忘却装置

「忘却装置」というものがあると便利だよな、と私は常々思ってきた。

「忘却装置」というのは要するに、都合の良い記憶を――つまり覚えていると都合の悪い記憶、という意味だが――ピンポイントで消せる装置のことである。たとえばあなたがアメリカンフットボールのファンであったとしよう。そうでなくたって全然構わないのだが・・・とにかく一つの仮定として、だ。だからちょっと我慢していてほしい。頼むから。、あなたはアメリカンフットボールのファンである。そして今日はその決勝戦が行われる。全米が注目している。しかしここは日本だ。時差もあるし・・・残念ながら仕事もある。もちろん家に帰るまで――つまり夜に、ということだが――一切ニュースを観ない、という選択肢もある。しかしそれが可能だろうか? この情報過多の世界において? 仕事上別のニュースを観なければならないこともある。電車に乗っているときだって、気を使って液晶パネルにその日のニュースを流してくれている。あるいは同僚にアメフト好きがいて、その話を仕掛けてくるかもしれない。道を歩いていたら、アメフト好きの若者二人組がその日の試合の結果を興奮しながら話しているかもしれない・・・。

 と、いうことで、私は一日まったくニュースを観ない、ということは不可能だと断定するのである。自らを無知に保っておくことがこれほど難しいことだなんて・・・。私は今アメフトの話題を出したが、これが日本シリーズだったらどうだろう? 贔屓ひいきの野球チームが試合をする。しかし、何か事情があって録画で見ざるを得ない。それまではどうしても結果を知りたくない・・・。でもどこのニュースでもきっと結果を放送しているだろう。電車で隣に座った主婦がその画面を開いているかもしれない。野球少年たちがその話をしているかもしれない・・・。

 だからこそ「忘却装置」が必要だと私は思っているのである。私は今この瞬間、自室で録画していたアメフトの試合を観ようとしている。しかし残念ながら、自らをイノセントに保っておく、という試みは成功しなかった。あとちょっと、というところに至ったのだが、つい別のニュースをスマホで見ているときに、リンクの見出しを読んでしまったのだ。まったく。なんということだろう! この一週間ほとんどこの試合のためだけに生きていたと言っても過言ではなかったのに・・・。

 と、いうことで、私はビールを飲みながら(そしてつまみのスルメを食べながら)、試合を観ている。自分はまだ結果を知らないのだ、と言い聞かせながらもなお、心のどこかでは冷めた目で観ている自分がいる。まったく・・・。

 でもそのときふと、どちらが勝つのか忘れてしまっている自分がいることに気付く。あれ? と私は思う。つい二秒前までは覚えていたのに・・・。あれ? どっちが勝つんだったっけ?

 私は困惑しながらもなお、その状況を都合良く利用し、楽しんでその試合を観ていた。片方のチームに兄が所属し、片方のチームに弟が所属していた。その母親はリーグのお偉いさん(コミッショナー)と並んで客席に腰掛けていた(何度もテレビに映された)。彼女はそれぞれのチームの半分ずつを使った特別なジャケットを着用していた。右半分が赤で、左半分が緑だ。なかなか微笑ほほえましい光景じゃないか・・・。英語の実況はどちらが勝ってもこの「ママ」は絶対に勝者だ、と言っていた。もちろん、同時に「敗者」でもあるのだが・・・。

 ハーフタイムが終わった。「兄」が所属しているチームが優勢だったが、もちろん後半を観ないと結果は分からない。久しぶりにスリリングな試合だった。もし結果を覚えていたらこうはいかなかっただろうな・・・と私は思う。

 もう一本ビールを用意してくる。スルメがなくなったので、今度は煮干しを用意する。さて、後半だ。どうなることか・・・。

 と、そのとき電話が鳴る。まったく誰だよこんな時間に・・・。と思ったら母親だった。田舎に住んでいる。「もしもし」と私は言う。「どうした?」

「どうしたって」と彼女は言う。「この間福島のおじさんがね、リンゴを送ってきてくれたからあんたにもおすそ分けしようと思って。すっごい甘いんだよ。あとは従姉いとこのみきちゃんがね・・・」

「うんうん」と言って私は話を聞いている。すでに再生ボタンを押していたため、試合は再開している。素晴らしいタックルが決まる。私は心の中で拍手をしている。生まれ変わったらあんなラインバッカーになりたいものだ・・・。

