さて、非常に暑い日が続いておりますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 僕はかろうじて生き延びているみたいです。はい・・・。
と、言いつつも、ついさっき川沿いを10km走ってきたわけですが(脱水で死にそうになった)、まあやっぱり運動すると――自分の意思で運動すると――なかなかいい気分であります。特に最近は週一くらいでしか走っていないので(なかなか時間が取れない)、たまにこういう気分を味合わないと、どうも心がすっきりしないみたいです。まあこれは個人的なこと。
今年も知らぬ間に半分が過ぎて――すごく速い気がするのは僕だけだろうか――コロナは徐々に徐々に徐々に・・・収まりつつあるように、思えます。まだまだこれからどうなるのかは予想が付きませんが、まあ一時期よりはましだと思う。社会活動が元に戻りつつあるのは、まあ良いことですよね。たしかに。
僕個人の生活ということでいえば、アルバイト先の営業が変わった影響で、だいぶバタバタしていた、というのが正直なところです。新人さんもたくさん入ってきて、いろんなことを教えなければならない。今までスムーズにいっていたことが、なかなかスムーズにいかなくなる・・・。でもまあ自分としては、そのような細かい変化を楽しもうじゃないか、と思っていたことも事実です。いろんな新しい人と会えるわけだし、この際いろんな話を聞こうじゃないか、と。そういう観点でいえば、できるだけポジティブにものごとを捉えようと努力はしていたと思う。
それはそれとして、30歳になったことによって――秋に31になりますが・・・――自分の中のパースペクティブ(のような何か)が徐々に変わりつつあるのを感じ取っています。今思えば、この東京都郊外の街にやって来たのが24のときで(秋に25になる年でした。2016年か・・・)、そのときの僕はただの世間知らずの若者でした。就職はしたくないが、かといって自分の意思で自分の道を突き進むだけの勇気もない。とりあえず地元は脱出してきたけれど・・・(正確にはお金もないから両親に協力してもらって、脱出させて頂いたわけですが)。
まあ要するに何も分からなかった、というわけです。たぶん文章を――それも小説を――書くことにしか自分の救いはないのだろうな、という予感はありました。でも自分が「作家志望だ」と公言する勇気すらなかった。密かにパソコンに向かって――今は亡きVaio君に向かって――パタパタとキーボードを打っていたに過ぎません。できたものは・・・到底納得できるものではなかった。しかしまあ、今はこれしか書けないのだ、という一種開き直った気持ちがあったのも事実です。今はまあ、こんなものだけれど、もっと成長したあかつきには・・・より自由になれるはずだ。そしたら文学賞を取って、金持ちになって、メキシコに農場を買って・・・。
というのは冗談ですが、正直なところ、それくらいの見通しのようなものしかなかったわけです。きっと普通の二十代とは違っていたのだろうな、と思います。ナイーブというか、素朴というか・・・。しかしまあ、心の中にあった「思い」のようなものは、誰にも奪うことができないものでした。僕はそれの存在をひしひしと感じ取っていたからこそ、不安定に彷徨いながらも、傷つきながらも、変なことに熱中しながらも(パンケーキとか)、かろうじて生き延びていたのだと思います。それはたぶん、自分は個人として生きるべきなのだ、という予感のようなものだったのではないか、と今では思います。
もちろん村上春樹さんの影響はものすごく強い。それは認めます。でも一方で、だからこそ、彼の物真似をしているだけではどこにも行けないのだ、という思いもありました。僕はほかにもいろんな古典文学を読んでいたし(ドストエフスキーとか、漱石とか、まあいろいろ)、そこからも多大な影響を受けました。彼らが示唆していたのは結局のところ、今ここを生きる個人としての姿勢、のようなものだったのではないか、と思います。僕らはどうしても頭だけで考えると、自分を狭く限定させてしまうみたいです。現在地から、目的地まで、一直線に定規で線を引く。うん。間違いない。こういう道筋を辿っていれば、俺っちは迷うことはないもんね。ふふんだ・・・。というのがおそらくは論理性の役割です。それが間違っているわけでは決してない。しかし一方で魂というものがあります(というかあると僕は信じている)。それは定規で線を引いただけでは満足しないのです。就職すれば、安定した賃金がもらえます。上からの指示に従っていれば――従っていさえすれば――とりあえずは食いっぱぐれることはない。なによりも、みんなそうやって生きています。みんなと同じことをしている、というのがポイントです。僕らはやはり、群れの中で生きている動物なのかもしれない。だからこそ、ある程度までは、他人との同質性を――一種のシェルターとして――欲するのかもしれませんね。
でもなぜか僕はみんなと一緒にリクルートスーツを着て就活をするのが嫌で嫌でたまらなかったのです。もちろん今だって一定数そういう人はいるはずだと思うのですが・・・。それはたぶん自由を売ることへの抵抗感があったからなのだと思います。肉体的に生き延びることはあくまで手段なんだ、という思いが僕の中にはあったのでしょう。それはただの容れ物のようなものなのだ。大事なのは何を注ぎ込むのか、なのだ。それを欠いては、人生そのものが無意味になってしまうじゃないか?
