さて、今年も冬至がやって来ました。待ちに待った、というわけでもないかもしれませんが・・・とりあえず、この日がやって来ると、ああ、今年も一年で一番昼が短い(夜が長い)日がやって来たのだな、という感慨が湧いてくることになります。
考えてみればこの日を境に〈どんどん日が短くなる〉サイクルから、〈どんどん日が長くなる〉サイクルへの転換がおこなわれるわけです。誰が決めたのかは分からないけれど、とりあえずそうなっているわけです。だとしたら本来もっと盛大にお祝いをするべきではないか、という気もするのですが、それはきっとクリスマスとかお正月に席を譲ることになっているのでしょうね(たしかユングがどこかの著作で、キリストの誕生日が冬至のすぐ近くにあるというのは偶然ではあるまい、ということを書いていたはず。最も深い闇の中に、一つの光が生まれたのです。おそらく)。
まあそれはそれとして、今年も冬至かぼちゃを作りました。かぼちゃ、というか、サツマイモがメインになっていますが。
ということで、昼が一番短い日なのですが、この東京都郊外の街は青く晴れ渡っています。日本海側や、北日本では雪が積もって大変みたいですが、関東平野においては天気はおおむね安定しています。寒いことは寒いですが――去年こんなに寒くなかったよな・・・――よく考えてみれば僕が生まれてから20年以上過ごした宮城県に比べれば、こんなものなんということもないはずです。でもさすがに5年近くもいると、だんだんこっちの気候に慣れてきて、徐々に寒さに弱くなっているみたいです。去年は暖冬で、あまり暖房を使わなくても気合いで――あとこたつで――頑張れたのですが、今年はちょっと無理でした。エアコンの暖房を入れ――ようと思ったら全然電源が点かない。リモコンを分解してまた組み立て直したらなぜか点きました。まったくもう・・・――湯たんぽを二つ使ってなんとか乗り切っています。湯たんぽっていいですよね。生まれ変わったら湯たんぽになりたい。あなたの心も温めてあげます・・・はい・・・。
それはそれとして、今年も早年末に差しかかり、そろそろ次の年がやって来ようとしています。我々にとっての2020年とは一体何だったのか? まあ人それぞれ違っているでしょうが(当たり前か)、少なくとも僕にとっては、成長の一年でした。というかそういう願望を持って日々生き延びていました。たとえ結果が出なかったとしても、書き続けることによって、あるいは走り続けることによって(プラス筋トレを続けることによって)、少しでも自分のレベルを上げていけるはずだ、と。その結果ここから抜け出すきっかけのようなものを掴めるかもしれないし、まあ長い目で見れば、ここでこうやって基礎体力を付けておくことは、自分という人間の土台を作る上できっと役に立つはずだ、と。そう信じてなんとかやってきました。
それはまあおおむね間違っていなかったと思う。というかそれ以外しようがなかった、というところも大いにあるのですが。それでもその中で29歳になってしまって、いまだ文学賞は取れずアルバイト暮らしが続いている中で、自分の中の優先順位が少しずつ移動してきた、という感覚があります。
これまでは走ること、あるいは結構きつい運動をすること、そういったものごとにしがみついて生きていました。おそらくはそれが一般の人々(というかなんというか)に対する、自分なりの反抗精神の現れだったのだと思います。俺はほかのみんなとは違うんだぜ、と。自分からきついことを求め、それを日常的にこなしているんだぜ、と。
それはたしかにカロリーベースでみれば間違ったことではありません。極端に太ることはないし、肉体的に見れば健康になることができます。お腹も減って、美味しくごはんも食べられる。運動することそのものの中にある一種燃焼的な楽しみも得ることができます。
しかしそうやって一週間、また一週間と過ごしているうちに、果たしてこれでいいのか、という思いがふつふつと湧いてくることになります。俺はそもそも何を目指しているのか、という問いが頭をもたげてくるからです。僕はおそらく小説家になりたい、という以前に、きちんと生きたい、という願望を持っていました。そしてそのためには周囲と同じようなレールに乗っている場合ではないのだ、と。何かもっと別の観点から見て、自分にとって重要なものごとを成し遂げなければならないのだ、と。
