さて、お彼岸も過ぎて三月も末になり、皆様はいかがお過ごしでしょうか? 僕はこのように生きています。あれ?……と周囲を見回すけれど、たぶん生きているのだと思う。ここは夢の世界じゃないよな。きっと……。
それはいいとして、まあ懲りもせずまた引っ越しました。以前住んでいた(つい10ヶ月ほど前のことなのですが)東京の外れです。いやいや。こんなことになるとは……。
でもとにかく来てしまったのだから仕方がありません。先の一週間はとにかく眠くて仕方がなかった。引っ越し前後からあまり眠れていなかったので……(解体し、段ボールに詰める。解体し、段ボールに詰める。そして冷蔵庫の掃除……)。いずれにせよ、ついさっき7年以上ずっと走り続けていた川沿いの道をまた走ってきました。ところどころ補修されていて、平らになっていてずいぶん走りやすくなっていた。でもそれを別にすれば前とほとんど変わりません。まあそりゃそうだよな。10ヶ月の仙台生活なんてなかったんじゃないかと思えるくらい。
でもまあ僕自身の中には連続性があります。それは結構重要なことであるような気が、なぜかしている。うん。環境が変わり、一見生活が一変したように見えても、僕自身にはさほど変わりはありません。急に強くなるわけでもないし、たぶん、急に弱くなるわけでもない。良くも悪くも自分のままです。
もちろんここから少しずつ成長していかなくてはならない。それは移動している車中でずっと考えていたことでした(宮田氏が東京からレンタカーを借りて手伝ってくれた。普通の人はそこまでしてくれない。感謝)。そしてそのためには……とにかく一日一日、やるべきことをやることです。それしかないような気がする。大きな決意もいらないし、自分を叱咤激励する必要もない。他人に自分をカッコよく見せる必要もない。あるいは必要以上に自分を低くする必要もない……。要するに地に足を付けて、なおかつ少しずつ成長していこうじゃないか、ということです。僕も少しは歳を取ったということだろうか……。結局人間のできることには限りがあるし、一日は24時間しかありません。その中で生活費を稼ぐ必要もあるし、飯も食わなくちゃならない。筋トレだって……。小説に使える時間はかなり限られています。そしてそれだって十分な睡眠を取っていなければ――少なくとも僕の場合――まず満足のいくものは書けません。それも経験上分かっている。無理に書こうとして、眠気にやられて、自分で自分にうんざりするに決まっているのです。だとしたら、そう、まずはきちんとしたルーティーンを設定すること。これに尽きます。将来のことを考えると正直不安にはなるけれど、まあやるべきことが今目の前にあるのだからそれに集中した方がいいでしょう。実際就職したところで将来安泰かどうかなんて誰にも分からないわけだし。うん。
また気持ちを切り替えて、ゼロからのスタートとなるわけですが、少なくとも記憶は残っている。今までの8年間の記憶です。あと2年書き続ければ10年経ったことになる(少なくとも小説家を目指し始めてから)。そこまで行けばあるいは自分のスタイルというものが生まれてくるかもしれない。当初の予定とはまったく変わってしまいましたが、もうここまで来たら執拗に行けるところまで行ってしまうのも面白いのかもしれない。そう思いつつあるところです(「天才とは執拗さの言い換えではないか」とたしかトム・ジョーンズは書いています)。
結局僕がやりたいのは――真にやりたいのは――自分の魂を有効に解放することなのだと思います。それはお金があるからできるとか、みんなにちやほやされたからできるとか、そういう類のことではない。自分を鍛え続けた結果、うんざりするほど長い時間をかけて、少しずつレベルが上がっていく、というタイプのことなのだと思います。心の穴は誰にでもあって――ない人というのはいないと思う。これは僕の意見ですが――それを埋める作業は各個人に任されています。そんなことをしなくたって老人になるまで生きていられるかもしれない。でも僕はできればその道を取りたくない。生きて、こうして意識を保っている以上、何かをしなければならないのではないか? そのような内的要請を感じ取っているからです。内的要請。うん。
それは呪いとも言えるし、祝福とも言えます。いずれにせよ自分をより強化して――あるいはより柔軟にして――やってくる違う毎日に対処しなければなりません。そこには固まった正解はない。反応。それがすべてだ。それ以外のことなんて……本当は、どうでもいいことなのかもしれません。
僕はいろんなことを心配し過ぎる傾向があったのだけれど、それを少しずつやめることができたらなあ、と考えています。簡単ではないだろうけれど。要するに今を生きる率が上がれば、それ以外のことを考えている余裕なんかなくなってくるはずです。それが理想だ。ということでやることをやります。この新しい――けれど古い――街で。
P.S. 大相撲で、時疾風関が十両の筆頭で勝ち越しました。7勝7敗で迎えた千秋楽で白熊関に勝ったのです(白熊というのもすごい名前だけれど)。時疾風はほぼ同じ地元で(栗原市瀬峰出身。僕は栗原市一迫出身)、東京農業大学を卒業した後に角界に入りました。とにかく、宮城県北部出身者で出世する人はあまりいないので――いや、すみません。きっと僕が知らないだけで、出世している人はいるにはいると思うのだけれど、とにかく――いつも気にしていたのであります。これで来場所は幕内ですね。怪我に気を付けて頑張ってもらいたいものです。はい。