もちろん今では同じような格好に見えるリクルートスーツの中に、それぞれ違った個性的な顔が潜んでいることを知っています。だから彼らを軽蔑したりはしない。あるいは僕がこの七年間で学んできたのは、そういうことだったのかもしれない、という気さえします。僕は無意識のうちに、世の中を「正常」と「非正常」に分けて考えていて、自分は「非正常」の側に属しているのだと思い込んでいました。あるいはそうやって自分の正当性を――フィクショナルな正当性ですが――かろうじて保っていたのかもしれません。それはまあ誰しもがやっていることではあると思うのですが・・・。
まあいずれにせよ、ここで言いたいのは、本当は正常な世界なんかどこにもない、ということです。それはあくまで便宜的なルールのようなものです。必要だから、あると仮定している、というような感じです。赤信号ですべての車が直進したら、世界は交通事故だらけになってしまうでしょう。人を殺したら逮捕されます。ものを盗んでも。素っ裸で街を歩いていても・・・。まあ言うまでもなく、そういったルールはある程度は必要なわけです。だからこそ我々は、文句を言いながらも免許の更新に出かけていくわけですよね(あれは退屈だったな・・・)。
僕が学んだのは――学ばざるを得なかったのは――そのポーズの奥にある、それぞれの歪んだ個性のようなものたちです。外界におけるそういった容易に固定されない人々の顔を眺めること。できれば安易にカテゴライズせずに、そのままの形で――できれば動きを損なわない形で――彼らを脳の引出しにしまっておくこと。僕は日々かろうじて生きながら、そういった作業をしていたのではなかったか。どうもそう思うのです。
その結果何を得たか? もちろんまだまだ学習の途中ですので(これはいつ終わるんだろう・・・?)、はっきりしたことは言えないのですが、いくつかの仮定をあげることはできます。(1)視点を固定させないこと。そして(2)コミュニケーションの感覚です。
(1)視点を固定させない、というのは、要するにレッテルを貼らない、ということになります。人々をある程度の共通項で括ることはできます。中年の女性は概してこういう考え方をするものだ。若者はこうだ。老人は耄碌している・・・。それが可能であることは――そして時として便利でもあることは――僕自身否定しません。精神の安定化のために多くの人々が無意識のうちにそういった行為をしているのではないか、と僕は踏んでいます。しかし、一方で、逆のことは不可能です。一般論から、個別の人間を創り出すことはできない。要するにそういうことになります。僕はこれまで(つまり二十代の十年間は、ということですが)、人々のつまらない側面、動きを欠いた側面、傲慢な、偏見に捉われた部分・・・。そういった部分を嗅ぎ分けては、いつも怒っていました。こいつらはいったい何のために生きているんだろう、とすら思っていました。成長することもやめて、自分の見たいものしか見ない。偏見によって世界を狭く固定し、自分自身をも固定してしまっている。そして地上だけで生きている。生き延びている。そんな人生にいったいどんな意味があるんだろう?
僕は噴火寸前の火山みたいなもので、人々のそういった部分を見ては、勝手に怒り狂っていたわけです(声にこそ出しませんでしたが。内心では)。でも、なぜそうならなければならなかったのか、という理由にまでは頭が回らなかった。それは(2)コミュニケーションの感覚が欠如していたからなのではなかったか、と今では感じています。そう、コミュニケーションです。
僕はたぶんコミュニケーションを遮断することによって、自分を守っていたのでしょう。その壁によって、自分で自分の自由を奪っていることに気付かなかったのです。俺は優秀なんだ、と思い込んでいました。細かいところを見れば、もちろん俺よりうまくやれる人たちはいっぱいいるだろう。でも視点の取り方、という点で言えば、どいつもこいつもボンクラじゃないか? こいつらの誰が死を受け入れているというのだろう?
