啓示 3

啓示 2』の続き

 

『啓示の物語』(肉付け版)

 

(便宜的に、これから死ぬ方の青年を「X」、それを見届ける方の男を「A」と呼ぶことにする。ちなみにどうして彼が「X」なのかというと、「その方が『B』よりも格好いいから」ということだった)

 

 

月から戻った二人は、今Xのマンションにいた。これから午後9時27分までの時間をなんとかして潰さなければならない。彼らは今、デパートで買ってきたコーヒーを二人で飲み終えたところだった。それはそこで売っている一番高い豆で、確かに値段相応の味がした。しかし、それでもまだ午後7時5分前だった。

 

Xは結局何をしたらいいのか分からなかったので、テレビを点けて野球中継を観ることにした。彼には特に贔屓ひいきにしているチームはなかったのだが、そのときちょうど阪神タイガースが巨人に負けていたので、便宜的に阪神を応援することにした。まだ二回だったが、阪神はすでに4点を先取されていた。

 

一方Aは広島ファンだったのだが、巨人が勝たなければなんでもいい、という理由で阪神を応援することにした。その試合は東京ドームで行われていて、多くの巨人ファンがスタンドを埋めていた。

 

彼らはただぼんやりとその中継を眺めていた。応援と実況の音がうるさいので、音量は極力低くしていた。巨人の先発ピッチャーは絶好調で、阪神に付け入る隙はなさそうに見えた。

 

 

一方その頃、月の上ではあの猫が(オスの三毛猫だ)まだビールを飲み続けていた。ウサギもまた、彼と一緒にビールを飲んでいた。

 

「これでこの地球も見納めか」と猫は眼下に見える青い地球を見て言った。

 

「その方がいいのさ」とウサギは言った。「だって彼はほとんど死にかけてるじゃないか」

 

「そうだな」と猫は言った。「俺たちは、もうずっと前からそのことに気付いていた。どうして人間がそれに気付かないのか、みんな不思議に思っていた。でもまあいいんだ。どっちにしろ最後はみんな死ぬんだから」。そしてそこでまたビールをすすった。

 

「しかし」とウサギは言った。「彼らはよくあんな嘘を信じたな。あんなのただのブランデーにすぎないのに。太陽が死ぬとなったら、もう誰もそこから逃れることはできない。たとえ受精卵に戻れたとしても、だ。でも彼らは、本当にあんなので受精卵に戻れると思っていたのだろうか?」

 

「でもあんた、迫真の演技だったじゃないか」と猫は言った。「鼻毛なんか抜いちゃってさ」

 

「まあな」とウサギは言った。「私だってなんにも知らない人間を失望させたくなかったんだよ。彼らはほら、ある場合にはすごくピュアだからさ」

 

「実際にはどうなるんだろう?」と猫は言った。「つまり午後9時27分にあれを飲んだとして」

 

「まあ少しほろ酔い加減になるだけだろう」とウサギは言った。「それで、9時29分に太陽が爆発する。それでまあ、結局はみんな死ぬ」

 

「あんたは心残りはないのか?」と猫は訊いた。そしてつまみのスルメを食べた。

 

「私かい?」とウサギは言った。「そうだな。別れた妻に会いたい気もする。彼女は今天王星てんのうせいにいるんだ」

 

「どうしてそんなところに?」と猫は不思議そうに訊いた。

 

「私から少しでも遠くに離れたかったんだそうだ」とウサギは言って、またビールを飲んだ。

 

 

時刻は午後8時になっていた。試合は六回に差し掛かっていたが、巨人が6対0で勝っていた。阪神はいまだ2安打に抑えられていた。XとAは、その間腹が減ったので、コーンフレークを食べた。人生最後の日に食べるには少し物足りないような気もしたが、なんにせよそれしか食べるものがなかったのだ。AはXに音楽をかけてもいいか、と尋ねた。Xは構わない、と言った。

 

でも実際のところ、Xの部屋にはろくなCDがなかった(相撲甚句じんくとペルシア語会話のCD。ペルシア語?)。それでAはパソコンを起動させてもらい(マックブックだ)、Youtubeでクラシックの動画を見ることにした。レナードバーンスタインが指揮をするウィーンフィルハーモニー、ベートーベンのピアノ協奏曲第4番。ソリストはクリスティアン・ツィマーマン。5番も素晴らしい演奏だったが、Aは4番が聴きたい気分だった。それで彼はその動画を再生することにした。Xはコンポに音声ケーブルを繋いでいたので、スピーカーからその演奏が流れることになった。生き生きとしたバーンスタインの指揮。それに合わせるツィマーマン。テレビの画面では、その音楽の後ろで、阪神が相変わらず無得点に抑えられている。

 

二人はその空間を共有した。それは不思議に心地よい空間だった。彼らはほかに何かが欲しいとは思わなかった。Xは、このまま時間が止まってしまえばいいのに、とさえ思った。そしてそう思った瞬間、実際にそれが起こった。急に音楽が止まり、巨人のピッチャーが投げたボールは空中で動きを止めた。阪神の外国人バッターのスイングも途中で止まった(もっともそのバットがボールに当たる確率はかなり低いように見えた)。パソコンの画面では、目を閉じたバーンスタインが、指揮棒を宙に上げたまま動きを止めていた。ツィマーマンもまた演奏を止めていた。今動いているのはXとAの二人だけだった。

 

どうしたんだろう、と思って彼らは顔を見合わせた。時計を見ると、時刻は午後8時29分だった。つまり宇宙が死ぬちょうど一時間前だ。何がなんだか分からないでいると、ベランダに続くガラス戸を何かがコツコツと叩く音が聞こえた。それは無音の室内に、異様なほど大きく響いた。Xが急いでカーテンを開けると、そこにはたくさんのカラスの群れが集まっていた。

