七月の青空について

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この文章は七月、僕がどうも気持ち的に落ち込んでいた時に書かれた文章である。その頃にはまだ自分のサイトを立ち上げるという考えさえ浮かばなかったので、僕はただ自分のためだけにこれを書いた(まあいつか発表するかもしれないとは思っていたけれど)。落ち込んでいる分、いささかペシミスティック(悲観的)なきらいはあるが、いかんせんその時の僕にはこういうものしか書けなかった。でもこれを書くことで、なんとか状況を打開していこうという気持ちは込められている、と思う。

 

(ちなみにこれは正確なエッセイというわけではなく、事実を元にしたフィクションである。実際にはその日僕は球場に足を運びはしたものの、すでに試合は終わっていて、清掃のおじさんがせっせと周辺を掃除していた。僕は家に帰って、試合を見に行っていたらどうなったかについて想像して文章を書いた。)

 

 

七月の青空は特別だ。それは青く晴れ渡り、所々に白い雲を配しながらも、その透明性を失うことはない。どうしてかは分からないのだが(あるいは梅雨が明けたことで解放感を感じるのかもしれない)、僕は昔から七月の青空というものに強く心を惹かれて来た。

 

思い出すのは高校二年生の時に教室の窓から見た景色だ。七月で、空は(今と同じように)青く晴れ渡り、グラウンドの奥に生えている木々は新鮮な緑の葉をさわさわと風に揺らせていた。そこには確かに前向きな何かがあった。実を言えば、その当時から僕はそれほど楽天的な人間とは言えなかった。先の人生にそれほど明るいことが待っているとは、どうしても思えなかった。それでもその景色は、生きることは、(もしかすると)それほど悪くはないのかもしれない、と僕に思わせてくれた。

 

あれから何年が経ったのだろう。大したこともしないままずるずると日々は過ぎてしまった。その時僕は六畳間のベッドに横になり、窓から見える青空をじっと眺めていた。白い雲が浮かび、時々鳥が横切った。素晴らしい天気だったが、外に出る気にはならなかった。

 

あれから生きることはだんだん僕にとって重荷になって行った。なぜそうなってしまったのかは分からない。どうしてほかの人みたいに幸福に(あるいは幸福そうに)生きられないのだろう。どうして何にも考えないで楽しく生きられないのだろう、と僕は事あるごとに疑問に思った。でもそれが僕という人間だったのだし、それは変えようにも、今さら変えようがないことだった。

 

その日は結局昼過ぎまでベッドで横になっていた。目は覚ましていたのだが、どこにも行きたいという気にはならなかった。たださすがに腹が減ってきたので、ようやくのことで起き上がり、簡単な昼食(というか朝食)を食べた。インターネットでニュースを見ると――僕の部屋にはテレビが無かった――、高校野球の速報記事が載っていた。どうやら一人の全国的に注目されている選手がすぐ近くの球場で試合をしているらしい。彼は第一打席で四球を選び、第二打席で二塁打を放っていた。今から行けば第三打席に間に合うかもしれない。ふとそう思った。

 

正直なところ、僕は高校野球になんて興味は無かった。選手たちが頑張っているのは分かるし、素晴らしいことだと思う。でもその体育会的な雰囲気は、あまり僕の好むところではなかった。僕は昔からあの雰囲気が苦手なのだ。それでもその日、僕は部屋を抜け出すことにした。今思うと、なんでもいいから外に出る口実が欲しかっただけなのかもしれない。

 

自転車で球場に向かうと、たくさんの人が観戦に来ていた。マスコミも多く詰めかけていた。その注目選手はある有名なプロ野球選手の息子で、二年生ながら四番を打っていた。僕は外野の芝生席に座った。試合は一方的なものだった。その注目選手がいるチームは私立の強豪校で、相手チームは公立校だった。四回の裏で九対一の点差がついていた。ツーアウト一二塁でに打席が回ってきた。

 

確かにには雰囲気があった。遠くからでもそれが分かった。彼は二球ボール球を見逃したあと(二球とも大きく外れた)、三球目の甘いボールを特大のファウルにした。観客が大きくどよめいた。そしてピッチャーがまた大きく外したあとの五球目を、彼は強打した。引っ張ったライナー性の打球はものすごいスピードでサードの正面に飛び、その公立校のサードはたまたまそれを捕球した。彼がそれを捕ったというよりはグラブを構えていたところにちょうどボールが飛んできたという感じだった。バッターは(つまりその注目選手だが)悔しそうに、でも笑いながらベンチに戻って行った。三塁手はしばらくそこに突っ立っていた。自分がその打球を捕ったということがまだ信じられないみたいに。

 

結局五回コールドでその私立の強豪校が勝った。負けたチームの方には確かに悔しがっている者もいたが、その結果はすでに予想されていたみたいだった。そのあとすぐ次の試合が始まった。

 

僕が便所に行くと、負けた方のチームの選手が隣りに並んだ。彼はあの三塁手だった。彼の目は赤く腫れていたが、それでもまだ茫然としているように見えた。僕は彼の肩を叩いてやりたかった。ナイスキャッチだったじゃないか、と。でも僕はそんなにフレンドリーな性質たちではないし、結局なにも言わずに帰って来た。

 

僕は誰もいない部屋に帰り、水を一杯飲んだ。そしてふと彼(その三塁手だ)と、彼のその後の人生について考えた。彼は大学に行くかもしれないし、行かないかもしれない。野球を続けるかもしれないし、続けないかもしれない。それでも結局はどこかに就職し、結婚し、父親になるのだろう。それでもあの強烈なサードライナーの記憶は彼の中に残り続けるのではないだろうか。とにかく彼はそれをきちんとキャッチしたのだ。それこそが大事な意味を持っている。

 

僕はもう一度青空を見上げる。とりあえず今のところなんとか僕は生き延びているし、生き延びていればいつかボールをキャッチできるかもしれない。あるいは僕のところになんてボールは飛んで来ないかもしれない。いつまで待っていても無駄かもしれない。それでも僕は待ち続けたいと思う。だってこんなに良い天気なのだ。こんなに天気の良い日には僕だって希望を抱かないわけにはいかない。もっともそのためには常に前を見て、グラブを構えていなければならないわけだけれど。

 

 

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