メリー・メルの帽子

――Grandmaster Flash & The Furious Five “The Message”――

何度この動画を見たことか。You Tubeにアップされているずいぶん古いミュージックビデオ。1980年代初頭の初期のラップグループ、Grandmaster Flash & The Furious Five。この曲、 “The Message” はピーター・バラカンさんのラジオで知った。初めて聞いたときから「ここには何かがある」と感じた。ラップの歌詞は確認するまでは全然分からなかったのだけれど、それにもかかわらずそのリズム――およびグルーヴ――は僕の心をヒットした。

あとであらためて確認してみると、歌詞の内容はニューヨークのゲットーでの生活を、少し距離を置いた地点から客観的に叙述しているようなものだった。おそらくその内容は、彼ら自身の育ってきた環境を色濃く映しているのだと思う。割れたガラス、ゴミ箱をあさる老婆、借金取りに追われる日々・・・。ハイジャックでもやってやろうか・・・。最後には白人の警察官がやって来て、メンバー全員をパトカーに乗せて連れ去ってしまう。そのような過酷な状況において「これ以上駄目にならずにいるのが不思議なくらいだ・・・」とリードラッパーのメリー・メルは歌う。

そのリフレインの部分で彼は一度帽子を取る。そしてすぐにかぶり直すのだが、その様子に自己憐憫れんびんは一切見られない。その目はありのままの真実を見据えているように見える。つまりこのように過酷な(それは金銭的な貧しさ、というだけではなく、モラルそのものの危機を意味する)環境の中にあって、誰かを非難しているわけではなく、その中でなんとか自分の生きる道を模索していこう、という強さが感じられるのである。それは静かな強さだ。ときどき自分でも「どうしてこんな人生を生きていられるのだろう?」と不思議に思いながら、その与えられた運命の中で、決してドラマチックではない――殺人や暴力というドラマならあるかもしれないが――日常を延々と生き続けていくのである。

そこに希望はあるのだろうか? おそらく少しはあるのだと思う。さすがに希望なしで生き続けることはできないだろうから。しかしここでメリー・メルが見据えている希望は、そんなに甘いものではない。そこにはたとえば、金銭的に成功したとしてもずっと付きまとってくるある種のごうのようなものが含まれている気がする。

それはある意味では人間の暗部である。生まれつき貧しい環境にいる人々はその負の影響を受けやすい。しかし貧しい、貧しくないにかかわらず、それは世界中どこにいても、すべての人に付きまとってくるのだ。だからこそニューヨークの一地区を歌ったこの曲が、普遍的な力を持ってリスナーに(少なくともこの僕に)作用するのだろう。僕はこの帽子を取る瞬間の映像を見て、自分も、そうであってほしいという幻想ではなく、現にそうである真実を見据えなければ、と何度も思った。

ちなみにピーター・バラカンさんは自分の著書の中で、この曲のことをカタカナで「メセッジ」と表記していて、それがちょっと面白かった。たしかに正確な発音で言うとそうなるだろう。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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