柴崎春通先生の個展に行ってきました

2020年1月31日、金曜日。今日は銀座の画廊がろう「るたん」にて開催中の、柴崎しばさき春通はるみち先生の個展に行ってきました。何を隠そう僕は柴崎先生のYoutubeチャンネルを登録しているくらいので、その絵は――製作過程も含めて――何度もネット上で拝見してきたのであります。それを実際に見られるとは・・・。

この絵もたしか飾ってありましたね・・・

ここで説明しておくと、柴崎先生は1947年生まれ(今年で73歳ですね)の水彩画講師の方です。長年画家及び講師として活動されてきたのですが、2017年にYoutubeのチャンネルを開設してからは、日本だけでなく世界中の水彩画愛好家たちからも支持を集め、現在のところ登録者数は52万人を超えています。僕もちょっと真似をして画材を買い集め――といっても大したものではありませんが――そういう気分になったときにはたまに描いたりしています(今はなかなか時間が取れませんが)。

そしてその柴崎先生が個展を開かれる、というので、ちょっと迷いはしたけれど、とりあえず行ってみることに決めたのです。「ちょっと迷った」というのは、つまり明らかに今の僕は他人の作品を鑑賞している場合ではない、ということです。とにかく時間が足りない。アルバイトが終わったあとの数時間を、自分を成長させるために使うのは、むしろ当然の帰結なのです。しかし「ここで行かなかったら後悔するかもな」という思いもあり、意を決して出かけてみたのであります。

結果柴崎先生には会えなかったけれど――実際に会えたらあれを話そう、これを話そう・・・と思いめぐらしていたので――それでも画面上で見ていた作品を、じかに自分の目で細部まで観察できたのはとても素敵なことでした。アクリル画も中にはありましたが、やはりこの人の真骨頂は水彩の筆遣ふでづかいだと思います。あとは思いきった省略。水のにじみを活かして描かない。絵具えのぐを重ねて作る油彩画とは違って、水彩画はスピードが重要になってきます。偶然のかすれ、偶然のにじみ、あるいは偶然のね・・・。そういったものを組み合わせて先生の水彩画は描かれています。あえて細部を描き過ぎないこと。水に仕事をさせること。必要であればモデルに寄りかかり過ぎるのではなく、ものの位置をちょっと変えてしまうこと。なぜなら我々は写真を撮っているのではなく、絵を描いているのだから・・・。

そうやって出来上がった作品からは「動き」が感じ取れます。実は僕は柴崎先生のほかに、アメリカ人のGary Tuckerという人の水彩画も好きで、チャンネル登録しているのですが、この二人の作風には似通ったものがあります。細部よりも全体的なコントラストを重視すること。常にスピード感を持って描くこと。人物の顔を描き過ぎないこと・・・。

彼らは何の話をしているのでしょうか・・・

そう、です。柴崎先生や、Gary Tuckerの風景画には、往々にして非常に小さく人間の姿が描かれています。彼らは顔を持たず、時には膝から下の脚がありません(それはつまり歩いている途中だ、ということを示唆しているのですが)。しかしそれがまたいいんだな。彼らは普通の生活を送っているはずなのに、すごく孤独に見えます。それはおそらく、あくまで全体の風景の中で見ると、単なるえ物に過ぎないからなのだと思います。もっともだからといって手を抜いて描かれているわけではなく、そこには紛れもない生命があります。彼らは自らの卑小ひしょうさを受け入れつつも――あるいは受けれていないのだろうか? 正確なところは本当は分かりません。でも少なくとも僕の目には受け入れているように見える――それぞれの生活を淡々と送っています。そこでフォーカスされているのは、他人とのふれあいではなく、むしろ個人として生きることの寂しさのようなものです。かなしさのようなものです。この世に生まれた以上、我々はおそらく死ぬまで孤独なのです。家族や恋人がいたとしてもなお、です。僕は彼らの絵からそういったことを感じ取ります。

そしてもう一つ重要なこと。「ではそのシーンを見ているのは誰なのか」ということです。その視点の切り取り方。もちろん見ているのは柴崎先生であり、Gary Tuckerです。しかし同時に我々自身でもあります。テクニックは誰かに学べるかもしれないけれど、その切り取り方だけは個人的に--つまり自分だけの力で--学び取るしかありません。あるいはそれは「学ぶ」ものではなく、先天的なものなのだろうか? もっとも凡人としての僕には細かいところまでは分かりません。しかしたしかにいえるのは、それが明らかに小説の技法にも結び付いてくる、ということです。視点の切り取り方。その独自性。何にフォーカスするのか?