結局僕は「正常さ」というポーズの裏にある人々の本当の顔に気付けていなかったのだと思います。それは決して彼らを肯定する、というわけではない。たぶん誰にもそんな権利はないです。傲慢さは傲慢さだし、退屈さは退屈さです。卑しい部分は卑しい部分です。それらが忌避すべきものだということに変わりはありません。しかしそれと同時に、透明な何か、「イノセンス」としか表現することのできない何かが潜んでいるのです。僕は少なくともそう思ってこの数年間生き延びてきました。
これはあくまで僕の個人的な感覚に過ぎないのですが、人間というものはどうも矛盾しているみたいです。僕は時に彼らを憎みます。時に彼らを信じてもいいか、という気持ちになる。でもやはり退屈さは退屈さだ。偏見は偏見だ。こいつらに心を許してはいけないぞ、と思う。でもその瞬間、ふっと透明な風が吹き込んでくる・・・。
僕はわけが分からなくなって混乱しています。立ち尽くしている、といってもいいかもしれない。人間を信じるべきなのか。それとも信じるべきではないのか・・・。でも30を過ぎて、ようやく分かりかけてきたのは、どこにも安定している世界なんかない、ということです。だから矛盾していて当たり前なんです。今さら僕が言うことではないのかもしれないけれど、社会というものはずっと昔からそうやって成り立ってきたのでしょう。彷徨い、ふらつきながらも、なんとか前進している。社会というのは人間の心の集合体です。少なくとも僕は最近そう感じています。その中で僕らは傷つけたり傷つけられたりしながら、かろうじて生きている。そういうことなのではないか?
僕はたぶん心のどこかでは、大人になったら人間は立派になって、若い人たちを守るべきなんだ、という幻想を抱いていたのだと思います。あるいはそう思うことによって、かろうじて精神の均衡を保っていたのかもしれない。いずれにせよ、反抗とか、反発といったものは、「本来そこにあるものがない」という感情から生まれてきます。本来大人は立派であるはずなのに、実際にはそうなっていない。本来人間は成長するべきなのに、今目の前にいるこの人たちは成長をやめてしまっている。これはどうなっているんだ? 誰か俺の話を聞いてくれよ。頼むからさ・・・。
でもそもそもその前提が間違っていたのです。そのような認識に至るには、やはりコミュニケーションというものが不可欠になってきます。彼らも生身の人間なのです。つまりはそういうことです。僕らとほとんど変わることのない、矛盾した、ウホウホの、ホモ・サピエンスです。それ以上でも、それ以下でもない。意識の使い方、という点においては、たしかに改善の余地はあると思いますが、それでも・・・。
たぶん、だけど、30歳くらい、というのが結構その分岐点になるような気がしています。要するに、子供の世界から、大人の世界に移る分岐点です。子供の世界というのは要するに・・・頭のどこかでは、強い誰かの存在を必要としている、ということです。僕を――私を――導いてくれる、立派な存在。そういう誰かが外にいて、その人に責任を預けてしまいたい。そうすればすべてはうまく行くはず。暗いことも考えなくていい。迷わなくてもいい。早くそういう人が現れないかしら・・・。
一方の大人の世界は、そういった幻想を打破することから始まります。みんな一緒なのです。ということは、もちろん、間違える可能性もあります。始めはまともだった人が、徐々に精神的に堕落していくかもしれない。そしてその事実に本人が気付いていないかもしれない。そういったケースは、ちょっとあたりを見回してみれば、容易に発見することができます。僕らの意識は固定されてしまうと、どうしても腐敗していくみたいです(僕自身ももちろん例外ではない)。正義をどこかに設定して、そこに自分の責任を――個人的責任を――委ねてしまう、というところに問題が生じてきます。たぶん魂はこの世で生き延びることだけを考えていてはいけないのでしょう。もっと別の観点が必要になってきます。少なくとも十全に生きようとすれば、という意味ですが・・・。
いずれにせよ、ここで言いたかったのは――僕はすぐに脱線してしまう――どうも30歳くらいがその分岐点なのではないか、ということです。普通の人は――たぶん――そんなことは考えないで生きていけるのでしょう。でも僕は――どうやら――違うみたいです。というのもこの十年の間に、システム変更を余儀なくされてきたからです。肉体的に生き延びることは、イコール善、というわけではない、というのが僕が身に染みて学んできたことです。それはあくまで容れ物に過ぎない。そこに注ぎ込まれるべき、透明な何かのことを、精神は考えなければいけないのです。
