『護符 1』の続き
彼らは具体的な計画を立てることにした。まずなんとかして青年を「解体する」必要がある。しかしそれはすぐに、この場でできることじゃない。だってそんなことをしたら彼は実際に死んでしまう可能性があるから。というのもここはごく普通の重力の下にある、ごく普通の世界だったし、そこでは人は簡単に解体されたりはしないからだ。のこぎりでゴリゴリと切り取られたりしない限りはな。
だから彼らは狭間に下りていくことにした。この世とあの世の間。過去と未来の間。しかしそれはいつも彼らが通っている安全な場所じゃない。そこからさらに下の方に下りた、もっとずっと深い場所だ。海でいえば、海溝の、さらに一番深いところだ。光なんかまったく届かない。でもそこまで行かないと、人間はうまく解体されることができないんだ。
魔女が三人を案内する。彼女はずっと前に一度だけそこに行ったことがあるんだ。夫を取り戻すためだ。でもそれはうまく行かなかった。実際に何が起こったのかは分からない。彼女はそのことについて、それ以上詳しい説明をしてくれなかったからな。
そこに着くと、彼女は切れ味鋭いナイフで彼の皮膚を裂く。そしてその下の肉も切り取っていく。といってもそこはもうあの世に近いところだから、彼が死んでしまうことはない。肉体というものがほとんど意味を持たないところなんだ。なんというのかな、それはただの名残みたいなものだ。そこでは表層的なものが簡単に剥がれ、その中心の本質的なものが姿を現す。
肉を切り裂くと、そこから彼の本質――つまり魔女のいう『護符』だな――が現れる。それがどんな姿をしているのかは、まあ見てからのお楽しみだ。というのもその部分は人によって違う姿をしているからだ。そしてそこでようやくオランダ人とサンタクロースの出番になる。彼らは切り取られた青年の肉体を――つまり表層だ――もう一度それにくっつけていく。
そこで重要なのが、前とはほんの少しだけその配置を変えるということだ。もっとも右腕を左側に付けるとか、頭をおしりに付けるとか、そういうことじゃない。それはもっと細胞レベルでの話だ。身体の機能は同じだが、個々の細胞の配列を変える。なぜそんなことをするのか? 新しくなった青年には、そのための新たな肉体が必要だからだよ。そしてそんなことができるのは、その狭間の、ずっと底の方でしかない。
そして青年だ。彼が何をするかというと、それは「自分自身ときちんと向き合う」ということなんだ。彼は肉体を剥がされた時点で、まっさらな自分自身になっている。これ以上ないくらい。もちろんそれはとても危険なことだ。それもそんな闇の中だ。でもまさにそれが必要なんだよ。その間悪いものが近寄らないよう魔女が守ってくれている。だからその隙に彼は何かを成し遂げなければならない。
何か。うん、分かるよ。それじゃああまりにも漠然とし過ぎているよな。でも実際ここが一番重要なんだが、その部分だけは行ってみなければ分からないんだ。さっきもいったように、護符というのは人によってその形が違っている。だからその強化のしかたも人によって全然違うんだ。いいかい? その「違う」というところこそが大きな意味を持っているんだ。
ということで彼らは計画を実行することにした。サンタが乗ってきた橇に乗って出発だ。もちろんみなそれぞれの通路を持ってはいるんだが、それが交わることはめったにない。というのもその通路もまたそれぞれ個人的なものだからだ。そんなわけで四人で移動するには橇の方が便利だったんだ。
彼らは部屋の壁を抜けて――抜けたところで隣人の部屋に行き着くわけじゃない――狭間の世界へと下りていった。トナカイがリンリンと音を立てて、勢いよく走り始めた。過去と未来の間。この世とあの世の間。善と悪の間。彼らはいろんなものの隙間を縫っていった。その間ほとんど話をしなかった。ただじっと鈴の音に耳を澄ませていたんだ。
やがてその谷の入口に着いた。こんなところまで来たのは魔女以外は初めてだった。そこは真っ暗な空間で、下にはどす黒い渦のようなものが見えた。今彼らはどうしてもそこに行かなくちゃならなかったんだが、トナカイが怯えて足を止めた。サンタは優しく手綱を引っ張り、後ろからその頭を撫でた。「大丈夫だ」と彼は言った。「わしがついておる」