でもそれは、単純に〈のうのうと生きている人々の反対を行く〉という形だけでは達成できないことなのです。この歳になって、ようやく身を持ってそれが分かってきた。反抗することは比較的簡単です。集団と同じことをし、自分を頼みにせず、お菓子を食べ、酒を飲み、安逸に時を過ごす・・・(これは一つの例ですが)。そういった凡人がやろうとしないことを敢えてやる。長距離を走る。暴飲暴食をしない。ダンベルを使って筋トレをする。朝五時前に起きて腕立て伏せをやる・・・。きついことはきついですが、やってできないことではありません。なぜなら方向性というものが定まっているからです。そして肉体的に疲労することができる。僕にとって一日分のエネルギーをきちんと使いきる、というのが一つの信条のようになっていたところがあります。よし。ここまで動けば悪いことにはならないだろう、と。
しかし精神的に見たときに、果たしてそれでいいのか? 要するに、どれだけ身体的に健康になったとしても、あるいはどれだけ一般の人々よりきついことをやっていたとしても、自分が真の意味での充実感を得られないのであれば、本当は意味のないことなのではないか、ということです。結局アルバイトをしながら、運動をし、料理をして、小説を書く。あっという間に時間が過ぎ去ってしまいます。すべてを完璧にこなそうとすると、明らかに時間とエネルギーが足りません。フラストレーションも溜まります。とっとと文学賞を取ってしまえばもっと楽になれるぜ、とは思っていたのですが、なかなかそううまくもいかない。書くレベルは少しずつ上がってきているとは思うのですが(あくまで前と比較して)、それでも賞を取るまではいかない。そうなったときに、こんな風に日々を過ごしていたのでは、かえって大切な何かを失ってしまうかもしれない、という危惧の念が湧いてくることになったのです。
結局2016年の4月に東京に出てきたときに、僕が思っていたのは、これからしばらくは修行の期間だぞ、ということでした。作家(志望)としても、そして人間としても、いろんなことを学んでいかなくてはならないのだ、と。そうしないと、本当の意味で充実した人生を生きることはできないのだ、と。
それはまったくもって真実でした。もちろん今でも修行の最中であります。それはきっとずっとずっと続いていく過程なのでしょう。でもまあそれはそれとして、その中で感じているのは、僕はきっとこれまで願望の中で生きていたのだな、ということです。あと数年経てば、文学賞を取れば、お金さえあれば・・・素晴らしい未来が待っている、と。
それはもしかしたら正しいかもしれない。どこかにはそういった桃源郷のような世界が存在するのかもしれない。でもこうしてなかなかうまくいかない世界において生きているうちに、なんとかあるものでやっていくしかないのだ、という姿勢が自然に身に付いてくることになります。もちろんまだまだ不十分ですが、前と比較すれば、少しずつそういった方向に移動しているみたいです。
お金もなく、時間もない中で、なんとか書き続けたい、という希望を持っている。というか書かなくてはいけない、という声が身体の――頭の――どこかから聞こえてくる。そして書き続けることによって、自分の中のどこかと繋がらなければならない。その繋がりこそが、真の自由への道標となるはずだ・・・。そう思ってなんとか生き続けてきました。蛍光灯が切れたり(お金ない)、免許の更新でお金がかかったり(お金ない)、卵を派手に落としたり(お金ない)、文学賞一編送るのに三千円かかったり(お金ない)、手がカサカサで洗うたびにすごく滲みたり(潤いがない)、お風呂場の換気扇から異音がしたり(うるさい)、筋トレで腰を痛めたり(いまだに治っていない)、十年使っているパソコンがフリーズしたり(今は止まらないでくれよ・・・)、いろいろと問題はありながらも、それでもなんとかやれることをやろうと。そう思って日々を生き延びてきました。
その過程で、29歳になり、そろそろ自分のシステムそのものを転換すべきときが来たのかな、という感覚があります。それはおそらく〈完璧を目指す〉というベクトルから〈あるものを有効に生かす〉というベクトルへの変換ということだと思うのです。そのためにはどこかで自分のルールを曲げる必要も出てくるかもしれない。状況に応じて、柔軟に対処していく必要もあるかもしれない。でもその結果、真に重要なことにエネルギーを注げるようになるのではないか、と。