最近ウィリアム・ブレイク(William Blake)を読んでいて感じるのは、まさにそんな感じのことです。彼は生前ほとんど理解されることなく――狂人だと思われていたらしい――貧窮のうちに暮らし、死んでいきました。でも素晴らしい詩と、絵を――正確には銅版画のようなものですが――残しました。”Songs of Innocence and of Experience”(『無垢と経験の歌』)や”The Marriage of Heaven and Hell”(『天国と地獄の結婚』)のように——題からも分かることですが——相反する精神状態の明示を通して、彼は何か重要なことを語ろうとしていたような節があります。対立するものが時に結合し、時に反発し合い・・・。彼の意識は明らかに地上ではなく、精神世界に向けられていました。もちろんお金は欲しかっただろうけれど・・・それはきっとより自分を自由な境遇に置くための手段として、だっただろう、と僕は想像しています。個展を開いてもほとんど人は来ず(「部屋に入った時、私ひとりしかいなかった」とある来場者は日記に書いています)、絵も全然売れなかったらしい。でも彼の不思議な絵は、今でもその生命を失ってはいません。彼はどうしてもこれを――これらを――描かなければいけなかったのだろうな、と僕は思います。人々に認められなかったとしても。お金にならなかったとしても、なおです。僕はそういう純粋な、しかし熱い心持ちを、彼の作品群から受け取ることができます。
彼はその、肉体的な生活に注ぎ込まれるべき透明な何かを生涯をかけて追求していきました。一方で既存の宗教権力には反抗し続けていた(彼はDissenter、つまり非国教徒の家系だった。マジョリティーの英国国教会に生まれながら属していなかったのです。でもその反抗精神は、それだけが理由ではない、と僕は考えます。そこには生来のものがある。彼は生まれつき、あちらの世界に——つまり精神の世界に——強く結びついていたのでしょう。だからこそ言葉だけで、あるいは戒律を機械的に守るだけで、何かが成し遂げられると考えている人たちに、同意することができなかったのです。少なくとも僕はそう思う)。その詩の中にも、硬直化した意識の偽善性を非難するような調子が込められています。そう考えると当時も今も――国の違いはあるとはいえ――人々の精神状態にさほどの違いはない、とも言えそうです。ある種の人々はどこかで成長を止め、自分の中の透明な流れを阻害してまで、硬直化した何かにしがみつきます。それによって肉体的生存はむしろ容易になるが・・・精神にとって大事な何かを失っていきます。その失われたものを、ブレイクは”Songs of Innocence”の中で歌っていたのだろう、と僕は勝手に想像しています。しかしまあ、イノセンスをそのままの形で保持し続けることは、どの時代にも簡単ではありません。というか成長することと相反する行為なのではないか、とも思います。そこで”Expericence”の時代がやって来ます。僕らは何かを経験し、それによって強くなるが・・・ふと気付くと、若い頃の純粋さを失っている。視線の先には死が見える。それを見ないで済ますことも可能です。しかしそんなことをしていると・・・。
僕が考えるべきなのは、意識と無意識の対立、ということなのかもしれない、と最近ひしひしと感じています。しがみつくことはいい加減やめなければならないが――消耗するだけである。精神的に――かといって理解しようとする試みをやめてはいけない。イノセンスとのつながりをもう一度、別なやり方で――つまり今までのような無意識的なやり方とは違ったやり方で――回復しなければならない。なんとなくそういう気がするのです。相反するものの対立から何かが生まれてきます。何か、新しいものです。というかまあ、そういう気がしています。今のところそれ以外に道はないような気がする。こんなのは一般論に過ぎませんが、それでも。
とまあ、長々とこれまで書いてきましたが、結局のところ言いたかったのは、30歳を過ぎて、もう一度自分にとってのプライオリティーのようなものを、考え直す時期に差し掛かっているのではないか、ということです。普通に考えればそろそろ夢をあきらめて正社員にでもなったら・・・ということになりそうではあるのですが(別にそれが間違っているわけではない。もちろん)、それとは別に、もっと精神的な、透明な意味合いにおいて、僕は自分の中身について考えなければいけない時期に差し掛かっているのだと思う。そうしないと心は不毛なままだからです。他人をごまかすことはできても、自分をごまかすことはできない。要するにそういうことなのだと思います(ごまをするのは簡単ですが・・・。はい)。