トナカイはもう一度地面を――というか空間を――蹴り上げて、その先に進んだ。
そしてその場所に辿り着いた。まわりは本当に暗い。魔女が杖の先にほんの小さな明かりを点けていたから、かろうじて周囲が見渡せるだけだ。もっとも彼女によれば、それもまたずいぶん危険なことだったらしいのだが。
「だってこんなものを点けていたら、奴らに自分の居場所を知らせるようなものじゃないか」。だから早々にその明かりは消した。
彼らはそこで計画を実行することにした。魔女がナイフを使い、青年の皮膚を切り裂くんだ。青年は着ていた服をすべて脱ぎ、完全に魔女に身を任せた。彼女は手際よくことを進め、青年の表層をどんどん剥ぎ取っていった。オランダ人とサンタクロースはその間邪魔にならないところによけていた。
やがて青年の本質が姿を現した。それはほんのりと淡い光を放ち、彼らの前に浮かんでいた。それは美しい光ではあったものの、たしかに弱っているようにも見えた。オランダ人とサンタクロースは剥ぎ取られた表層を持って、今か今かと準備していたんだが、まだそれを継ぎ合わせるには早かった。それはこの本質が十分な力を得てからでなければならない。
その間青年は自分自身と向き合っていた。まったくの純粋な自分自身だ。自分がそうだと思っていた見せかけのものではなく、事実そうである自分自身だ。そこは広い荒野のような場所だった。固い土と僅かばかりの草。といってもずっとそれが続いているわけじゃない。よく見るとすぐ先は崖になっていて、海が見えた。あたりは薄暗く曇っていて、みぞれが降ってきていた。風が吹いたが、それはまったく友好的な風なんかじゃなかった。ものすごく冷たくて、人を芯から凍えさせてしまうような風だ。
彼はそんな場所にたった一人で立っていた。海は荒れていて、大きな波が立っている。彼は冬物のコートを着てはいるんだが、それでも寒いことに変わりはない。次第にみぞれは雪に変わったが、それは水分を含んだ、重い雪だった。今それが何度も彼の顔にぶつかった。
しばらく何も起こらなかった。雪が降り、繰り返し波が打ち寄せていただけだ。彼はただそこに立っていたんだが、そのときふと崖の縁のところに何かを見る。一番端のところに誰かがいるみたいなんだ。目を凝らすとそれは一人の子どもだった。十歳くらいだろうか。彼は迷わずそちらの方に歩いて行った。
近づくと、実はそれが十歳の頃の彼自身だったことが分かった。いいかい、これこそが彼の『護符』だったんだ。つまり彼の本質とまっすぐに結びついているものだ。今彼はそこに座り、足を崖から出してぶらぶらさせていた。青年は何も言わぬまま、そのすぐ横に座り、同じように足をぶらぶらさせた。
彼らはしばらくそこで海を見つめていた。灰色の、荒れ狂う、何のために存在しているのかも分からないような海だ。でもそこでふと青年は思う。それをいえば自分だって何のために存在しているのか分からないじゃないか、って。そこで彼は横を見るんだが、そこにいる子どもは明らかに弱っていた。痩せて、目に隈ができている。彼もまた冬物のコートを着てはいるんだが、その中でぶるぶると身を震わせている。雪がだんだん強くなってきて、彼ら二人を白く覆っていった。
そのとき青年は自分の中にある衝動が湧いてきていることに気付く。このままこの子と一緒に飛び下りてしまえばいいんじゃないか、とな。下を見ると、そこには突き立った岩が見える。きっと何も考えずに死んでしまうことができるだろう。それはなんというか、彼には魅力的な選択肢に思えた。何も無理に生き続ける必要はないんじゃないか、とな。
でもその子の顔を見て、すぐに思い留まった。なるほどたしかにその子は弱ってはいたが、悲観的になっているわけではなかったからだよ。ぶるぶると震えながらも、彼は熱を持って生き続けていた。「生き続けたい」と本能的に願っていた。彼は今薄く積もり始めた雪の上に、何かの絵を描いていた。ちょうど青年の反対側の地面にだ。何の絵かは分からない。一体何を描いているんだろう? そう思って彼は無理に首を回してそっち側を見た。