そんな風に近くの田舎から出てきた人が活躍しているのを見ると、ああ俺も頑張らなきゃな、と思う次第であります。はい。まあ僕は別に世のため人のために頑張っているわけではないのだけれど……巡り巡って、人の魂のどこかを――どこなのかは分からないけれど――揺さぶることができるかもしれない。そう思って書いています。もっと成長しなきゃね……。
さらなる追記:結局仙台には10ヶ月しかいなかったわけだけれど、離れれば離れたでちょっと懐かしくなってきます。名取川沿いのランニングコースとか。田んぼの間を抜ける細い道とか。日本中どこにでもある似たような景色の一つなのだけれど、どこかが違う。あるいは違うように感じる。それはまあきっと僕という人間が観察し、いわばソート(区分け)されない〈そのものの光景〉として自分の中に取り入れたからなのかもしれません。「似たような」光景ではある。でも決して同一ではない。そういう「そのものの光景」を取り入れながら、きっとこれからも生きていくのだと思います。便宜的な理解のためにいろんな注釈を付けるのだけれど、本来そんなものはなくてもいいのかもしれませんね。名前が本質を損なってしまうというのは、往々にして起こることだと僕は感じています。
もっともまったくそういうことをしなくなったら、たぶん僕は気が狂うんだと思う。参ったな。人間の意識は不思議なもので、やはり理解しやすいように物事を整理する傾向があると思う。この人はこういう人だ。あの出来事はこういうことだった。あれは善で、あれは悪だ……エトセトラ、エトセトラ。実は最近戦争のドキュメンタリー、プラス証言集をネットで見ているのだけれど(NHKのサイトに無料で観られるものがたくさんアップされています)戦争というものは簡単に整理できないものの好例だと思います。局地的に見れば勝者と敗者が明らかになってくる。局地的に見れば「悪」と思える行為がたくさん出てくる。でも一歩引いてみると……よく分からない。たとえば日本軍の指導陣の無能さがよく主張されるけれど、彼らが有能で戦争が日本有利に運んでいたらどうなったのか? それは長い目で見て本当に善だったのか? しかし彼らの無能さのせいで(たとえばほとんど見栄のために撤退を許さず、多くの兵士が戦死した。あるいは捕虜になることを拒否して自殺した)無駄死にした人々が多くいたことは事実です。たとえば慰安婦という存在もいる。たとえばスパイ容疑をかけられて殺された現地の市民たちがいる。命令に従っただけでほかにしようがなかったんだ、という兵士がいる。その兵士を殺す現地の市民がいる……。血なまぐさいことが起こり過ぎて、何が善で何が悪なのかよく分からなくなってきます。「あったことがあった」と言えばそれまでなのでしょうが……単に過去のことして忘れ去ってはいけないような気が、なぜかしている。というか正直に言うと、個人的に興味があるのです。あのような集団の狂気の中で、人々が何を考えていたのか、と。
できれば日本側だけでなく、たとえば中国側、フィリピン側、アメリカ側……それぞれの証言を見てみたい。90近くになった老人たちが(それは証言をしている時点での年齢であって、彼らの多くはもし生きていれば百歳を越えている。かなりの方がすでに亡くなっているのだと推察するが)ありありと細かい情景を覚えている、というのも不思議なものです。彼らはほとんどが20代の前半か半ばだった。命令に逆らうことのできる雰囲気ではなかったはずだ。そして教育がある。お国のために尽くしなさい、という教育。生きて虜囚の辱めを受けることなかれ、という教育(たとえば捕虜になるくらいならこれで潔く自決してください、と言われて、出征時に母親に短刀を渡された人もいる)。天皇は神であるという教育。
死はなんとも思っておりません、というある証言者の言葉が頭に残っています。長年覚悟しとったですから。「お母さん」なんて言って死んでいくというのは嘘ですよ。黙って死んでいくんです。最初からもう、国を守ると、国のためだという気持ちがあってですね、親のこともなんにも考えない。母のこともなんにも考えません。ただ国家のために死んでいくんだという気持ちだけですよ。
彼が「国を守る」ためにした行動は結局どういう結果に結び付いたのか? もちろん今となっていろんなことが済んでしまったあとではなんとでも言える。思うのは若者の純粋な気持ちが、奇妙な作用によってかなり歪んだ目的に向けられてしまったということです。そしてそれは当時の上層部にとっては簡単なことだったのではないか?
こう言うと「上層部」が悪だ、という結論に達してしまいそうですが、結局のところ彼らだって視野の狭いごく普通の人間に過ぎなかったわけです。欠陥があるのは当たり前。失敗するのも当たり前。それをごまかそうとするのもあるいは普通かもしれない。しかしそれらの行為の集積が……あのような巨大な惨事になってしまった。ドイツやイタリアでも同じことが行われています。あるいは戦勝国の側にだって細かく検証すれば矛盾や、悪と思えるような行為や、純粋な失態なんかはたくさんあるでしょう。いやはや……。しかしにもかかわらず、そこに巻き込まれた個人の証言を辿ることが必要な気がしているのです。まあ少なくとも僕個人にとっては。
平和でありさえすれば人は幸せになれるはずだ、とは僕は信じていません。平和である時代には個人は自らの心と自らの責任で向き合わなければならないのではないか、と思っている。そうしないと大事なものが失われてしまうような気がするからです。戦争の中に含まれる善や、悪や、そのどちらとも言えないものや、ウイルスや細菌や兵器や死んだ動物や虫や風や海や川や血や汗や汚物や……とにかくそれらの雑多なものごとの集積の中に何か理解すべきものが含まれているのではないか。そんなことを考えている今日この頃です。それでは。