そしてそのためには、外界と内界のバランス、ということを今一度考えるべきなのかもしれない。コミュニケーション、と言ったのは、そういった意味合いにおいて、です。僕らは外界を見る同じ見方で、自分自身をも規定します。というかまあ、僕はそう信じているわけですが、ということは、要するに外の世界の見方において、少しでも偏見をなくしていけば、同時に、自分自身に対する偏見からも自由になれるわけです。これはもう、冗談抜きで、素晴らしいことであるはずです。枠組みにはまり切らない歪んだもの、はみ出したもの、揺れているもの、死を含んでいるもの・・・そういったものごとの集積が、僕のこれからの人生にとっての、糧になるような気がしています。なぜなら人々のそういった側面に目を凝らす、ということは、同時に自分自身をも、固定されないものとして見る、ということを意味するからです。あるいはそこに救いの萌芽が含まれているのかもしれない・・・。
他人を理解することは、自分を理解するのと同じくらい、難しいことみたいです。そして世界を理解することもまた・・・。だから理解することを放棄して、「通り抜け」ればいいんじゃないか、というのが最近僕の考えていることです。通り抜けているうちに、本当の理解に――固定されない理解に――到達することができるのではないか・・・。そしてその先に、より一段階広がった世界が――世界観が――広がっているのではないか。どうもそんな気がするのです。
いずれにせよ、人がちょっと決意しただけで一晩で変われるわけではないことは身をもって思い知らされてきましたので、やはり重要なのは、まずなんとか日々を生き延びることみたいです。その中でちょっとでも成長しようと努力すること。外の世界から、学び取れるものはなんでも学び取ること・・・。そういう姿勢を取っていれば、たとえ他人に理解されなくとも、どこかに到達できるのかもしれない。僕はそう思って生きています。いつまで今の仕事を(アルバイトですが)続けるのかは謎ですが。とりあえず。
P.S. ちなみに僕が買ったブレイクの”The Marriage of Heaven and Hell”はニュージャージー州の小さな町からやってきたものでした。中古で買ったのですが(届くまでに二週間くらいかかった・・・)、そこの図書館のスタンプが押されていました。
“Free Public Library of Monroe Township”と書かれています。”Monroe Township”(モンロータウンシップ)という場所の、”Williamstown”(ウィリアムズタウン)という一画にあるらしい。ニュージャージーというと工業地帯、というイメージ(これはブルース・スプリングスティーンの影響ですが、はい・・・)があったのですが、Google Mapで見てみると、ニューヨークからはだいぶ離れたところにある(フィラデルフィアからも離れていますね)、田舎町でした。広い道路と、点在する建物。あるいはこれくらいはアメリカ的基準でいえば中規模の街なのかもしれない・・・。その辺は僕には分からないところです。それでも具体的にどこからやってきたのか分かると、ちょっと嬉しい気持ちになります。ほっこりする、というか。そうか、この本はその街の図書館からやってきたのだな、と。どうして売りに出されてしまったのかは謎ですが(僕はAmazonで買っただけなのですが)、とにかくこうしてここにやってきてくれたわけです。たぶんあっちでもBlakeの読者は少なかっただろうな、と思いつつ、今なんとか少しずつ読み進めているところです。Blakeの絵とカリグラフィー(と呼んでいいのかどうかはよく分からないけれど、とにかく飾りのついた手書きの文字のことです)を一つ一つ見ていくと、他人に理解されない中でも、執拗に自らの仕事に取り組んでいた――取り組み続けていた(彼は69歳で死んだ)――彼の姿がありありと頭に浮かんできて、ハッと姿勢を正される、というところがあります。俺も俺のことをちゃんとやらなくちゃな、という感じです。僕は彼のように小さい頃からビジョンの世界に入り込んでいたわけではないけれど(彼は天使が群がっているのを見たりしたらしい。それから預言者エゼキエルも)、これからそちらの世界に入り込んで行こうとしています。成功するかどうかは分からないけれど、とにかくやってみなくちゃね。そのためにはもっとこの世における根本的な精神状態を強化しなければ・・・と思っている今日この頃です。
ちなみに上記のMonroe Townshipの広い道路は、なぜか宮城県大和町から仙台市泉区に入るところのあの辺の道路(調べたら県道264号線でした)に似ているな・・・と感じられなくもないです。ちょうど七北田川を通過した後あたりのところです。広くて、二車線で、平らで・・・。でもこんなこと、宮城県民以外の人に言ったところで何も通じませんね(笑)。すみません。僕らは個人的な記憶によって成り立っている。要するにそういうことなのかもしれませんが・・・。