そのとき何かが起きた。何が起きたのか、最初はうまく把握することができなかった。気付くと二人とも宙に投げ出されていたからだよ。始めこそ「飛び降りようか」と思いはしたが、今青年には死にたいという気持ちなんかこれっぽっちもなかった。でも首を回して絵を見ようとした瞬間、何かが起きて、彼らは二人とも崖の下に落っこちていたんだ。
彼は空中で子どもの自分を抱きしめた。子どもは無表情のまま、ただされるがままになっていた。ごめんな、と彼は思った。まだ生きたかっただろうに。
でもそのとき、子どもの心臓が熱く火照っていることに気付いた。それは尋常じゃない火照り方だった。ものすごく熱いんだ。彼らはどんどん下に落ちていく。突き立った岩が、すぐ目の前に見える。でもそんなことはもう大した問題ではなかった。というのもその心臓の熱が二人をドロドロに融かしてしまったからだよ。
彼らは空中で一つに混ざり合った。その上に雪が降ってきたが、そんなものはすぐに蒸発してしまった。ドロドロだから、岩にぶつかったところで痛みなんか何も感じない。彼らはまるで溶岩みたいに、そのまま海を蒸発させながら進んでいった。もっとも彼らは冷えてカチカチの岩になったりはしなかった。そのまま熱く燃え続け、どんどん先に進んでいった。彼らの進む先にはそうやって自然と道ができていった。まるで聖書の中で誰かが海を割って進んでいったみたいに。彼らはそうやって進み続け、ついに地球のもっとも深い場所に達したんだ。
そこで意識を回復すると、青年はすでに橇に乗っていた。トナカイの鈴の音が聞こえる。彼らはひとまず目的を達成して、現実目指して帰っていく途中だったんだ。青年は自分の身体が熱く火照っているのを感じることができた。身体中の細胞が、新しい栄養を得たみたいだった。前の席で、サンタクロースが手綱を握っているのがかすかに見えた。その隣では魔女が何やらぶつぶつと呪文を呟いている。青年の肩をオランダ人が優しく支えていた。「大丈夫」と彼はオランダ語で言った。「何も心配しないで」。青年はオランダ語を知らなかったが、そこは狭間の世界だったから、何の苦もなくそれを理解することができた。
やがて部屋に帰り、青年はもう一度元の自分の生活に戻った。彼の右手にあった黒い影は、もう跡形もなく消え去っていた。残りの三人は明らかに疲れてはいたものの、すごく充実した表情を浮かべていた。
「あなたがあなたと向き合っていたとき」とオランダ人が説明してくれた。「私たち三人もまた、それぞれ自分自身と向き合っていたのです。それはとても不思議な体験だった」
「あのとき僕は・・・」と青年は、あそこで自分が経験したことをみんなに話して聞かせようとした。でもすぐに魔女が遮った。
「それをしゃべってはいけないよ」と彼女は言った。「しゃべってしまうとそれは固まってしまうんだ。それはたまたまそういう形を取った、というだけのことなんだ。大事なのはあんたが何をどう感じたか、ということだ」
もうみな元の場所に帰る、という頃になって、サンタクロースがそっと耳打ちをした。
「君は魔女に感謝しなくちゃいけないよ」と彼は白い髭の奥で言った。「彼女は君が君に向き合い、我々が君の肉体をくっつけている間、ずっと闇の連中に対抗していた。夥しい数の闇の連中だ。ひっきりなしに呪文を唱え、我々を守ってくれていたんだ。それはさぞかし大変なことだったろう」
「あの人もまた自分自身と向き合っていたのでしょうか?」と青年は訊いた。
「ある意味ではね」とサンタは言った。「あそこでは誰もが裸にならざるを得ないのさ」
そして人々は帰っていった。次の会合があるのはもっとずっと先だ。魔女は箒に乗って、オランダ人はただ飛んで、サンタクロースはもちろん橇に乗って。青年は一人一人と握手をして別れた。一人になったあと、カーテンをそっと開けてみたが、外はまだ真っ暗だった。時間を見ると、ちょうど日付が変わったところだった。昨日と今日の間。そろそろ眠る時間だったが、彼は眠りたいとは思わなかった。身体の中で、あの熱がまだグルグルと渦巻いていたからだ。あの少年は一体何の絵を描いていたんだろうな、と彼は思った。
あるいはそれを、これから自分が描いてみるべきなのかもしれない、と思ったのは、それからほぼ一時間後のことだった。