 

それは異様な光景だった。近くの電線には異常なほどたくさんのカラスがとまり、みなこちらを見つめていた。彼らはどうやら、どこかへ移動する途中のようだった。Xは急いでそのガラス戸を開けた。

 

「やあ」とカラスは言った。

 

「ああ、えっと・・・、こんばんは」とXは驚いて言った。

 

「猫とウサギがしゃべるんだ」とXが驚いているのを見てカラスは言った。「俺たちがしゃべったって別にいいだろう」

 

「ええ、それは・・・」とXは言った。

 

「それでさ」とカラスは言った。「俺たちは君らに忠告しにきたんだ。あと一時間で宇宙が死ぬことは知っているね」

 

「ええ」とXは言った。

 

「それで、我々は遠くに移動しようとしているんだ。今は時空がゆがんでいる。太陽が最後の爆発の準備を始めたからだ。それでだ、もしよかったら君たちも一緒にどうかと思ってね」

 

「遠くに行ったところで助かるのでしょうか?」とXは言った。

 

「確かにこの宇宙の中では駄目だ」とカラスは言った。「でもね、私たちは、もう一つの宇宙に行くんだよ。そこなら安全だ」

 

「そんなものがあるんですか?」

 

「あるよ」とカラスは言った。「きちんとした目を持っていれば、そんなの簡単に分かるんだがな」

 

「でも僕らには、僕らなりの戦略があったんですが」とXは言った。

 

「ああ、あの受精卵の話か」とカラスは言い、迷ったように先を続けた。「でもあれはウサギが嘘をついたんだ。君らをがっかりさせないように。あんな薬を飲んだところで――実際にはただの酒か何かだろうな――受精卵に戻ることはできない。せいぜい酔っぱらうくらいが関の山さ」

 

そこでXは急いでAの方を振り返った。「あなたはそれについて知っていたのですか?」と彼は訊いた。でもさっきまでそこにいたはずのAはどこにもいなくなっていた。

 

「あれ・・・でも・・・」とXは何がなんだか分からずに言った。

 

「彼は君だったんだよ」とカラスが言った。「彼は君の影であり、君は彼の影だったんだ」

 

それでもXは、まださっきまでAが座っていたはずの椅子を、茫然と眺め続けていた。影?

 

「それで」とカラスは言った。「君はどうするね?」

 

Xには決めることができなかった。俺はもうひとりぼっちになってしまったのだ。自分一人で一体何が決められるだろう?

 

「分からない」とXは言った。「一体どうしたらいいのか」

 

 

カラスは困ったように言った。「早くしないと、また時間が動き出してしまう」

 

Xは自分の両手を見たが、そこには何のヒントもなかった。彼は今、自分一人で重要な決断を下さなければならなかった。俺は一体どうしたらいいのだろう? でもそのときふとあることに気付いた。電灯の光を受けてできた自分の影が、明らかに前より濃くなっていたのだ。そしてほんの心持、身体が重みを増したようにも思えた。

 

彼は俺の中に入り込んだんだ、とそこでXは悟った。そして生まれて初めて、今自分が生きていることを実感した。Aの重みを受けて、彼は初めて、自分がまともな人間になったような気がした。彼は、自分が自分でよかった、とそのとき生まれて初めて思った。

 

「僕は残ります」と彼は自分でも気付かぬうちに言っていた。「僕はここで死ぬべきなんだと思うんです」

 

「本当にいいのか」とカラスは言った。「あっちの宇宙なら、君は今まで通り生きられるぞ」

 

「僕はここで一度死ぬべきなんです」とXは言っていた。「それが僕の運命なんです」

 

彼はベランダに出て、カラスたちが移動を続けるのを見守った。彼らはたくさんの仲間と共に、別の宇宙へと旅立っていった。ただXはそれを見ても何の後悔も感じなかった。おそらく彼らについていっても、そこで俺は前と変わらない死んだような人生を送るだけだろう。

 

今彼は気付いていたのだが、彼にその決心をさせたのは、まさにAの重みだった。そしてその重みがこう言っていたのだ。「君はここで一度死ななくてはならない」と。

 

それが実際に何をもたらすのかは分からなかった。当たり前の話だが、死んだあとのことは、死んだあとにしか分からない。でも彼はそれを怖いとは思わなかった。むしろ死んだように生きることの方が怖い気がした。

 

知らぬ間に時計は動き出していた。バーンスタインは演奏を再開し、阪神の外国人バッターは案の定空振りをしていた。あと一時間だ、と彼は思った。でもそれも、今の彼には長すぎるような気さえした。

 

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

2件のコメント

  1. 魅力的で美しい文章。
    そしてナンセンスな内容のない中身。
    人にリアリティというか表面的な人間に見えてしまう。
    村上春樹に影響されたのだろうと思います。
    そしてナンセンスな中身のなさ、つまり浅さと村上春樹的な要素が欠点であると思いました。
    失礼を承知ですが、今の僕がこの「啓示」という作品を読んだ感想です。
    どこか自分の書く文章に満足していて、飽きている気がします。
    実際僕の方が実力は下なのですが、きっとこのままだとプロになれないと思いました。
    相変わらず僕は村山亮さんの作品が好きなのは変わりないのですが。

    1. これはずいぶん前に書いた作品で、「とにかく勢いのまま行けるところまで行ってみよう」と思って書きました。それ以外のことはほとんど何も考えていません。
      あるいは「浅い」のかもしれませんが、いかんせん、そのときの僕にはこれしか書けなかったのです。

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