これはちょっとこじつけに聞こえるかもしれないけれど、ほかの部分、たとえば筆遣ふでづかいの勢いを大切にするところとか。細部よりも全体のバランスを重視するところとか。意図的になり過ぎないところとか。そういったところも往々にして小説に適用できるような気がします。あるいは背景にあるビルの窓の数は、実際にはもっとずっと多いのかもしれない。左奥の山の稜線りょうせんは、本当はもっと細かく折れ曲がっているのかもしれない。でもそんなことはどうだっていいのです。おそらく我々は普段の日常においてそうやって世界を認識しているように――つまり背景の山の稜線りょうせんは、ぼんやりとした緑色のにじみのようなものにしか見えないのではないか――なにもすべてが正確である必要はないのでしょう。「客観世界」と呼ばれる世界の中を、我々は独自の視点でもって生きています(主観世界)。優れた画家の視点に触れることによって、ほんの少しだけ僕らは自分の世界の見え方を移動させます。そして戻ってきたときには、ちょっと違う気分になっている。そのが結構重要なのです。

結局柴崎先生の絵を見て――会場はとても小さなところでした――以前に出版されていた画集をパラパラとめくったあと、ほとんどほかに何もすることなく、Uターンするように帰ってきました。買い物をする金銭的な余裕がない、というだけでなく、僕には時間の余裕もないのです。これはたしかライブマジックについて書いたときも思っていたことだけれど、僕はたぶん少し傲慢になりつつあるのだと思います。あまりにも長く他人の作品を鑑賞することには耐えられないのです。僕は自分のことをやらなければならない。帰ってくるところはいつも一緒です。ときどき自信を失うことはあるけれど、それでもなんとかやるべきことをコツコツとやり続けなければならない。だってほかにできることなんてなんにもないのだから。

それでも京王線に乗って帰ってくるとき、向かいの窓から見える空は柴崎先生の絵のように見えました。その直前に銀座を歩いているときも、人々はみな柴崎先生が描いた顔のない人に見えました。それはもちろんポジティブな感覚です。ものの見え方が少し移動したのです。あの空はジョーンブリアンに、薄めに溶いたコバルトブルーだな・・・。ウェットインウェットで少しにじませて・・・。雲の下の部分は濃いプルシャンブルー(先生はよくこの色を使います)。明るいところはより明るく。暗いところは思い切ってずっと暗く・・・。

ということで、合わせて数時間、ほとんど移動に費やしてまた自分の部屋に帰ってきました。そしてこの文章を書いています。電車の中で僕が考えていたのは、あるいはこうやって物理的に移動することが今の自分には必要だったのかもしれないな、ということです。考えてみればろくに遠出もしてこなかったし、ほとんど同じパターンで日々を送っていました。決してスムーズとはいえないけれど、それでもアルバイトをして、走って、残りの時間を小説(あるいは曲作りetc…)に使う。そういった規則性を、あえて自分に課してきたのです(そしてこれからも課し続けるでしょう)。しかしさすがにたまにはそういった自分の固定化されたシステムを、相対化してみたいと思ったのかもしれない。自分がやっていることの意味を、少し離れた地点から見直してみたいと思ったのかもしれない。そんなことを考えていました。

でもまあ、結局のところ移動している間は僕は一ミリも成長できないわけです。このように文章を書いてさえいれば、あるいはちょっとくらいは成長できるかもしれない。自分の文体のようなものを作り上げる助けにはなるかもしれない。しかし電車の中でただじっと目をつぶって、いろんなことを考えたり考えなかったりする。京王線の出口から降りて、なぜか間違ってJRの改札に入ってしまう(行きの新宿駅の話。たしか数年前にも同じ失敗をした・・・)。画廊の入っているビルがなかなか見つからず、うろうろし続ける・・・(だって近くで工事をしていたんだもの・・・)。

でもまあ、そんな感じでうまくいかないことはあるにせよ、それもまた外に出ることの醍醐味だいごみだといえなくもないでしょう。部屋にこもって意識を集中することが僕の本業であるとは思うのだけれど、たまには新鮮な空気を吸うことが必要になります。そこでいろんな人の顔を見て、いろんな人の靴を見る(なにしろずっと電車に座っていたので)。いろんな街の匂いを嗅ぐ。正直大体うんざりして帰ってはくるにせよ、そういったことが人間の――というか少なくとも僕の――精神にとっては重要なことなのでしょう。あとはまあ、とにかく自分のことをやるだけです。それでは。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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