2023年、新しい年。

 明けましておめでとうございます。2023年です。まさかこんな年がやって来るとは誰が予想できたでしょう? まあみんなできたか・・・。とりあえず生き延びてさえいれば一月いちがつには新しい年がやってきます。それが自然のサイクルというものです・・・。

 そんな当たり前のことはさておいて、皆様はいかがお過ごしでしょうか? おそらくは明日以降の箱根駅伝に向けて、集中力を鍛えているのではないでしょうか? 僕もその一人です。応援している大学の選手にエネルギーを送り・・・そのライバルチームの選手からエネルギーを根こそぎ吸い取る・・・。必要であれば沿道のおじさんにテレパシーで信号を送る。突然大声を出せ! とか、踊り始めろ! とかですね。さすがに妨害行為まではやらせません(足をかけるとか)。おじさんだって地域社会の一員なのだから・・・。

 と、いうことはまあいいとして――何がいいんだか・・・――本当に新しい一年が始まってしまいました。心底あっという間だったような気がしますね。考えてみれば去年の二月以降、国際ニュースのトップはほぼウクライナ情勢で占められていました。あれは・・・どうも「閉じられた物語」のもたらした問題であるような気がします。もちろん細かい事情までは当然のことながら僕には分かりませんので、軽々しくは言えないのですが、それでも・・・。

 「正義」が独裁的な人物の頭の中で固まってしまったときに、「悪」はほぼ確実に外側に対置されることになります。その人物の物語を多数の人々が安易に共有すると・・・いささかおかしいことになってくる、と思う。バランスを取るのはおそらくは個人のコモンセンスです。自然な共感というか・・・。僕の中にも閉じられた部分はあるし、それは誰でもごく普通のことなのだと思う。自分を規定してしまうこと。相手を規定しまうこと。そのようにして精神の安定をはかること・・・。

 でも真実は、おそらくはそれとは違っているみたいです。良くも悪くも、ですが。世界は動き続けていますし、自分自身もそうです。昨日までの善が、今日は別の形を取っているかもしれない・・・。

 僕も西側諸国の提出する(いささか独善的な)物語が必ずしも「正しい」と思っているわけではないけれど・・・やはり今のロシアは――というかロシア政府の上層部は――バランスを欠いているように思えますよね。そして既成事実が事態をエスカレートさせていく・・・(お前らはミサイルを撃ち込んできたじゃないか? ロシア領内にも被害が出ているんだぞ! そして報復の連鎖・・・)。

「個人の倫理観」というものが結局は人々の心を救うのではないか、と最近感じ始めています。ただそれを実際の戦闘の場面で提唱したところで、果たして一人の人間に何ができるのか、となると・・・。無力感を抱かざるを得ない、ということもあります。しかしどうしても個人的な側面に僕は注目したくなるのです。番号が与えられていても、戦闘能力で価値が測られるとしても、やはりそこにいるのは生身の人間だからです。うーん。この辺はこれ以上安易なことは言えそうにありませんね。やはり実際に人が――双方で――死んでいるのですから・・・。

 僕個人の生活という点で言えば結構大きな変化がありそうです。もちろん一番の目標は文学賞を取って、小説家になって、悠々自適に――とまではいかないにしても――自分の力で、独立して生計を立てていく、というところにあると思います。この一年バタバタとアルバイトをしてきて、やはり特にそう思うようになった、というふしもあります。一方で三十一歳になってしまって・・・そろそろまともな大人になりたい、と思っている自分もいる。月々の生活費もギリギリで、さほど興味もないアルバイトに精を出して・・・かろうじてランニングと筋トレで健康は保っていますが・・・まだ十分な作品が書けたとは言えない(りもせずにまた賞には出しましたが・・・。はい)。フラストレーションをごまかすことはなかなか難しくなってきます。別に「正社員」になるのが悪というわけではない、という思いも沸々ふつふつと湧いてきている。これは歳を取った、ということなのだろうか・・・?

 結局責任のあるポジションに就かなければ面白い仕事は回ってこないわけで、時給いくらのアルバイトで生計を立てている間は、責任は逃れられるけれど、やはり下っであることには変わりありません。それだってそこから何かを学べると言えば学べるのですが・・・。うーん。一方でそんなのは地上のことじゃないか、と言っている声も自分の中から聞こえます。収入を得て、時間とエネルギーを会社のために使って・・・一見「まともな大人」に見えたとしても内的充実感というものはどうなるのだろう? 君はそんなところを目指していたのかい? 何のために東京に来たんだ? いったい?

 たしかにそうです。何か透明なものを目指して、僕はここまで生きてきたのだと思う。そして一日一日と経験を積み重ねてきた(大した経験でもないけれど)。それは確実に必要な過程だったと今では思います。人間として成長すること。自分もまわりも同じように不完全な生身の人間なのだと身をもって悟ること。閉じられた人間の中の、かろうじて開かれている部分を信じること・・・。

 一方で今の境遇に心底飽き飽きしている自分もいるわけです。同じ場所でもう六年半も働いてきました。。いくらなんでも長過ぎやしないか? 昇進できるならともかく、似たようなことを毎日毎日・・・。辛抱が必要だ、ということは自分に対して言い聞かせていましたし、なぜ僕がそのような生活に耐えられたのか、というと、もう諦めていたからです。アルバイトはアルバイトだ、と。そこにやりがいとか、人生の意味とか求めても仕方がないのだ、と。学べるものは学ぶべきだが・・・自分の活動の本質的な部分は「文章を書く」という行為そのものの中に宿っているのだ、と。

