昨日神が僕の部屋にやって来て

昨日神が僕の部屋にやって来て

自分は神をやめると言った

もう疲れたんだよ、と彼は言った

薄給だしね

僕は驚いて言った

じゃあそのあとは一体誰が神をつとめるのですか、と

それは君だ、と彼は言った

そのために今日やって来たんだ、と

しばらく沈黙が続いた

時間はゆっくりと前に進んでいった

部屋の空気はよどみ、渦を巻いて、やがて死んだ

僕は神の顔をじっと見たが

たしかに彼は疲れているようだった

肌には染みが付き、ひたいにはしわが寄っている

不精ぶしょうひげを生やしたその顔は

さながら過労気味のサラリーマン(妻子持ち)のようだった

やがて彼は言った

それで、君には何か目標はあるか、と

目標? と僕は言った

それは・・・どういった種類の?

なんでもいいんだ、と彼は言った

どんな目標でもいい

たとえばマッチョになりたい、とか

女の子にもてたいとか

金持ちになりたいとか、と僕はあとを続けた

彼は頷いた

そして言った

もっともこの仕事では金持ちにはなれないがな、と

僕はじっと考え、言った

自分の目標を

唯一の目標を

それは彼を驚かせたようだった

え? と彼は言った

それが君の目標か?

ええ、と僕は言った

それが僕の目標です、と

彼はしばらく何かを考えていたが、どうやらそれで納得したらしかった

まあいいや、と彼は言った

それじゃあ手続きを始めよう、と

僕は何も言わず、ただ頷いた

そして何が起きるのかをじっと待った

やがて神はするすると服を脱ぎ始めた

よれたスーツを脱ぎ、ワイシャツと下着、靴下まで脱いだ

彼の性器は新品同様に見えた

しかしそこでは止まらず、皮膚そのものも脱ぎ始めた

疲れ切ったサラリーマンの風貌はもはや消え

そこには何かまったく別のものが出現しようとしていた

僕は息を呑んでそれを見守っていた

彼は今淡く光り輝いているようにさえ見えた

やがて完全にその脱皮を終えてしまうと

そこにはつるつるとした人間のアーキタイプ(原型)のようなものが出現した

人間の形をしてはいるのだけれど、まだ人間ではない

顔はちゃんとあるのだけれど、正確にはまだ顔ではない

そんな感じ

全身赤ん坊のような肌をしている

それは細かくぷるぷると震え、何かを言いたそうにしていた

僕は耳を近付け、その声を聞き取ろうとした

え? と僕は言った

一体今なんて言ったんです?

でも彼はそれを繰り返すことはなかった

というのも今度は新たな次の脱皮を始めたからである

僕は邪魔をしないよう、一歩身を引いた

そしてじっと見ていた

当然のことながら彼の身体の体積はそれによってどんどん小さくなっていった

今では小人のような感じになっている

つるつるの皮膚を脱いだ下には

真っ黒な何かが存在していた

それは僕の心を震わせた

奇妙なやり方で

そのアーキタイプのアーキタイプは、僕に向かって何かを言った

なぜか今度ははっきりと聞き取ることができた

、と

、と

僕はただそれを聞いていた

、とそれは言っていた

、と

やがてアーキタイプのアーキタイプは燃え始めた

火の気配なんかどこにもなかったにもかかわらず、だ

僕はただじっとそれを見ていた

火災警報機が鳴るかもしれないな、と思いながら

でも警報機は鳴らなかった

というのも時はすでに死んでいたからだ

僕はそれに気付いていなかったのだ

やがて彼が燃え尽きてしまうと、あとにはただの空白だけが残った

僕は肺一杯にそれを吸い込み

そして思った

、と

僕は溜息をつき、部屋を出た

夕暮れの街を歩き、公園に行って、そこで懸垂けんすいをした

ベンチに座って日没を眺めていると、突然涙が流れ出してきた

それは次から次へとあふれ出てきた

小さな子どもが不思議そうにこちらを見つめていた

でもそんなことを気にしている場合ではなかった

というのも僕はその涙を流し切ってしまわなければならなかったからだ

それはおそらくすべての価値のない人々のためのものだった

彼らのために僕は泣いていたのだ

決して自分自身のためではない

なにしろ僕は神だったからだ

神は自分のために泣いてはいけないのだ

やがて夜がやって来て、一日は死んだ

もう二度と戻って来ることのない一日が

僕は立ち上がり、空を見た

雲の後ろに月の気配を感じ取ることができた

カラスが一声鳴いた

カー、と

僕もまたその真似をして鳴いた

カー、と

我々は共に孤独なのだ、と僕は思った

そのあと歩いて部屋に帰り、腕立てと、腹筋をした

そして目標に向かって一歩を踏み出した

それは詩を書くことだった

誰のためでもない、自分のためだけの詩を

僕の魂はいまだどこかに沈んでいる

どこか海のような場所に

広くて、深く

音というものがない

カー、とどこかで誰かが鳴いた

ひどく孤独な誰かが

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

2件のコメント

  1. 2年前くらいにコメントしたことがあります。フランスで村山さんの文章を音読した者です(笑)
    ふと思い出したように、ネットで「村山亮」と検索したらハワイは更新されてて嬉しかったです。孤独だけれど風通しがよく、心地よい文章で、とっても好きです。またふらっと読みに来ます。

    1. 二年前にコメントをくださった方。はい。よく覚えています。
      というかあれからもう二年も経った、ということの方が驚きです。参ったな・・・。
      いずれにせよ楽しんで頂けたようでなによりです。
      この二年で自分も成長したんだ、と思えるように今さらながら頑張っているところです。おそらく僕は「自分の生き方」というシステムをなんとか形作ろうとしているのだと思います。あくまで小説は(プラス詩と謎の音楽も)その手段だということです。
      はい、とにかく毎日やることをやります。それだけです。コメントありがとうございます。

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