死のコーヒー

昨日の朝、私はれたてのコーヒーにを入れて飲んだ。それは近所のスーパーで買ってきたもので、国内産のオーガニックだということだった。確かに飲むとそれは自然な死の味がした。限りなく生に近い死だ。

 

 

そのスーパーはちょっと特殊なスーパーで、死の隣の棚には狂気が売られていた。私はそれも買おうかどうか迷ったのだが、以前友人に「スーパーで売っている狂気なんか買っちゃだめだよ」と言われていたので、結局買わなかった。その友人は今自前の狂気に呑み込まれて、精神病院に入院している。

 

 

狂気の隣には正気が売られていて、いかにも健常そうな人々がそれを買い漁っていた。しかし私は正気にはあまり興味がないので、そこは素通りして生鮮食品のコーナーに行った。

 

 

生鮮食品のコーナーにはその日の朝取れたばかりの新鮮な肝臓が並んでいた。私は元来レバーには目がないので、さっそく物色しにかかったのだが、パックの裏を見ても賞味期限も生産地も書いていない。そもそも何の肝臓なのかも書いていない。どうも今までの流れからして人間の肝臓である可能性も捨てきれないので(私は常々その一線だけは越えたくないと思っていた)、結局それを買うのはあきらめた。

 

そのあと私は牛乳を買おうと思って見に行ったのだが、「おいしい牛乳」の隣に「悲しい牛乳」が置いてあるのに気付いた。値段は一緒なのだが、パックの表面には悲しそうに涙を流す牛の姿が印刷されている。このスーパーはやはりおかしい、とそのとき私は確信した。だってどこの誰が「悲しい牛乳」なんてものを買うというのだ?「楽しい牛乳」ならまだしも。私は結局「おいしい牛乳」を二本買い、野菜コーナーへと向かった。

 

 

野菜コーナーにはまあ、基本的は普通の野菜が並べられていたのだが、ただひとつ通常とは言いかねるものがあって、それは「聖なるブロッコリー」というものだった。近くで商品を並べていたパートの女性に、これは一体どのように神聖なのか、と尋ねてみたのだが、その内容は教えられない、という答えが返ってきた。

 

「だって、どのように神聖なのか分かってしまったら、それはもう神聖ではないということになるでしょう」

 

なんだか分かったような分からないような回答だ。これは私の推測だが、彼女にだってなぜそのブロッコリーが神聖なのか分からなかったのではないか。きっと彼女は(顔に似合わず)巧妙なレトリックを駆使し――きっと通信教育で勉強したのだろう――私からの鋭い質問を見事にかわしたのだ。とにかく私は、結局その神聖なブロッコリーは買わず、近くにあった普通のブロッコリーを買った。なにしろ神聖な方のブロッコリーは普通の三倍の値段がしたのだから。

 

 

私がそこを離れようとすると、一人の子どもが一房のカリフラワーを母親のカゴに入れようとして怒られていた。私は常々子どもはもっとたくさんカリフラワーを食べるべきだと思っていたので、少し戸惑った。

 

「あんた!」と母親はその(比較的)綺麗な外見には似合わない厳しい口調で言った。「一体どこの誰に教わったの!そんなものからは早く手を離しなさい」

 

子どもはしぶしぶそれを棚に戻した。

 

彼らがいなくなった後、棚をよく見て気付いたのだが、それは普通のカリフラワーではなく「悪のカリフラワー」だった。確かに普通のよりも色が少し黒ずんでいる。匂いを嗅いでみると、どことなく悪の匂いがするような気がした。悪のカリフラワーは普通のカリフラワーより少し割高だったが、それでも結構売れているみたいだった。私はためしに一房買ってみてもいいかもしれないと思ったのだが、さっきの母親の反応を思い出してやめた。なにも私は悪の道に進みたいわけではないのだ。

 

 

最後に私は水を買った。ミネラルウォーターでコーヒーを淹れるとおいしい、と知人から(彼もまた今では精神病院に入っている)聞いたのだ。それで、私はごく普通のミネラルウォーターを買おうとしていたのだが、そのときボトルに書かれたある文字に気を取られた。それは「すごく透明な水」というものだった。

 

すごく透明な水は、文字通りすごく透明で、どれだけ近くで見てもそこに水が入っているようには見えなかった。でもボトルを振ってみると、確かに水が入っているような音がする。私は近くを通りかかった年配の職員に聞いてみた。

 

「これには本当に中身が入っているんですか?」

 

「ちゃんと入っていますとも」と彼は言った。名札を見ると、どうやら彼がこのスーパーの店長であるらしかった。「私自らが白神山地で採って来たんです。秋田側の白神山地です。ここだけの話ですがね、無許可で採取してきたんです。でもですよ、こんなにきれいな水をただ放っておくのはもったいないじゃないですか」

