「小松菜通信 1」の続き
さて、ご無沙汰しておりました、小松菜たべる(27歳・男)です。毎月恒例の小松菜通信の時間です。
今日僕は東京都郊外の、ある一軒家に来ております。周囲には無個性な住宅が広がり、街路樹たちはコンクリートに埋められた自らの運命を嘆いて・・・。というのは冗談で、ええと、とても清潔で、住みやすい、素晴らしい街です。鳥たちはさわやかに歌い、排気ガスたちも踊りを踊っております。
ええ、今回このお宅に伺ったのは、ある一つのわけがあります。というのもこの高田さんご一家は、とても珍しいペットを飼っているからなんです。それではどうぞご紹介頂きましょう。
高田純(10歳、男。小学四年生):ええと、こんにちは、たべるさん
たべる:こんにちは。純君。それでこれが君の飼っているペットなんだね?
純:そうだよ。ほら、こっちにおいで!
すると首輪に繋がれた一頭の・・・・おじさんがやって来る!
たべる:これは驚いた! 君の家では一頭のおじさんを飼っているんですね?
純:そうなんだ。この間学校に連れていって自慢したら、先生に怒られちゃったよ
たべる:なんて言われたんです?
純:学校に不審者を連れてきてはいけません、って。それにこいつ、知らぬ間に僕の担任の先生を口説いていたみたいなんだ
おじさん:いや、いや。なかなか魅力的な女史でしてな
純:こら! お座り! 勝手にしゃべるな、っていつも言っているじゃないか
おじさん:はいはい分かりましたよ(そこでお座りをする)。君は将来タイラントになるな・・・
たべる:ええと、ではここでお母さんにも登場して頂きましょう。お母さんの高田京子さんです
母(高田京子、42歳、パート従業員):どうもこんにちは
たべる:こんにちは! 早速お訊きしたいのですが、一体どうしておじさんを飼うことになったのですか?
母:実は、インターネットのあるサイトを見ていたら、殺処分寸前のおじさんがいるということを知りまして・・・
たべる:それで憐れを感じて引き取りに行ったんですね?
おじさん:ワン!
母:いや、そうではなくて、どうもそういった役に立たない人間を引き取ると、税金の控除が受けられるらしくて
純:僕のお父さんは税理士なんだよ!(鼻高々)
たべる:なるほど。それでごく実利的な理由でおじさんを引き取ったわけですね?
母:ええ。そういうことです。なにしろ何の取り柄もない人なのですから
おじさん:ワン!
たべる:しかしですね、いくら税金の控除になるからといって、人間を飼うということに対する良心の呵責というものはなかったのですか?
母:いや、それはありませんでした。なにしろ夫がいつも「我々は資本家たちの犬に過ぎない」と言っておりますので
純:ワン!
おじさん:ワン!
たべる:(独白)いや、まったくどうもこの一家は頭がおかしいみたいだ。自分たちが資本家の犬だからといって、おじさんを犬のように扱っていいわけがないじゃないか。実は私は今日、この不憫な中年男性を救い出すために来たのだ・・・
(家族に向き直って)それで、このおじさんには名前はないのですか?
純:最初は格好良い名前を付けてあげたんだけどさ
たべる:どんな?
純:ヴァン・ヘイレン
たべる:それはまた・・・
純:でも全然返事をしないんだ。どうもハードロックは嫌いらしい・・・
たべる:それで名前がないまま今に至る、と
母:名前なんてなくてもいいんです。だって税金の控除のためですもの
おじさん:ワン!
純:まあでもさ、ずっと飼っているうちになんか愛着も湧いてくるんだよね。この人が一心不乱にトウモロコシを齧っているところなんてすごく可愛いんだから。この間その動画をインスタグラムに上げたから興味のある人は観てみてね
たべる:(独白)こいつ、こんなところで宣伝をしやがって。さすが税理士の息子だな。
(彼らに向き直って)でもなんというか、問題のようなものは生じないのですか? たとえば彼は――つまりこのおじさんは―――見たところ50前後の年齢だと思われます。そして過去の経歴も不明ときている。そういった人間が家の中にいるというのは。
母:まあ、大体は外の犬小屋――つまりおじさん小屋――に隔離していますからね。大丈夫なのですよ
純:ときどき夜に発情して変な雄叫びを上げることはあるけどね
おじさん:クーン(哀しそうに)
たべる:まあそれはいいとして、実は人権保護団体から苦情が届いているのですよ。どうやら純君のインスタグラムを見てこの状況を知ったらしい
純:シット! あいつらもうそんなことまで嗅ぎつけやがったのか。でも無駄ですよ。このおじさんは僕に懐いているんだから
おじさん:ワン!(と言って純君にすり寄る)
たべる:それはどうかな? たとえば君は、最近身体の調子が悪くはないかい?
純:そういえば、右の股関節が・・・
たべる:この間好きな女の子に振られた?
純:どうしてそれを・・・?