 そのあたりで母親の話が終わった。「・・・それで、リンゴ送るからね。お米も送るから。ああ、そうそう、あんたアメフト好きだったよね。今日の試合・・・」

「ちょっと待ってくれ!」と私は焦りながら言う。「たった今それを観ていたところだったんだ。だから結果は頼むから言わないでほしい」

「ふっふ」と彼女は意味しんな笑いを漏らす。「ああそう。それなら言わないでおくからね。もうものすごいニュースになっているのよ。それで教えてあげようと思ったんだけど。最後の最後のところね。第四クォーターのところ。もう大興奮よ。ま、せいぜい楽しんで観なさいよ。じゃあまたね。グッバイ」

「グッバイ」と私も言う。大興奮? と私は思いながら、回線の切れたスマートフォンを眺めている。私の知るところ、彼女がアメフト好きだったことは一度もない。彼女は相撲が好きなのだ。野球はまあまあ。でもアメフトは・・・たぶんルールだって知らない。ラグビーとの違いだってきっと分からないはずだ。どうして彼女が結果を・・・?

 変なことが起こる日だな、と思いながら私はまた試合に意識を戻す。観客たちは興奮して騒ぎまくっていた。この辺がアメリカ人のいいところだ、と私は思っている。人目を気にせず、とことん楽しむ。私は日本で生まれ育ったからどうしても他人の目を気にする習慣が付いてしまっている。それは時に窮屈だが・・・必ずしも必然性がないというわけでもないのだろう。行き過ぎて怪我をすることを避けさせてくれるからだ。あるいはこんなことを思っているからいつまでも退屈な「会社員」止まりなのかもしれなかったが・・・。

 試合はシーソーゲームで、最後の最後までどちらが勝つのか予想できなかった。キッカーが比較的楽な距離を外した。ディフェンスがまた良いプレーをした・・・と思ったらペナルティフラッグが飛んだ。「」と私は思わず声に出してしまう。今のがパスインターフェアランスだって? そんなこと言っていたらコーナーバックは何の仕事もできなくなってしまうじゃないか? 私は常々の当たらない場所で頑張っているディフェンス陣に同情を寄せていた。彼らがいるからこそオフェンスは自らの仕事に集中できるんじゃないか? それなのにメディアの注目は点を取る人間にばかり集まっている。それはいささか不公平ではないのか・・・?

 ついに残り時間も数分、というところにやってきた。最終盤。母親は大興奮と言っていたが・・・。と、突然私は信じられない光景を目にする。アリゾナのグレンデールにあるスタジアムの光景。リーグのコミッショナーの隣に、例の母親が座っているはずだった。しかし、今そこに、私の母親が座っているのである! 立ち上がってほかの観客たちにお辞儀をしている。スタンディングオベーション。意味が分からない・・・。コミッショナーは笑っている(初老の男性である)。彼女はユニフォームを半分ずつぎ合わせたジャケットを着ている。半分が赤で、半分が緑だ。いったいいつの間にアリゾナなんてところに行ったんだ?

 次に試合の状況が映し出される。私は混乱しながらもなお、画面にかじり付いて観ている。こんなものを見逃すわけにはいかないだろう・・・。残り時間はあとわずか。このドライブで得点しないと負けが決まってしまう。堅実なランプレー。かと思うとプレイアクションからのパス。緑のチームの「兄」が良い働きをしている・・・と思ったらそれは私の兄だった。私自身の兄だ。いったいいつ彼はアメフト選手になったんだろう? 彼は水泳をやっていたじゃないか? それも二十年も前の話だったが…。

 反対側のチームに目をやると・・・そこには父親がいた。父親? 彼は今病気で入院しているはずじゃ・・・。彼は白いブリーフ一丁で、グラウンドを走り回っていた。警備員が追いかけている。犬もいる。実況のアナウンサーが「クレイジージャパニーズガイ!」と叫んでいる。父親は片手に酒瓶を持っている。顔は真っ赤に火照ほてっている。しかし・・・ものすごく楽しそうだ。たしかに「大興奮」ではありそうだったが、しかし・・・。

