『白い部屋 (2)』の続き
気付くと僕はあの白い部屋に戻っていた。壁の揺れはすでに完全に収まっていた。僕は一人ベッドに腰掛け、左手には例のプラスチックのスプーンを力強く握り締めていた。今見た不思議な幻想について考えを巡らそうとしたが、それは難しかった。というのも今の僕には一体どちらが本当の現実なのか、その区別がつかなかったからだ。果たしてこの部屋は現実世界の一部なのだろうか? もしかしたらこっちの方が幻想なのではないか?
しかしもしそうだったとして、結局のところやるべきことは一つだけだった。できるだけ自由になること。そんな考えがどこから湧いてきたのかは分からなかったが、今では僕はそれを心から信奉していた。できるだけ自由になること。
僕は周囲を見回してみた。もうずいぶん長い間この狭い部屋に閉じ込められている。僕にとって不思議だったのは、自分がここにいることをさほど苦痛には感じていなかったということだ。なぜそんなことが可能だったのだろう、と今では思う。僕はついさっきまで巨大な壁になっていた。どこまでも一直線に伸び、あの男の進路を阻んでいたのだ。そこでは僕は、むしろ自由を奪う者だった。にもかかわらず、あのビジョンは僕に一種の肯定的な感覚を残していった。世界には壁だって必要なのだ、と僕は思っていた。壁を憎んではいけない。なぜなら憎しみは、それ自体が新たな壁になってしまうのだから。
あそこで僕は生きた壁になっていた。生きた壁はどのような揺れにも倒されることはない。なぜならそれは大地と共に揺れるからだ。それは悪しきものから柔らかいものを守るだろう。僕にはそれが分かった。身に染みて分かったのだ。
最後にあの男はくるりと背を向けて大地の反対側へと歩いていった。彼はもう僕の向こう側に進みたいと思ってはいないようだった。それはなぜだったんだろう? あるいは彼は壁の内側にいても自由であることができたのだろうか?
いずれにせよ今ここにいる僕は、今ここをきちんと生きねばならなかった。それがあのビジョンが伝えていた最も重要なことだ。与えられた役割がどのようなものであれ、必死にそれを生きること。安易な解決策にしがみつかないこと。
僕は立ち上がり、ドアのところに行った。ドアノブを回したが、もちろんそこには鍵がかかっている。何度もガチャガチャ鳴らしたあと、拳でそこを殴りつけようとする。でもとっさにそれを思い留まる。何もドアが悪いわけではないのだ。彼はそこにいて、ただ自分の役割を果たしているに過ぎない。
ドアの下には食事を差し入れるための細長い、四角い穴が空いている。僕はそこから手を伸ばしてみたが、向こう側には誰もいない。誰一人僕のことなんか考えてはいない。それがひしひしと伝わってきた。不思議なことにこのように外に出たいと思っているにもかかわらず、あの幻想を見る前に感じた激しい怒りはどこかに消え失せていた。今僕の中にあるのは凪のような静けさだけだった。うん、これは正しい状態だ、と僕は思った。もちろん閉じ込められていることが正しいわけではなく、心が平静であることが正しい状態だ、という意味だ。
僕はドアの前で胡坐をかき、じっと床を見つめていた。ちょうどさっきの幻想の中であの若い男がやっていたみたいに。彼はそうすることによって(おそらく)あの激しい揺れを引き起こした。彼がやったのは壁に対抗することではなかった。むしろ壁の中に自分自身を入れ込むことだった。壁に自らの一部を分け与えることだった。そうすることによって彼は結果的に真の自由に近づいたのだ。
僕はまったく同じようなことをしようとした。そこで僕の脱出を阻んでいるドアに向かって、心の声で話しかけるのだ。なあ、と僕は思う。君は今何を思っているんだ?