たべる:学校の成績はガタ落ちしている・・・
純:ガタ落ちってほどでも・・・
母:あなたの言い方はまるで「それはおじさんを飼っているから」と暗にほのめかしているみたいですね
たべる:実はそうなんですよ。僕はインドのインド大学からこういった研究結果を受け取っているんです。人間をペットのように扱うと即座にインスタントカルマがやって来ると。インスタントカルマに捉われた人間は、ひどく苦しんだ挙句、非業の死を遂げる、と
純:(ショックを受けた顔で)そんな・・・
母:(鼻で笑う)そんなのは嘘っぱちです。大体インドの大学なんて、本当にきちんと科学にのっとった研究をしているのですか? 私たちはクリスチャンなんです
純:アーメン
おじさん:アーメン
たべる:(偽物の研究資料を投げ捨てて)もういいや、こんなものは。いいですか、あなたたち。私は今日このおじさんを救うために来たんです。こんなのは間違っています。人間は本来自由に生きなくてはならないんだ。そんなの一房の小松菜にも理解できるんです。どうしてあなたたちに理解できないのか?
母:(懐から包丁を取り出す。その刃先は鋭く尖っている)ハッハ。小松菜ごときに脅されてたまるものですか。私は夫が仕事中、この家をなんとしても守り抜く、という誓約をしたのです。さあ、どこからでもやって来なさい。あなたなんて、切り刻んでおひたしにしてあげるわ
そのときどこかからビースティ・ボーイズの曲が流れてくる。それを聴いておじさんは何かに気付いたかのように顔を上げる
おじさん:ワン?(そしておもむろに服を脱ぎ始める)
たべる:ああ、おじさんが突然服を脱ぎ始めた。この光景は前にも見たことがあるぞ
ビースティ・ボーイズの曲に合わせておじさんは奇妙な踊りを踊り、それに合わせて服を器用に脱いでいく。すべて脱いでしまうと、今度は顔に張り着いていたマスクをはがす。そう、そのおじさんの顔はただの人工的に作られた精巧なマスクに過ぎなかったのだ。
たべる:なんてことだ! 結局我々みんなが騙されていたというわけか。ああ、長老! そうじゃないかと思っていたんだ。どうしてこんなところにいるんですか?
「おじさん」あらため長老(御年273歳):いやいや、小松菜県にずっといるのもさすがに退屈したのでな、下界に下りてきたんじゃ。しかし金がないときている。そこでちょっとした策略を練って、ここで食べ物と寝る場所を用意してもらったということだ
母:そうだったのね。あなたは私たち全員を騙していた。善意につけこんで
長老:善意とはよく言ったものだな。単なる税金の控除に過ぎなかったはずなのに
純:おじさんひどいよ。本当のことを言ってくれたらよかったのに
長老:純君。君は私に良くしてくれた。そのことは感謝しているよ。でも宿題を代わりにやらされたり、ひたすらゲームのレベル上げをやらされるのはもうこりごりだ。ちなみにあのボスは私が倒しておいたからな
純:そこだけは自分でやるって言ってたじゃないか! ねえ、お母さん。こんなやつらまとめてゴマ和えにでもしてやってよ。僕は食べないけど
母:(包丁を構えて)さあ、覚悟しなさい!
たべる:これはまずいぞ
長老:(微笑みながら)これはまずいな
そのとき一陣の旋風が吹いて、お母さんから包丁をもぎ取った。あまりにも速くて最初は気付かなかったのだが、よく見るとそこには広岡達朗のユニフォームがはためいていた。そしてサンディエゴ・パドレスのキャップ。左右で丈の違うジーンズ。髑髏のブレスレット・・・。
その段階でようやく気付いたのだが、きっと妹のゆでる(女・23歳)は最初からどこかに隠れていて、そこからじっと様子を窺っていたのだ。ビースティ・ボーイズの曲を流してくれたのもおそらく彼女だろう。僕はそれにすごく感謝した。
母親が茫然としている間に、僕と長老はその家を脱出した。奇妙な信念を持った、税理士の家族たち。怠け者の息子と、凶暴な母親。まったく。この世界はいかれているよ。
たべる:長老! 今回は無事に逃げられたけど、いつもいつもこううまくいくとは限らないですからね
長老:まあそうかもしれんな。いずれにせよ下界の空気は気持ちの良いものだ。特にこうして裸で立っていると
たべる:あ! パトカーがサイレンを鳴らしてこっちに来た。ちょっと長老。大事なところくらい手で隠してくださいよ。いや、踊りを踊るんじゃなくて。ほら。もう!
ということで今回の小松菜通信はいかがでしたでしょうか? え? こんなことを書いている暇があったら、本業の小説を書けって? あなたは一体誰に向かって話しているのでしょうか? 僕には全然分かりません。いずれにせよ、妹が元気にやっているみたいでなによりです。僕はもうしばらくこの世界で生き続けたいと思っています。最後にどうなるのかは、もちろん誰にも分かりませんが。