 私は一度画面から目を離す。するとテーブルの上に奇妙なものが載っかっていることに気付く。ついさっきまではこんなものなかったはずなのに・・・。それは小さなボタンのようなものだった。四角くて、黒い。十円玉くらいのサイズのボタンが付いている。ボタンもまた黒い。まるでアメリカ大統領の横に用意される――そんな光景は実際には見たことがないのだが、とにかく――核兵器発射のスイッチみたいだった。あるいはこれが「忘却装置」なのかもしれない、と私は本能的に悟る。いや、きっとそうだろう。実は私は常にこれを使い続けていたのかもしれない。きっとこの「忘却装置」には自分の存在を消す、という機能が付いているに違いない。。忘却装置のスイッチを押した人間は、自分にとって都合の悪い記憶を消すことができる。そして同時に、自分がその記憶を消した、という記憶すらも消すことができるのだ。そうに違いない。日本の技術にあっぱれだ。私はこのアメフトの試合すべての記憶を消し去ろうと試みる。母親が観客席にいて、兄がフィールドにいて、父が走り回っている(ブリーフ一丁で)。画面では犬が父に噛み付いていた。ああ、あんなもの見たくない・・・。

 私はそのスイッチを押した。消し去りたい記憶を思い浮かべながら。でも・・・何も起きない。何度も何度も押してみる。これでもか、というくらい執拗に・・・。

 あるポイントで、突然空白がやって来た。私は自分が誰なのか分からなくなっている。自分の名前も分からない。自分が何のために生きてきたのかも分からない。たださっきの試合の記憶だけは、まったく消えずに残り続けていたが・・・。

 画面を見ると、真っ白になっていた。だ。なんにもなし。私はただそれを見ていた。アリゾナのスタジアムは、そのまま消えてしまったのだろうか、と思いながら・・・。

 電話がかかってきた。非通知の相手だった。私は構わずに応答した。「もしもし」と言う。

 少し間を置いて、誰か男の声が聞こえてきた。ひどく取り乱している。「・・・いいか?」と彼は言っている。「絶対にそのスイッチを押しちゃいけない。分かったか? もし押したら・・・」

「押したら?」とチラリとそちらを見ながら私は言う。「押したらどうなるんだ? 教えてくれよ。頼むから」

「押したら君は君ではなくなる」とその男は言った。そして次の瞬間、電話は切れた。

 私はスマートフォンを床に落とす。ガタン、という音が鳴る。私は今や何も考えられずにいる。思考を一つにまとめることができないのだ。頭に浮かぶのは・・・ただの空白だ。

 私は踊り始める。空白の中で、踊り始める。ひどく不恰好なステップだが、そんなことは気にしない。なぜなら誰も見てはいないのだから。

 ダンスの着想は、次から次へと湧いて出てきた。こんなことは生まれて初めてのことだった(たぶん、だが)。私はごく自然に踊り続けている。身体が喜んでいるのが分かる。精神が喜んでいるのが分かる。私は名前のない男になって初めて、自由の意味を悟りつつある。だとしたら今までの人生は・・・?

 突然ドアが開いて、廊下からアメフトの防具を付けた兄が入ってくる。彼は冗談で笑いながら私にタックルしてくる。私はそれを優しく受け止める。ハハハハ、と彼は笑っている。そのすぐ後ろから特注のジャケットを着た母親がやって来る。手には段ボール箱を抱えている。福島のリンゴ。そしてブリーフ一丁の父親。その後ろにはリーグのコミッショナーまでいる。警備員と犬もいる・・・。

 なぜかみんなニコニコしていた。祝祭的な雰囲気が、私の本来は孤独だったはずの部屋を包み込んでいる。私はその中でも真剣に踊り続けた。、と私は思っている。その場にいたみんなもまた踊り始めていた。犬まで踊り始めていた。私は手足を激しく動かす。それが精神の――そして肉体の――命令だったからだ。

 と、あるポイントで、偶然手がテーブルの上の「スイッチ」を押してしまう。忘却装置のものだ。その瞬間、すべては消え失せる。兄も、母親も、父親も、コミッショナーも、警備員も、犬も、みんな。部屋はしんと静まり返っている。私は踊るのをやめる。そして床にあお向けに寝転がる。無個性な蛍光灯が見える。そしてそれに照らされた私・・・。

 これから何のために生きればいいのだろう、と私は思う。そしてそう思った瞬間、涙が流れてくる。透明な、意味のない涙だ。それが頬を伝って、地面に落ちた。その瞬間、私は深い深い眠りに落ちていった。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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