことみたいですが、記憶は鮮明に残っています。その後ジャズミュージシャンの記事を書いたり、一時的にSF作家になったりもしましたが、故郷のことが忘れられず、60年代に帰って来ました。戦後の日本には勢いがあったと記憶しています。若者たちは新しいことをしたくてうずうずしていた。一方で大人たちは戦後復興のために、身を粉にして働いていました。私は実はそのような価値観に馴染むことができず、関西のお寺にひっそりと隠遁していました。そこで修行をしながら、人生の価値について考えていたのです。そのときの和尚さんが面白い人で、お寺に属していながら、その教義を全然信じていませんでした。「こんなのは生活の手段さ」と彼は言っていました。「合理主義こそが、精神の救いだ」と。二人で将棋を指したことを覚えています。そんな彼も亡くなり、親戚が後を継ぎました。私はそこを出て、また俗世に戻ってきました。私は実はいまだに自分の道を決められずにいたのですが、ふとアスファルトの隙間から生えている雑草に目が行ったのです。それは懸命に生きていました。厳しい状況で、ちょっとずつ、成長し続けていたのです。一方でそれは善でも悪でもありませんでした。私はふと悟ったのです。私もまた同じようなものなのだと。そう思うと気が楽になりました。私は善でも悪でもない。ただの雑草なのだ。だから息を吸って、そして吐いて、ただ自然に生きていこうじゃないか、と。それから長い歳月が経ちましたが、基本姿勢は変わっていません。私は善でも悪でもなく、ただ生きている。しかし「ただ生きる」というのは人間には難しいみたいですが……。
ごきげんよう、みなさん。考えることは時に必要ですが、時に人間を袋小路に追い込んでしまいます。思考というのは難しい。しかし何か、道筋はあると考えています。おそらくは目に見えない。
さようなら。お元気で。良いお年を。