いんげん 【短編小説】

 自分がいんげん●●●●だと気付いたのは小学校6年生のときだった。

 何かがおかしいとずっと思っていた。小学校1年生から、いや、あるいはもっとずっと前からだったかもしれない。とにかく周囲に溶け込むことができないのだ。まわりにいるのは「にんげん●●●●」だ。そう教わってきた。ぼくだって人間だろう、と鏡を見て思う。手があり足があり……頭がある。そう、見た目は変わらない。でもどうしてこううまく馴染めないのだろう? ずっと?

 授業中もむずむず●●●●していたし、放課後だってむずむずしていた。ピアノ教室に行っても、そろばん教室に行っても、4年生になって野球チームに入ってもむずむずしていた。でもその「むずむず」が具体的にどんななのか、みんなに分かってもらうことができないのだ! なんという疎外感! なんという孤独! 一応形を真似することはできる。でもこんなのは本当じゃない! と私の中の何かが叫んでいる。それは言葉のない叫びだ。「むずむず」としてしか感じ取ることのできない叫びだ。私はよくおなかを壊したり、熱を出したり、貧血になったりした。それも大事な行事の前にだ。水泳大会。学芸会。運動会。上級生の卒業式……。仮病けびょうではないかと疑われたこともあった。でも仮病ではないのだ。きっと普段の「むずむず」が溜まっていって、プレッシャーがかかる場面で免疫力が極端に落ちて、その結果ダウンしてしまっていたのだと思う。両親は不思議がっていた。決して不良ではない。勉強だってよくできる。習い事もちゃんとしている。なのにどうしてこう本番に弱いんだろう、と。

 でもその11月のある晴れた朝に、私は悟ったのだ。私はいんげん●●●●だったのだ、と。どうしてこんな簡単なことに気付かなかったのだろう、と私は思っている。そうか、ぼくはいんげんだったんだ。にんげんじゃない。いんげんだ! 街中に叫んで回りたかったのだが、そんなことをしたら精神病院に入れられるのは目に見えていたので――私の両親は極めて「普通の」人たちだったのだ――我慢して黙っていた。起きて、用を足し、顔を洗って、着替えた。そして朝食を食べる。朝食にいんげんは出てこなかった。というか私の家では年に2回くらいしかいんげんが出てこない。私はそのことにほっとした。気付いた初日に同族を食べたくはなかったからだ。母は私の変化に気付いたみたいだった。「なんか表情が明るいね。何かあった? 嬉しいこと?」と訊いた。

「いや、なんでもないよ」と私は嘘をついた。

「ふうん」と母は言った。たぶんその表情からするに、好きな女の子でもできたのだろう、と考えているらしかった。見え見えだ●●●●●、と私は思う。いんげんは頭の回転が速いのだ。にんげんなんかとは比べ物にならない。

 でもそこで不思議に思えてくる。どうして両親は二人とも人間なのに、私だけがいんげんなのだろう、と。父はすでに仕事に出てしまっていた。弟はまだぐずぐずと着替えをしている。弟だって人間だろう。私はそれを知っている。おじいちゃんやおばあちゃんも人間だった。そういえばおばあちゃんの家でいんげんの胡麻えを食べたことがあった。私は共食いをしたのだ! そう思うと吐きたいような気持ちになってきたが……なんとか耐えた。そしてチーズトーストを食べる。

 歩いて小学校に行く。素晴らしい天気だった。雲はほとんどない。小鳥たちが気持ち良さそうに飛んでいた。よく整備された住宅地で、同級生たちはだいたい近所に住んでいた。駅までは遠いが、街中に比べれば空気は良い。近くに大きな公園だってある。私はランドセルを背負って歩いていく。なんだか昨日よりも身体が軽いような感じがしている。きっといんげんだと気付いたからだ、と私は思う。もうこれ以上にんげんになろうとしなくていいんだ! だってそれは正しくないことだもの。いんげんはいんげんとして生きるべきなのだ。きっと法律にだってそう載っているはずだ。「いんげんはいんげんとして生きるべし」と。なんていう法律かはちょっと分からないけれど……。

 でもなんだか変だった。誰もいないのだ。誰もいない? と私は思う。たしかにおかしい。学校に行く途中で誰にも会わないなんて……。弟はぐずぐずしていたから、きっとあとから走ってくるだろう。まあそれはいいとして……誰もいない? そんなわけがない。車だって走っていない。いつもすれ違うランニングのおじさんもいない。犬の散歩をしているタケダさんもいない。おかしいな、と思いながら、学校に行く。

 校門の前で「おはよう!」と言ってくれる校長先生もいなかった。すごくしんとしている。駐車場に車が停まっていない。そんなわけないよ、と思うのだけれど……それは本当のことなのだ。昇降口から学校に入る。スニーカーを脱いで、上履きに履き替える。ここにも誰もいない。もしかして時間を間違えちゃったのかな、と思う。きっとあまりにも嬉しすぎて、2時間くらい早く来ちゃったんじゃないか? そう思って一番近くにあった1年生の教室に行く。ドアを開けて、時計を見る。でも……やっぱり間違っていない。もう8時だ。私たちの学校は8時15分まで来なくちゃならないことになっている。この時間には多くの子供たちが普段は来ているはずだった。そんなわけないのにな……と私は思う。

 首をかしげなら、とにかく自分の教室に行く。6年3組。その教室は三階にあった。階段を上る。そして……着く。ガラガラ、と開ける。でも誰もいない。いや、一人――というかいっぱい●●●●というか……――いた。先生が使う教卓の上に、白い皿があって、その上に茹でたいんげんが(さやに入ったままの若いいんげんたちが)たくさんいたのだ。胡麻も、マヨネーズもかかっていなかった。ただそのままのいんげんだ。私はゴクリと唾を飲み込んだ。急におなかが減ってきたのが分かった。ついさっき朝食を食べたばかりなのに……。