 

彼はそこで一度にやりと笑った。「この水を一口飲むとね」と彼は続けた。「今までの自分の人生が馬鹿らしく思えてきます。一体今まで自分はどんな水を飲んできたんだろう、と。なぜこの水の存在を知らなかったのだろう、と。この水は細胞の隅々にまで行き届き、潤いを与えます。今まで死んだような人生を送ってきた人が、瞬時に蘇ります。でも多くの人はそこから先に耐えられない。なぜならそれまで眠っていた彼らのマッドネス(狂気)もまた目を覚ますからです。統計上、この水を飲んだ人の99パーセントが脳に異常をきたし、病院に運ばれました」

 

「でも1パーセントは違うわけですね」と頭の回転の速い私は言った。

 

「ええ」と店長は言った。「その人物は狂気を具体的な形にすることに成功しました。いわば完全に正気に狂気を生きたのです」

 

 

そう言う彼の目は今狂気にらんらんと輝いていた。純粋な狂気だ。そのとき私は悟ったのだが、その「1パーセント」というのはきっと彼自身のことだったのだろう。彼はその水を飲んで自らのマッドネス(狂気)を活性化させ、そしてこの店を(この明らかに普通とは異なった怪しげな店を)開くことになったのだ。

 

「でもそんな水をここに置いておくのは危険なんじゃないですか」と私は言った。「隣の『南アルプスの天然水』と間違えて買ってしまう人もいるかもしれない」

 

「その心配はありません」と彼はプロフェッショナルの微笑みを顔に浮かべ、言った。「なぜならその水は飲む人間を選ぶからです。選ばれた人間以外にはその水は見えません」

 

「ということは」と私は聞いた。「私は今日この水に選ばれた、ということですか?」

 

彼は深く頷いた。「今日この店が開いているのは、いわばあなた一人のためだったのです」。彼はそこで手を伸ばし、その「すごく透明な水」のボトルを私のカゴに入れた。

 

「これは私からのサービスということにしておきましょう」と彼は言い、そのままスタスタとどこかへ立ち去ろうとした。しかし気が変わったのか、最後に私の方を向き、親指を上げてこう言った。「Good luck」。そしてそのまま奥に消えて行ったのだが、私の視界には彼の薄くなった白髪が(というかそれが放った輝きが)まるで何かの後光みたいに、いつまでもずっとぼんやりと浮かび続けていた。

 

 

ということで私は今その「すごく透明な水」で淹れたコーヒーを飲もうとしている。すごく透明な水は透明すぎてよく見えないくらいなのだが、まあちゃんとコーヒーが抽出されているからにはきっとそこに存在しているのだろう。もちろん昨日の朝飲んでもよかったのだが、どうしても気持ちを決めることができなかったのだ。考えてみれば私にはこの水を飲まない、という選択肢だってあったはずなのだが(どちらかというとそちらの方がまともだと思う)、私は一晩考えて結局この水を飲むことにした。なんというか、自分自身がそれを求めている、という気がしたからだ。きっとあのスーパーに行った時点からこうなるよう決められていたのだろう。

 

私はゆっくりとコーヒーをすすった。はじめのうち、ごく普通のコーヒーの味がしただけだった。確かに口当たりはなめらかで、普通の水で淹れたものよりもおいしい。でも本当の違いはそのあとにやって来た。

 

そのコーヒーが私の中に浸透するにつれて、もともと私の中に潜んでいた狂気正気が混ざり合って、一つのを形づくった。私は目をつぶってただその光景を眺めていた。しかしやがてそのうちの狂気が膨張していき、それはモコモコと成長して、やがて悪のカリフラワーになった。悪のカリフラワーはそのままどんどん巨大化するかに思えたのだが、突然空から悲しい牛乳が降ってきて、その悪を和らげた。するとそれは瞬時に姿を変え、聖なるブロッコリーになった。聖なるブロッコリーは神聖な光を降り注ぎながら、私の視界の中心にどっしりと鎮座していた。私はとっさにそれに手を伸ばそうとしたのだが、ふと見ると、自分がひとつの新鮮な肝臓に変わっていることに気付いた。すると降り注いでいた牛乳が突然アルコールの雨に変わり、私はせっせとその毒素を分解しなければならなくなった。神聖なブロッコリーはその雨を受けてどんどん肥大化し、大きな木のようになった。私は毒素を分解するかたわら、横目でそれを見つめていた。するとその大きなブロッコリーの根元に扉のようなものが現れて、そこからあの店長が出て来た。彼は私に(今や肝臓になった私に)言った。

 

「いいですか」と彼は言った。「これが真実なんです。あなたは今世界の土台を眺めているんだ。でも目をそらしてはいけない。すぐそこに狂気が迫っているから」

 

ふと後ろを見ると、確かにそこには底知れぬ狂気が迫って来ていた。私はせっせとアルコールを分解しながら、自分がこれから一体どうすればいいのか考えようとしていた。一体どうすれば狂気に呑まれないで済むのか。でも良い考えは何も思いつかなかった。一体誰がこんなにたくさんのアルコールを摂取したんだ?

