東京都郊外の街の、駅近くの交番。午後8時15分。カウンターの奥に40代前半くらいの男の警察官が、疲れた顔をして座っている。彼は書類を見つめ、何やら書き込んでいる。奥の方で別の警察官が歩いている音が聞こえる。そこに突然、20代後半くらいのメガネをかけた女性が、オドオドした様子で入ってくる。彼女は奇妙な荷物を持っている。丸まっていて、肌色と白と黒で……。
女性:あの……あの、すみません。実は……これを拾いまして。
警察官:(チラッと目線だけ上げて):ああ、落とし物ですね。〈小声で〉面倒くせえなあ……。
女性:あの、ちょっと、これ、実は結構重くて……。ほら、立って! もうちょっとこっちに……。
警察官:ええと、何を拾われたんで?
女性:おじさんです。
警察官:(パソコンに打ち込みながら)お・じ・さ・ん、と。ええと、どこで拾いました?
女性:ここから歩いて5分くらいの、私のアパートの前なんです。実はアルバイトに行く前にも見たんですが、そのときはおじさんだしいいかなと思って……。
警察官:(目が鋭くなり)そのときは無視したと?
女性:(ビクビクしながら)ええ……。というか、あの、会釈くらいはしたんですけど……なんというか、ほら、おじさんだったので。道にうずくまって、すごく物欲しそうな顔をしていたんですけど……。ほら、結構危険な方もいらっしゃるので……。
警察官:まあそれはそうですよね。中にはそういうおじさんもいます。種族によって違うんです。それで……帰ってきたときにも見た、と。
女性:(頷きながら)ええ、そうなんです。アルバイト先から帰ってきたときに、やっぱりおんなじ場所にうずくまっていて……。こう、体育座りをするような感じで、髪の毛も薄いし、スラックスにワイシャツだけで……なんかプルプル震えていて、どうしたらいいのかと思って……。
警察官:それでどうしたんですか?
女性:それで、ネットで検索したんです。ほら、私って分からないことがあるとすぐ検索する癖があって……。それでいろんな情報を見てみると、おじさんって結構道に迷いやすいって書いてあって……。ああこれは迷子のおじさんなのかなって……。あとは頭を叩くと喜ぶって書いてあったんで、叩いてみたんですけど……そしたら噛みついてきて。ほら、ここです。この右手の、親指の付け根です。
警察官:それは正当防衛というものでしょうな。おじさんの方の。
おじさん:クゥーン(という声を出す)。
警察官:ほら、よしよし。大丈夫だからな。僕らで守ってあげるから。
女性:それで、このあとどうなるんでしょう? 検索したら粗大ゴミにも出せるらしいんですけど……。さすがにそれはちょっと……。
警官察:大方不法投棄といったところでしょうな。最近そういう輩が多いんですよ。全国各地で「不要になったおじさんを処理します」と言って手数料を取って、その辺に投げ捨てるんです。そうやって利益を得ているんですよ。まったく……。
女性:じゃあこのおじさんはもともとゴミとして捨てられたもので……。
警察官:まあその可能性は高そうですな。ちょっと状態を調べてみましょう。
警察官、そこでカウンターの表側に来て、おじさんを調べる。髪の毛の具合(すごく薄い)。ワイシャツの汚れ方(すごく汚い)。お腹の張り具合(パンパンに張っている)。前の飼い主の情報……。
警察官:あ、ほら、この足首のところ。この黒い輪っかですがね、これは、この人の情報が記載されたチップが埋め込まれているんですよ。なんだ。それなら話は簡単だ。ちょっと待っていてくださいね。
女性:は、はい……。
警察官、裏に行く。少しして小型の機械を持って戻ってくる。それをおじさんの足首に付いた黒い輪っかに近付ける。ピピッ! という音がする(おじさん、びっくりして目をぱちくりさせる。鼻水が出ている)。警察はその機械をカウンターのパソコンとつなぐ。何やらカチャカチャとキーボードを打っている。そして……。
警察官:ほら、出た。ふうん、どうやら、結構名門の生まれみたいですよ。このおじさん。
女性:それが……どうしてこんなことに……。
警察官:なになに……なんだって? そんなことが? いやあ、気の毒だなあ。実に気の毒だ……。俺だったら耐えられない……。しくしく……(袖で涙を拭う)。
女性:何があったんですか? いったい?
警察官:いやあ、言いたいのはやまやまなんですがね……これは個人情報でして、どうしてもお伝えできないというか……。
女性:(しょんぼりして)そうですか……。
警察官:ただ前の飼い主の情報が載っていないな。おかしいなあ……。
おじさん:ぴょん! ぴょん!(と言いながら突然立ち上がり、ジャンプし出す。さながら一匹の妖精のようだ。両腕を身体にぴたりと付け、手のひらだけを羽のようにひらひらと動かしている。まるでその動きによって宙に浮かんでいるかのように……。そのとき何かの要件で中年女性がやって来たが、見るべきでないものを見たと悟ったらしく、急いでドアを閉めて帰っていった)。ぴょん! ぴょん!