僕はおそらく自分の書く文章に自信が持てなかったのだと思います。それはある程度仕方のないことでした。地方から出てきた24、5歳の若者に、どうして自分に確固たる自信を持つことができるのか? これまでろくにアルバイトの経験もないというのに。それでもどこかの時点で腹を決めて、自分をきちんと扱おうという姿勢を持たないといけないみたいです。もちろんそんなことしなくたっていいわけだけど、僕としてはそうしたいという気がするのです。それはおそらくは生き方の問題です。単に文章技術だけの話ではない。生き方そのものが文章にも現れてくるのです。それは良くも悪くも、ごまかしが利かない部分です。
結局僕が言いたいのは、これから自分にとってのプライオリティーを、もっと目に見えない部分に移動する必要がある、ということです。それはおそらく〈実感〉ということになるかと思います。他人より何キロカロリー消費したとか、あるいは何キロ走ったとか、あるいは筋力が付いたとか、早起きしたとか、そういった目に見える(つまり数字で計ることのできる)指標に固執するのではなくて――僕はそれに固執することによって自分を保っていたのでした――もう少し肩の力を抜いて、本当に有効に自分を生かし切れているのか? というところに主眼をおいて生きていきたい、ということです。その評価基準は結局は〈グルーヴ〉ということになるかもしれません。良い音楽、そして良い文章の根幹にあるもの。固定されず、動き続けるもの。それを通り抜けるときに感じることができる、自由である、という感覚。時は過ぎ、決して戻ってはきません。2020年はあと十日ほどで消え去ってしまいます。それでも今この瞬間を生きることはできるはずだ。それはいうほど簡単ではないかもしれないけれど、少なくとも努力することはできます。
ということで走る距離は短くなるかもしれないけれど、これからも書き続けることになると思います。もし時間ができたら曲作りもしたい。来年にはコロナ騒動も収まって、いろんなことがもっとアクティブにできる世の中になったらいいと、切に願っているのですが。
それでは。
12月24日なので、コメントを書かせていただきます。(以前、『十二月二十四日』を拝読しました)
偶然にも、私も今年で29歳になる者です。
考えや感情は、5年経つと変化する部分もあるし、揺らがない部分も人それぞれあるんだろうと、エッセイを読んでいて思いました。
私事ですが、社会人経験がまださほどないのに、職場を4つ経験することになり情けなさや不甲斐なさを感じることがあります。それは、理想を追い求めているが故ということなのですが、何とも言いようがない閉塞感も感じる毎日です。
しかし、葛藤がある分、何かにたどり着いた時の達成感というのは、格別なものなのだろうとも思います。
村山さんのサイトで小説やエッセイを拝読し、努力されている様子が伺えました。(こんな他人に言われても、と思われるかもしれませんが)それは、確実に村山さんにとってプラスになっているでしょうし、少なからず読者である私目のような一介の電信柱に「踏ん張らねば」という感情をもたらしてくれています。
どうかこれからも、お身体は大事にしてご自身の道を進んでいってください。
今年もお疲れ様でした。
p.s. これは余談ですが、『十二月二十四日』でシベリウスの交響詩「フィンランディア」が出てきたときは、シベリウスを音楽の師の一人と仰いでいるのでつい興奮してしまいました。これも余談なのですが、シベリウスは交響曲第3番が、東北の過疎集落にぴったり来る素朴さを持っておりおすすめです。私のお気に入り雪かきBGMです。失礼いたしました。
たしかにシベリウスは雪を見ながら聴くのにうってつけの音楽かもしれませんね(考えてみたら当たり前のことですが・・・)。東北出身の僕としては、あの雪の降る--あるいは降ったあとの--しんとした冷たい朝の光景が、一種の心象風景として心の奥に残っています。というのもあの光景は、現実のものとしてよりは、むしろ水墨画的な、いわばフィクショナルなものとして、より強く印象付けられているからです。あそこには特別な何かがありました。ほかの季節には決して見いだせないような。でもやがてはそれも溶けて、車のタイヤに押しつぶされて、泥と混じって消えてしまうのですが。