 でもそれは根源的な欲求だった。私はそのいんげんを食べたい。むさぼり食べたい。そのことしか考えられなくなっている。教室には誰もいなかった。すごくしんとしている。廊下に顔を出して、様子を伺う。誰もいない。唾が口から溢れ出そうになっている。グー、とお腹が鳴る。私は今日自分はいんげんだったと気付いた。友達にうまく馴染めないのも、バットがボールに当たらないのもそのせいだ。小数の割り算ができないのもそのせいだ。すべての原因はそこにあったのだ。好きな女の子が振り向いてくれないのも。ガキ大将がときどきいじめてくるのもそのせいだろう。みんなは無意識に私がいんげんだと――人間に似てはいるが違うということを――感付いていたのではないか? もしかして先生も……。

 そこではっと悟る。きっとこれは先生が――担任の中西先生が――用意してくれたものなのだ。「今日は君のいんげん記念日だ●●●●●●●●」と。きっと先生がみんなに連絡をして、サプライズプレゼントを用意してくれたのではないか? いわば私の第二の誕生日だ。にんげん●●●●としての私は死に、いんげん●●●●として生まれ変わる。そのためには……同族を食べなければならない。彼らは生贄いけにえだったのだ! 私はそう結論付けた。

 もし自分が誰かに貪り食われたら……と思うとぞっとしないでもなかったが、もはや身体が言うことを聞かなかった。いずれにせよ、サプライズなら喜んでこれを頂こうじゃないか、と思う。いんげんだと悟ったその日に、大量のいんげんを食べる。私は手で掴み、それを貪り食った。ガツガツと食べる。独特の香りが口いっぱいに広がる。彼らは叫んだりはしない。ただ運命を甘受している。私は獣のように食べていく。30本くらいはあったかもしれない。全部あっという間に平らげてしまった。突然くらりとめまいがする。私はその場に仰向けに倒れる。腹は膨れている。でも頭が……上手く、動かない……。後頭部を打ってしまった。そのまま眠りに就く。私は……ぼくは……。

ねえ! ねえ!」と誰かが呼んでいた。頬をぴしゃぴしゃと叩かれているような感じがする。目を開ける……すると、私の好きな女の子が立っていた。心配そうな顔をしている。ほかの子たちの顔も見える。「どうした?」という大人の声がする。中西先生だ。私は顔を上げる。

「大丈夫か?」と先生が言いながら、私の身体を起こす。後頭部が痛んでいる。何が起きているのか、私には分からない。

「いんげん」と私は言った。「いんげんが……」

「何か変なことを言っているな。誰か、保健室に行って、サトウ先生を呼んできなさい。今すぐ!」

「はい!」と言って、誰かが走っていく。まだ焦点が合わない。あれは……夢だったんだろうか、と私は思っている。

「私が朝来たら……ここにいたんです」と女の子が説明している。

「そうかそうか……」と先生は言っている。「大丈夫か? 頭打ったか?」

「いんげんが……」と私は言う。それ以外の言葉が浮かんでこない。

「インゲン? ああ、今日の給食にインゲンの胡麻和えが出てくるな。俺はあれが大好きでね。一ヶ月前から給食のメニュー表に印を付けているくらいなんだ。子供の頃から好物で、夢にも出てくるくらい……」

「ぼくは昨日いんげんの歌手が歌を歌っているのを見たよ!」と男の子が言う。私はもはやその子の名前を思い出すことができない。いんげんの歌手? 「い・ん・げ・ん~。愛しのい・ん・げ・ん~ってね」

そんなわけない!」と私は言う。そして勢いよく立ち上がって、その少年のことを突き飛ばす。彼は倒れる。みんなが騒然としている。でも倒れた彼を見ると、緑色の細長いさやいんげん●●●●●●になっている。それが転がっている。私は目をこする。

 そのとき大人の手が私の顔に何かをり付ける。それは白胡麻だった。やめて! と言おうとするけれど、声が出ない。ほかの子たちの手も加わる。みんななぜか胡麻を執拗に私に擦り付けている。「ほら、もっと!」と中西先生が言う。もっと多くの手が加わる。私は逃げようとする。でも逃げることはできない。いんげんであるというのはこういうことなのか、と私は思う。

「頭は俺がかじるからな」と先生が言った。「それは教師の特権だ。残りは好きにしたらいい」

 私は目をつぶる。そして……スパッと頭が切断される。そのような感覚がある。私はいんげんの天国へと移動する。天国●●


 それからしばらく時間が経った。ここでは大抵みんなR&Bを聴いている。身体を動かすのは楽しいが、ときどき別のことをしないと退屈してしまう。そこで最近はにんげんごっこ●●●●●●●流行はやっている。我々いんげんの魂たちは、人間のふりをするのがすごく上手いのだ。私はたとえば教師の役をやる。たとえば誰かが生徒の役をやる。そうするともう一気に入り込んでしまう。私はスパルタ熱血教師になり、運動会の指導をする。組体操。集団での行進。ダンス……。誰かが校長先生のふりをする。実は我々は記憶力があまりよくないので、そのうち自分たちがいんげんであったことを忘れてしまう。そのように時は過ぎていく。今は……。

 あれ? ここはどこだ? 私はいったい何をしていたんだったっけ? 思い出せないな。まあいいか。R&Bが鳴っていれば。

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です