もちろん返事はない。ドアに話しかけるなんて――実際に声に出したわけではなかったが――常軌を逸している。しかし僕はそんなことは一切気にしなかった。僕は僕であり、同時にドアでもある。大事なのはそのことだ。
なあ、ともう一度僕は思う。君は今何を思っているんだ?
ただ役割を果たすだけだよ、とやがて声が聞こえる。ドアの声だ。
そうやって生きていて楽しいかい?
楽しいも何もないさ、とそれは言う。それに俺は君みたいに「生きている」わけじゃない。
でも死んでいるわけでもないんだろう?
まあね、とそれは言う。でもそんなことどっちでもいいことさ。
僕のほかにも誰かを閉じ込めたことがあるのかい?
もちろんだよ、とそれは言う。そうだな、君でちょうど125人目だ。
僕の前の124人は結局どうなったんだ?
彼はそこで一瞬間を置いた。でもやがてこう言った。それは知らない方がいいと思うね。
でも僕がそんなことは全然信じられないとしたら? と僕は言った。あるいは僕の前に閉じ込められていた人なんか全然いなくて、君は僕を脅しているだけだったとしたら?
どうしてそんなことをする必要がある? とそれは言った。
君にはある目論見があるからさ、と僕は言った。君はそうやって僕のことを脅かして、ずっとここに留め置こうとしている。そうすることが君にとっても楽なことだからだ。でも僕はついさっきあるビジョンを見た。それは生きている壁のビジョンだった。なあ、いいかい? 君はドアでありながら、本当はドアじゃないんだろう。君は僕なんだ。分かるかい? 君は僕自身なんだ。
ドアはそれには何も答えなかった。僕の言ったことは合っているのかもしれなかったし、あるいはまったく見当違いなのかもしれなかった。でも僕としてはどちらでもいいことだった。大事なのは揺さぶりをかけることだ、と信じていたからだ。
やがてドアがほんの少しだけ揺れた。少なくともそういう気配があった。カタカタ、という音がドアノブのところで鳴り、蝶番がミシミシと鳴り始めた。
君だって本当はこんな役割を担いたくはなかったはずだ、と僕は言った。自由を阻害する側ではなく、自由を守る側にいたかったはずだ。今からでも遅くはない。僕をここから出すんだよ。君にはそれができる。なぜなら生きているドアなんだから。
ドアはそれに答えて何かを言ったような気がした。うう、とか、ああ、とかいうような苦悶の叫びだ。彼が苦しんでいることは僕にもよく理解できた。生まれてからずっと歪みのない直線的な枠組みの中で生きてきたのだ。それを多少なりとも揺さぶるということは、彼の存在そのものを揺さぶることでもある。しかし、と僕は思った。その内部にこそ大事なものが宿っているのだ。
ドアは苦悶の叫びを上げ続けていた。僕は胡坐をかいたまま手を伸ばし、ドアの中央のあたりに手を触れた。始めは冷たかったものの、細かい揺れに伴って徐々に熱を帯びていった。それは生きているもののみが発することのできる、ほのかな温かみだった。僕は意識を集中し、そこに自分自身の一部を送り込んだ。僕の中にある最も大事なものだ。これこそが真のコミュニケーションなのだ、と僕は思っていた。彼は彼であり、同時に僕でもある。僕は僕であり、同時に彼でもある。そのとき突然揺れがやみ、ガチャリという音がして、鍵が開いた。
僕はゆっくりと立ち上がり、ドアノブを回した。それは何の抵抗もなく開き、新たな世界へと僕を導いていた。そこにいたのは意外な人物だった。それはあの、僕が幻想の中で見た、外国人風の若い男だった。痩せていて、質素な服を着ている。彼は一度僕に頷き、少しだけ笑って、こう言った。「一体いつまでそんなものを持っているんです?」と。
見ると僕の左手にはあのプラスチックのスプーンが握られていた。僕はそれをポケットにしまい、彼のあとに続いて、自分の行くべき場所に行った。