スイカマンに関する覚書

スイカマンの頭はスイカで出来できていて、その正面に目と鼻と大きな口(というか穴)が空いていた。彼はシックなタキシードに蝶ネクタイといういでたちで僕の前に現れた。

 

「やあ、私がスイカマンです」と彼は言った。

「ええと、前にどこかでお会いしましたっけ?」と僕は頭を掻きながら言った。

「私は会ったことがあります」とスイカマンは言った。「でもあなたは覚えていないかもしれない」

 

確かに僕は覚えていなかった。記憶のどこを探しても彼の姿に見覚えはない。前に一度会った?本当にそんなことがあるのだろうか。そもそもこんなスイカ頭とタキシードを見て、すっかり忘れてしまえる人間がどこかにいるのだろうか?

「申し訳ありませんが、覚えていないんです」と僕は言った。

 

スイカマンは鷹揚おうように笑い、手で何かを払いのける仕草をした。「そんなこといいんです。所詮私はただのスイカに過ぎませんからね。ところでどうです?一杯やりませんか」

そこで僕はその日、スイカマンにビールをおごってもらうことになった。

 

 

「失礼ですが、どんなお仕事をされているんです」と僕は聞いた。僕には興味があったのだ。スイカは一体何をして生計を立てているのか。でもその質問は彼の耳には届かなかったみたいだった。あるいは我々の間には目に見えない透明な壁が立っていて、都合の悪い質問はそこでさえぎられてしまうのかもしれなかった。

「女などスイカの種ほどいるが」と彼は空のグラスを見つめながら言った。「良い女の数はごく僅かです。それはちょうど、良いスイカの数が少ないのと同じことです」

僕はただ頷いた。

「宇宙とは巨大なスイカだと言った人がいます」と彼は続けた。「あなたはどう思います?」

「ええと、そうだな・・・」と僕は言った。「そう言えなくもないし・・・」。でも彼は僕の話なんか聞いてはいなかった。

「宇宙は膨張し続けています。その全貌を把握することはほとんど誰にとっても不可能だ。あるいは神にとってさえ・・・。でもときどき私は思うんです。膨らみ続ける宇宙の全体像を把握することができないのなら、代わりにその中心にあるものを見ることで、本質を見抜くことができるのではないかと」

 

「あなたの中心には何があるんです?」とそこで僕は聞いた。

「私の?」と言って彼はようやく僕に顔を向けた。その目は――というか単なる穴に過ぎなかったのだが――どのような表情も浮かべてはいなかった。「私には分かりません」と彼は言った。「それは自分自身ではなかなか分からないものなのかもしれない」

 

 

僕らはそうやって一緒に酒を飲むようになった。飲みに行くときはいつもスイカマンが突然現れて、僕を行きつけのバーに誘った(僕に断るという選択肢はなかった。というのも彼はひどく怒りっぽくて、一度断ろうとしたとき、ものすごい形相でこちらを睨んできたのだ)。ちなみに彼は携帯電話というものを憎んでいたので、こちらからは連絡の取りようがなかった。

 

「あの電波が果肉に悪い影響を与えるんです」と彼は言った。「それにあれのせいで人々は現実を見ることを忘れてしまっている」

「はあ」と僕は言った。

「現実はこんなにも美しいのに、彼らはみすみすそれを見逃してしまっているんです。人間はかつては自分の目でものごとを見ていました。でも今では彼らは良いスイカと悪いスイカの区別もつかんのです。ときどき私をメロンと間違うようなやからもいる始末だ」

「まあまあ」

 

 

彼はそうやって大体一人でしゃべって酒を飲んでいたのだが、彼の愚痴は聞いていても嫌な気分にはならず、むしろ清々すがすがしい気分になったくらいだった。それはあるいは、彼がいつも正しい姿勢を取ろうと努めていたからなのかもしれない。それに、まあ物珍しさというものも確かにあった。そもそも一体誰がスイカの愚痴を聞いたことがあるというのだろう?

 

でも彼には一つだけ困った点があった。彼には気に食わないことがあると口から周囲に鋭く種を飛ばす癖があったのだ。僕はそれで一度危うく失明しかけるところだった。

 

「まったく」と彼は言った。「スイカ割りなんて。野蛮な文化だ。棒でスイカを叩き割るなんて!一番問題なのは大人たちが子どもにそれをやらせるということです。まったく。スイカの代わりに人間の頭があったとしたらみんなぞっとするでしょう。今私はちょうどそれと同じ気分を味わっているんです。スイカ割りなんて!それにそもそもどうしてもっとエレガントに食べられないんだ」

「痛っ、ちょっと、スイカマンさん」と僕は言った。「口から種が飛んでますよ」

「いや、これは失礼」と彼は言った。「つい興奮してしまって」

 

 

 

スイカマンとカボチャ男は犬猿の仲だった。

「彼が活躍するのはハロウィンの時だけです」とスイカマンは言った。「あんなもの大手デパートの見え透いた市場戦略に過ぎません。そもそもハロウィンが日本人に何の関係があるというんです?」

「でもあなただっておもに夏にしかいないでしょう」と僕は(ちょっと怯えながら)指摘した。

でも彼はそれを聞いても怒ったりはせず、にっこりと優しく微笑んで――少なくとも僕にはそう見えた――こう言っただけだった。「私は秋も冬も、春も存在しています。あなたの心の奥深くに」

 

 

 

