良い音楽を魂で聴くこと――The Neville Brothers――

ネヴィルブラザーズ(The Neville Brothers)はニューオーリンズ出身の四人の兄弟が1977年に結成したバンドである。長男のアート・ネヴィル(Art Neville)はキーボードとヴォーカル担当。1937年生まれ。次男のチャールズ・ネヴィル(Charles Neville)はサックス担当。1938年に生まれて、ついこの間の2018年4月26日に亡くなった(79歳だった。RIP, Charles)。三男のアーロン・ネヴィルはヴォーカルとタンバリン担当(彼が多くの曲でメインヴォーカリストを務めている)。1941年生まれ。最後に四男のシリル。彼はパーカッション、及びヴォーカルの担当で、1948年生まれ。長男のアートより11歳年下だ。

彼らの音楽は演奏のテクニック、そしてグルーヴ共に素晴らしいものであるのだが(まあ聴いてみればすぐに分かります)、長らくアメリカのラジオであまりかからなかったらしい。それはジャンルがうまく固定できない、ということと(ファンク、ロック、R&B、さまざまな要素が溶け込んでいる)、黒人リスナーと白人リスナーの好む音楽のちょうど中間に位置していた、ということが大きいらしい(黒人が好むにはロックに寄り過ぎ、白人が好むにはR&Bに寄り過ぎている、ということらしい)。今思えばこれだけファンキーな演奏をしていてどうしてそれほど売れなかったんだろう、と不思議に思うのだけれど、アメリカにおいてはそういうきっちりと固定されたジャンル、というのがそれなりに(もちろんマーケット戦略、という意味だが)価値を持つらしい。それは文学にしても同じことだ(たとえばレイモンド・カーヴァーは「ミニマリズム」という言葉の中に押し込められ、村上春樹はポストモダンというジャンルに――無理矢理――詰め込まれている)。

もっともそんなことが音楽の中身に影響するわけではない。今ではみなかなりのお歳を召しておられるのだが、かつての彼らのライヴパフォーマンスの評価はものすごく高かったらしい。たしかにこの動画(上の動画です)を見ればその熱気はじかに伝わってくる。僕が好きなのは長兄のアートが”Feel good music in your soul” (”Hey Pocky Way”)と歌っているところだ(2:47あたり)。「良い音楽を魂で感じるんだ」。それより大事なことなんてこの世に何もないのではないか、とたまに思ってしまう。

ときどきもっとシンプルにならなければならない、と感じるときがある。何かを考えてはいるのだけれど、結局すべて単なる逃避に過ぎない、というような。そんなときにはフィジカルに身を動かす必要がある。頭ではなくビートを感じ取るのだ。彼らの音楽には――あるいはこれはニューオーリンズの音楽全般にいえることなのかもしれないけれど――そういう素朴な心持のようなものが(ある種意図的に)込められているような気がする。なんにせよ楽しむことが一番大事なのだ。難しいことはあとに回そうぜ。魂で良い音楽を感じ取るんだ!(とよく自分に言い聞かせる)

彼らの代表曲イエロームーン(Yellow Moon)の動画です。このイントロを聴くだけで身体がぞくぞくしてきます(あるいはそれは僕だけだろうか?)。三男のアーロンの声は、その強面こわもての見かけによらずとても甘い。彼はソロでも活躍しています。ちなみにこの動画ではジョン・ハイアット(John Hiatt)という人がギターとヴォーカルでゲスト参加しています。

こういう兄弟で活動している人たちを見て思うのは、彼らの関係性についてである。これは単なる想像に過ぎないのだけれど、おそらく日本の兄弟の関係とは少々異なっているのではないか。日本では兄弟の順番、というのが大事になってくる(兄と弟、姉と妹、etc…)。特に重要なのが兄と弟の関係だ。というのも誰が家を継ぐか、というのが切実な現実的問題としてあったからだ。だから――おそらく今ではそんなことはもうないのだろうけれど――かつては長男とそれ以外の子どもたちとの間で親の態度がかなり違う、ということもあったらしい。長男はいずれ家を継ぐのだから大事に育て、それ以外の子どもは結局どこかに行ってしまうのだから、それほど大事にする必要はない、というような。

もっともそれはおそらく戦前の田舎であったような話であって、今ではさすがにそんなことはないと思う。それでもアメリカとたしかに違うと感じるのは、日本においては「一族」としての一体感が(おそらく兄弟においても)強い、ということだ。アメリカにおいてはなにしろ個人というものが意味を持つ。だからBrotherというくくりはあっても、その年齢のことはあまり気にしない。だから洋書なんかを読んでいると、この”Brother”は兄なんだろうか、弟なんだろうか、と日本人の僕としては気になって仕方がないということがよくある(彼らにはただの”Brother” という語だけで足りるのだけれど)。

もっともその個人の違いというものが軋轢あつれきを生むこともあるらしく(どうやら競争意識というものも関係しているらしい)、よく不仲になった兄弟という話を耳にする。ときにそれが殺人なんかに結び付くこともあって、そうなると――なにもカインとアベルの話までさかのぼらなくとも――個人主義というものなかなか大変なんだな、とあらためて思うことになる。

日本の場合は和を重んじる体質である、ということもあって、やはりそういう個性と個性のぶつかり合い、というものは少ないような気がする(もっともそのせいであのおなじみの「みんな一緒」的傾向が出てくることにもなるのだが)。僕はアメリカ的自由に心を惹かれる人間ではあるけれど、かといって日本のあり方がまったく駄目だとも思わない(たとえば日本では突出した人間が出てくる割合が少ないのと同時に、落ちていく人間の割合も少ない)。結局どちらにも一長一短あるわけで、僕としてはそういう違いをあらためて意識してみるのも面白いかな、という気がする。

ちなみにネヴィルブラザーズが不仲であったという話を僕は知らない。実際のところはどうだったのだろう? なんとなく三男でヴォーカルのアーロン・ネヴィルが力を持っていそうだけれど(ヴォーカルが力を持つのはバンドではある程度仕方のないことではある)、長男のアートがそれをうまく抑えていたのだろうか? その辺については想像するほかない。あるいは細かい文献を当たってみれば分かるのかもしれないけれど。

P.S. ちなみに2005年のハリケーンカトリーナによってアーロンとシリルが自宅を失い、生まれ故郷のニューオーリンズを出なければならなくなってしまった。とすると、ほかにも数多くのミュージシャンが同じように被害をこうむったはずだ。そう思うと、単に「遠い場所で起こった災害」だったものが、一気に身近な(つまり自分に関係のある)こととして感じられるようになる。あるいは人間の想像力というものは、マクロの視点で見ることよりも、ミクロの視点で(つまり個人の視点で)見ることの方に向いているのかもしれない、とも思う。でもきっと両方とも必要で、場合によってうまく使い分けていくことが大事なのだろう。もちろん小説家(志望)の僕としては、個人が何をどのように感じるのか、ということが一番の関心事になるわけだが。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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