 

あなた自身です」とそこで店長が言った。「いわばあなたは常に酔っぱらって世界を眺めてきたようなものなんです」

 

結局私が何かを思いつく前に狂気が私を包み込んだ。聖なるブロッコリーもまた狂気に呑まれ、世界は暗闇に覆われた。それでも私はあきらめず、せっせとアルコールを分解し続けていた。あきらめたら終わりだ、となぜかそのときの私は思っていた。あきらめたら一切が終わりだあれこれ考えたって仕方がない。結局のところ、今自分にできることを精一杯やるしかないじゃないか。それが人生というものだろう。そしてそのときの私にできたのは、降り注ぐアルコールの雨をせっせと分解し続けることだけだった。

 

最後の瞬間、死の闇の前方に何か淡く光るものが見えた。それはあるいは単なる蛍光灯の光だったのかもしれないし、何か特別な光だったのかもしれない。いずれにせよ、それは私に希望を与えてくれたし、希望は私に生き続ける力を与えてくれた。私は全身にあのすごく透明な水が行き亘るのを感じることができた。

 

 

目を覚ましたとき、私は元いた自分の部屋に戻って来ていた。確かに店長の言ったとおりだ、と私は思った。今まで俺は一体何をしてきたんだろう?どうしてこんな人生に我慢できたのだろう?

 

私は周囲を見回し、これから自分が何をすべきなのか考えようとした。しかし、今は頭が混乱して何も思いつくことができなかった。私は無意識にもう一杯コーヒーを飲み(幸いさっきのような幻覚はもう現れなかった)、イスの背もたれに深く身をもたせかけた。そして半分まどろみながら、目の前で何かがチカチカと光っていることに気付いた。見るとそれは天井からぶら下がった蛍光灯で、今切れかけては光り、また切れかけては光る、というのを繰り返していた。やはり蛍光灯の光だったんだ、と私は思った。ぼんやりと見つめているとなんだかその光を応援したくなってきてしまった。この蛍光灯は誰にも感謝すらされないまま、とにかく毎日頑張って私の暮らしを照らし出してくれていたのだ。果たして私の生活はそれに見合うほど価値のあるものだったのだろうか?

 

いや、価値などなかった、とあの水を飲んだ後では私は自信を持って(こんなことに自信を持つというのも変な話なのだが)断言することができた。しかし一体私に何ができただろう?私は自己弁護をするのは好きではないが(まるで政治家みたいじゃないか)、それでも当時の自分にはほかにどうすることもできなかったことを知っていた。しかし、今では私は世界の土台を眺めてしまっていた。もう後戻りすることはできない、と私は思った。その土台の上に人生を築き上げなければならないのだ。でも今のところ私は混乱し、疲れ切っていた。頭上では、あの蛍光灯が生命の最後の残滓を燃焼させようと必死に奮闘を続けていた。私はイスに座ったままの状態で目を閉じた。そして深く息を吸い、吐き出した。また吸い、吐き出した。そして自分はこの蛍光灯の奮闘に恥じないような人生を送らなければならない、と決意した。でもまずは眠らなければならない。泥のように、深く。圧倒的な眠気が、大きなうねりとなって私に押し寄せて来ていた。それはまるで前にテレビで見たハワイのノースショアに押し寄せる大波みたいだった。よく見ると、そこにはサーフボードに乗った店長がいて、器用に波を乗り回していた。彼は上半身裸で(たくましい身体だ)、よく日焼けしていた。

 

「狂気を乗りこなすんだ」と彼は言っていた。「そうすれば、誰もあんたを止められない」

 

私は首を振った。どこまでが幻覚で、どこまでが真実なんだろう?どこまでが夢で、どこからが現実なんだろう?でも私にはその境目が分からなかった。店長は相変わらず波を乗りこなし、私はその圧倒的な眠気の中に埋没しようとしていた。蛍光灯はまだチカチカと奮闘を続けていた。人生は謎だ、とふと私は思った。そして、あの店長も謎だ。聖なるブロッコリーも悪のカリフラワーも謎だ。唯一言えるのは、誰も酒を飲み過ぎるべきではない、ということだけだ。

 

ところで、と眠りに落ちる最後の瞬間にふと私は思った。あのスーパーでは蛍光灯も売っているのだろうか?

 

 

 

 

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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