「ちぇ、またスメルジャコフかよ!」と少年の一人が言った。僕はコンビニで働いているにもかかわらず(もう四年目になる)、そんなお菓子が発売されていることに今までまったく気付かなかった。
イートインコーナーに近づくと、五人ほどの小学生の集団が、リュックサック片手に次々と小さなウェハースの袋を開けていた。どうやらそこには世界文学におけるさまざまな登場人物のカードが入っているみたいだった。
「スメルジャコフは駄目なの?」と僕は興味を惹かれて訊いてみた。
「だってもう五枚目だもの」とさっき叫んでいた少年がこちらを向いて言った。彼は次の一袋を開けているところだった。
「ああもう!今度はユライア・ヒープだ!もう四枚目だぜ」
カードを覗き込んでみると、そこには確かにユライア・ヒープらしき人物の姿が描かれていた。いかにもずるそうな顔を浮かべ、ニヤニヤと笑っている。しかし、とふと僕は思う。この子たちはディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』を読んだことがあるのだろうか?
それについて訊ねようとしたところ、レジの方にお客さんが来てしまって、僕はそちらの仕事にかかりきりになってしまった。お釣りを渡しながら、まだイートインコーナーの方で続いている白熱したやり取りに耳を傾けていた。
「ほら!今度はスクルージ爺さんだ!なんだよ。クズみたいなのばっかりじゃないか」
「俺は良いの当たったぜ」
「なに?」
「赤シャツ」
「なんだよそれ!全然良くないじゃん!」
そんなやり取りに意識を取られていたため、僕は二度ボタンを押し間違え、三度千円札を数え直し、レジ袋を要らないと言ったお客さんに一番大きな袋を渡した。このままだと肝心なことを聞く前に彼らが帰ってしまうと思ったので、隙を見てなんとかもう一度そっちの方に行った。
「ねえ、君たちは・・・」と言いかけたところで、突然場の空気が凍りついた。あたかもその周辺だけ、数十度温度が下がったかのようだった。「あの・・・」と僕は言った。
「モービー・ディックだ」と彼らの一人がそのとき言った。モービー・ディック?
「すげえ・・・」と眼鏡をかけた一番小柄な少年のまわりで、その他の子どもたちが羨ましそうに一枚のカードを眺めていた。僕も上から覗き込んだのだが、確かにそこには海に浮かぶ巨大な白いクジラの姿が描かれていた。
僕はそのときレジに来た常連のおじさんを無視し(おい!タバコ!)、しばらくその美しい生き物の姿に見惚れていた。エイハブ船長が決して捕えられなかったものを、今この少年が手にしているのだ。
モービー・ディックを手にした少年は、心ここにあらず、という感じで、じっとそれを見つめていた。正直なところ、まだ何が起きたのか理解できていないみたいだった。
と、突然、店の電気が消えた。前に一度停電の影響でこうなったことがある。でもそのときはすぐに予備電源に切り替わり、照明は復旧した。だから僕は焦ったりはしなかった。周囲にいるお客さんも取り乱したりはしていない。きっと大丈夫・・・。
でもそのとき僕はもっと大きな変化に気付いた。周囲のすべての音が消え去っていたのだ。あるいは電気が消えただけでなく、時の流れそのものが一瞬滞ったのかもしれなかった。なぜそんなことが起きたのかは分からなかったが、とにかく何かの加減でそんなことがこの店で起きたのだ。
もっとも少年たちは相変わらず動き続けていた。外から入り込む光のおかげで、うっすらとその気配を感じ取ることができた。モービー・ディックを当てた少年は、眼鏡の奥で何度も瞬きをし続けていた。そしてこう言った。「神はいたんだ」と。