警察官:いい子だからちょっと静かにしていてね。うるさくすると、おじさん、ピストルで撃っちゃうぞ? いいかな? 脅しじゃないからね。
おじさん:ぴょん! ぴょん! カエルがぴょん!
女性:ああ、また変な動きを……。ここはまた検索しなきゃ(スマホで検索する)。ええと、なになに? 「おじさんがぴょんぴょん飛び跳ねたら、それは死の先触れです。しかしそれはおじさん本人の死ではなく、近くにいる別の人間の死です」って! まずい。私か、あの警察官か、どっちかしかいないじゃない! お願いだからあの警察官であってほしい……。
警察官:あなたは何をぶつぶつ言っているのかな?
女性:(ビクッとして)いや、なんでもありません! 閣下!
警察官:それならよろしい。
おじさん:ぴょん! ぴょん! クルッと回って……またぴょん!
女性:ええと……「もしおじさんがクルッと回ったら……それは近くにいる別の人間がものすごい苦痛を受けることを意味します」だって。ああ、ここから逃げなくちゃ……。
警察官:(パソコンを見ながら)ええと、どうやら上層部が機密情報にしていたみたいだ。しかし俺のハッキング技術を持ってすれば……そんなのはお茶の子さいさいさ。赤子の手をひねるようなものだ。ええと……えい! (ものすごく高速でエンターキーを押す)この「高速エンター連続押し」で、あらゆる防御を掻い潜るんだ! (やがてパソコンから煙が出てくる)よし、もう少し……。行った! これでおじさんの前の所有者が……。あれ? そんなことはあり得ない。そんなことは……。だって矛盾しているじゃないか? ということは……さっきの経歴は、全部嘘? こっちが本当のこと……なのか……。
おじさん:ぴょん! ぴょん! クルッと回って……またぴょん!
女性:あのう……私はそろそろ帰りたいんですけど……。観たいドラマも始まっちゃうし。今いいところなんですよ。主人公が薬物中毒になって、母親を殴るんですけど、母親が殴り返しているうちに、ボクシングの才能に目覚めて……。
警察官:申し訳ないんですが、ちょっと待って頂けますか。
女性:ええ、どうしてもというなら……。
警察官:この人は私の父だ!
女性:え? 本当に?
おじさん:(目をぱちくりさせながら)高速ステップ! (そこでものすごい速さでステップを踏み始める。複雑過ぎて、どのような意味を持っているのか、おそらくは誰にも分からない) ヒュー! ヒュー!
警察官:そのステップ……。やはりお父さんだ! お父さん! 僕ですよ! 10歳のときに生き別れた! 僕らは登山に行って……遭難したんだ。あなたは僕に着ていたもの全部をかけてくれて、自分は全裸で……どこかに行ってしまったんだ。僕が発見されたとき、あなたはもういなかった。あれから30数年……。
おじさん:おじステップ! おじステップ!
警察官:お父さん! 僕ですよ! 覚えていないんですか? お父さん!
おじさん:おじステップ! おじステップ!
女性:ああ、ドラマが始まっちゃう! こんなときは……(そこでまた検索する)ああ、そうか。その手があったか! さすがAIね。警察官からピストルを奪って……それを相手に撃つ。死なないように……右足でいいかな。ええっと……えい! (パン! と鳴る。警察官の右足の甲に命中する)
警察官:痛え!
おじさん:おじおじステップ! うおぉぉぉりゃあぁぁぁ!
女性:(ピストルを投げ捨てて)じゃあ、私はこれで失礼します! 末長くお幸せに! (高速で逃げる)
警察官:お父さん! 頼むから、僕を見てください! お父さん! (足が痛いせいで自然に変なステップになっている)
おじさん:(高速で回転し始める)おじドリル! おじドリル!
奥の方から別の警察官が出てくる。何が起こっているのか理解できず、これは夢なのだと思おうとする。
警察官その2:これは夢だ。悪い夢だ。そう、俺は夢を見ている……(目を閉じる)。
警察官:(ハッとして)ああ、そうか、これはお告げなんだ。自分の魂の自由のために生きろという。そういうことですね? お父さん! 分かりましたよ。僕は警察を辞めます。あなたの弟子になる! 僕は……自由な人間になるんだ! いや、人間じゃない! おじさんだ! 僕はおじさんになるんだ!
ということで世界にまた一人自由なおじさんが生まれましたとさ。めでたしめでたし。
警察官その2:俺は……悪い、夢を……。
おじさんとおじさんその2:おじステップ! おじステップサンダー! ズバババババ!