リチャード・ブローティガンの『西瓜すいかとうの日々』が文学史上の最高傑作だと彼は確信していた。

「『カラマーゾフの兄弟』に一か所でもスイカが出て来ましたか?」と彼は言った。

「でもロシアは寒いからスイカは食べないんじゃないかな」と僕は言った。

「そんなこと関係ありません」とスイカマンは言った。「スイカの出てこない小説なんて、スイカ的観点からすれば無に等しいのです」

「でも世の中には別な観点だって存在していますよ」と僕は言った。

「確かにそうだ。私はなにも自分の考えを他人に押し付ける気はないのです。私はたまたまスイカだからスイカ的観点しか持てないということなのです。でももしそう言うのなら」と言って彼は僕の顔を見た。「人々は一体どんな観点を持っているというのです?」

僕はそう言われてとっさに考えを巡らせたのだが、良い例を思いつくことができなかった。

「ほら」と彼は言った。「何もないよりはスイカ的観点を持った方がまだましです。メロン的観点とか、カボチャ的観点とかよりもね」

 

彼は愛すべきロシア国民のために乾杯しよう、と言った。

「いずれにせよドストエフスキーは一流の作家です。愛すべきロシア人に神の祝福を。ウラー!」

「ウラー!」と僕も言った。そしてそっとこう付け加えた。「でもカボチャだっておいしいですよ」

彼は「God damn it!」と叫び、また広範囲にビュンビュン種をまき散らした。

 

 

 

彼は一度だけ、僕がひどく落ち込んでいるときに、自分の果肉を吸わせてくれた。

「さあ」と彼は言い、自分の頭頂部に長いストローを刺した。そのストローは彼の芯にまで達していた。

「大丈夫なんですか?」と僕は心配になって言った。というのも、僕に劣らず彼もまた疲弊しているように見えたからだ。

「大丈夫です」と彼は言った。「確かに今シーズンの私の寿命はそろそろ尽きようとしています。でも逆の言い方をすれば、今が食べごろなんです。これ以上待っているとただ腐って、あのガーガーうるさいカラス共の餌食になってしまいます」

そこで僕は思い切ってストローを吸った。いくらスイカとはいえ、友人の頭の中身を吸い込むというのは複雑な気分のするものだった。ちなみに彼の果肉の中心はもうずいぶん柔らかくなっていて、ストローでも楽に吸い込むことができた。

「ああ・・・」とスイカマンは声を上げた。

 

 

彼の果肉にはスイカマンの本質が詰め込まれていた。それはとても甘く、沢山の水分に満ちていて、とても優しいものだった。僕はそれを大事に吸い込みながら、知らず知らずのうちに涙を流していた。僕は、自分は今スイカマンの中心に触れることによって、彼の全体像を把握したのだ、という気になっていた。それは思考によってではなく、むしろ味覚によってもたらされたものだった。この感覚をいつまでも覚えていなければならない、と僕は思った。そうすればこれから先の人生、最も大事なものから(人間の心にとって最も大事なものだ)自分は決して離れることはないのだと。

 

でも吸い込むことを止めたとき、その感覚はすっと消えてしまった。跡形もなく、余韻すら残さずに。僕は完全に途方に暮れて、一人孤独のふちに取り残されていた。どうしてだ、と僕は思った。どうしてそんなに簡単に消えてしまうんだ?僕はもう一度ストローを吸い込んだのだが、残っているのはもう堅い種だけだった。

 

「大丈夫です」とそのときすでに虫の息になっていたスイカマンが言った。「私は来年もまたやって来ます。鹿児島の畑で再生され、もう一度ここに戻ってきます。それは新しい私です。その頃にはあなたもきっと、今とは違う新しいあなたになっているでしょう」

 

そこでスイカマンは倒れた。彼の目はもう何も見ることはなく、口はもう種を飛ばさなかった。頭には割れ目ができ、そこから果肉を吸い取られた赤い空洞が見えていた。

 

 

彼の遺体は遺言に従って僕の実家の庭に埋められることになった。前に彼にその話をしていたのだ。

「母親が花を植えるのが趣味で」と僕は言った。

「それはいいな」と彼は言った。「死んだら肥料になって、何の役にも立たない可憐な花々を地上に咲かせたいものです」

 

 

そしておそらく彼は今、土の中で分解され、花を育てる努力をしているのだろう。きっと、細かく分解されたとしても彼の本質が完全に消えてなくなることはあるまい。僕はなぜかそのことについては確信を持っていた。彼はきっとその本質を再生させ、来年の夏にまた新たなスイカマンとして蘇って来るだろう。

 

しかし当の僕はといえば、まだ自分が新しく生まれ変わったとは感じられないでいた。来年また彼と会うときまで、なんとかまともな人間に変わっていたいものだ、と思い、あの果肉の味を――つまり彼の芯の味を――思い出そうとしたのだが、それはどうやっても不可能だった。それは、やはり味覚でしか感じたり、覚えたりすることのできないものだったのだろう。だから僕は彼のその他の部分を、少なくとも文章という形にして覚えておくことにした。そしてそれがこの覚書おぼえがきである。

 

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

2件のコメント

  1. 村山様

    お久しぶりです。毎月の更新を楽しみにしております。
    恐れながら村山様のお名前で検索などをしていました・・・(ごめんなさい)
    「ゆきのまち」おめでとうございます。これからも応援させてくださいね。

    1. 読書ぶらく(徳野碧)様。

      コメントありがとうございます。楽しみにしてくださっている、と聞くと、こんなものでもアップした甲斐があるというものです。

      ゆきのまち幻想文学賞については、「佳作」ということで、なんだか喜んで良いのか悪いのかよく分からないでいたのですが、とにかく「ゆきのまち通信」本誌に掲載されるということで、それはありがたいことだと思います。

      いずれにせよ、これからもっと精進しなければ、と思いつつ結構だらだらしていたりする毎日であります。

      応援ありがとうございます。

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