 それはたぶん間違ってはいなかったと思う。今振り返ってみても。

 一方で「小説を書く」という行為にはどうしても「材料」が必要になってきます。経験をそのままその通り使う、というわけではないにしても・・・いろんな場所で、いろんな人の――できればその人の不快な面を――観察をする、という行為が不可欠になってきます。それはこちらに来るまでは分からなかったことでした。俗世間に反抗していれば、それだけで価値のあるものが生み出せるのだと信じ込んでいたのです。でもそれは間違いでした。僕はやはりこの地上の世界において、いろんなことを経験しなければならなかったのです。たぶん、ですが・・・。

 そしてそういった観点から言ったときに・・・心底環境を変えたい、と思っている自分を発見したのです。僕はかなり執拗なルーティーンを設定して、これまで生きてきたわけですが・・・そろそろ飽きてきたのだと思う。新しい刺激を求めているのだと思う。ちょうど一月の末でまた営業が変わるので――営業が変わったところで業務そのものにはさほど変化はないのですが(なにしろフランチャイズのチェーンなので)――ここがいいタイミングだぞ、と「」が僕の耳元でささやいていたのであります。僕は始めの一週間ほどは彼を無視し、時には論理的にやり込め、罵倒さえしたのですが・・・彼はしぶとく生き続けていました(ニコニコしながらね)。「どうして俺のことそんなに躍起になって倒そうとするんだい?」と彼は言っています。「そのことからしてすでに、君は変化を求めている、ということなんじゃないのかい? 金さえ稼げればそれでいいのかい? 成長はしたくないのかい? 新しい場所を見たくはないのかい? え? どうなんだよ? 今がいいタイミングだよ。実に」

「でも」と僕は彼に抗弁する。「結局はバイトです。まだ正社員になるという勇気は持てないし・・・。そうなると、ある程度自由な時間というものが必要になってきます。小説を書くためです。あるいは音楽も作れるかもしれない。たしかに変化は誘惑的ですが、しかし・・・」

「君は怯えているのさ」と彼は言います(ちなみに彼は赤ら顔で、太っています。髪の毛は後退している。でも全然卑屈な感じはない。なぜか人生を楽しんでいるように見えてしまうのです。見た目よりもずっと優れた人物なのかもしれない・・・)。「慣れ親しんだ環境を離れるのを恐れる犬みたいに、ね。知らない人に会うのが怖いんだ。また新人からリスタートするのが怖いんだ。たしかに今のままでも生活費は稼げるよ。でもさ、経験はどうなる? 君は真面目に働いてきたんじゃないか? そういった姿勢こそが自分を助けるはずだと、辛いときに自分に言い聞かせてきたんじゃないか? だとしたらだね、その姿勢をそのまま新しい環境に持ち込んだらいい。結局仕事さ。それ以上でもそれ以下でもない。私だってそれは知っているよ。君の真の目的が精神を自由にすることだ、とも。まわりにあるのは今までと同じように閉じられた世界だろう。なぜだか分かるかい? ほとんど誰も〈システム交換〉なんてものはしないからだよ。みんなただ地上のことだけを見て、生きてきたのさ。しかし君は違う。地上で生き延びながら――真面目に生き延びている振りをしながら――何かを注ぎ込まなければならないのさ。それがうまくできたときにきっと、真のオリジナルな文章を書くことができるようになるんじゃないのかな? そのためには経験だよ。そして心の真の声を聞くこと」

「僕は・・・まあたしかにこれまで物事の形式に捉われすぎていたのだと思います。それはなぜかというと・・・中身がなかったからです。そしてその事実を認めるのが怖かった。今では空っぽであるというのがむしろ普通の状態であることを知っています。まあ前よりは、ということですが・・・。その中で・・・たしかに働きたくはないけれど、どうせ働かなくちゃならないのなら、ここから何かを学び取ってやろう、と思ってきたことは事実です。そしてそのためには安易に仕事を変えたりするべきではないだろう、とも。なぜなら・・・そんなことをしても救われないからです。どこに行っても結局一緒なんですよ。期待しすぎても仕方がない。自分にとって一番重要な作業は、自分一人でおこなうしかない。それは僕の場合文章を書くということなのですが・・・」

「でもたぶん君は君自身を疑い始めているはずだ、と私は思うね」とおじさん。「それが私には分かる。君は自分自身の自明性をちょっとずつ壊そうとしているんだ。それはもちろん建設的な破壊だがね・・・。動くべきでない、という意見も分かる。外側に何かを求めすぎても仕方がない、という論理も理解できる。しかしすべてはケースバイケースだ。意識にとっては〈退屈さ〉というものはなによりも害になることなんだ。分かるかい? そう考えるとだね、物事の形式よりもずっと、心の真の動きの方が重要になってくる。君の心は何を言っているんだい? ほら、耳を澄ましてごらんよ」

「ええと・・・」と言って僕は耳を澄ます。「僕の心はこう言っています。、と。なにしろ昨日夜勤だったんですから。誰もいなくて。臨時でね。まったく。六年ぶりに店で年を越しましたよ。何の感慨もなく・・・。まあそれはそれでいいんですがね。日勤よりは稼げるし。しかし夜勤明けの気持ち悪さは・・・きっと経験した人じゃないと分からないでしょうね。これは」

「私は分かるよ」と彼は言った。「若い頃に夜勤の警備をやっていた。ハッハ。幽霊と親しくなってね・・・」

「まあそれはそれとして、ですが」と僕は話を元に戻す。「僕の心はたしかに何か刺激を求めているみたいです。この六年と九ヶ月の経験を経てですね・・・僕は現実世界で生きていくための強さみたいなものを――少なくとも前よりは、ですが――身につけたのだと思います。もちろんまだまだですが・・・。こんなことに何の意味があるんだ、という思いと、いや、こういう細かいところこそが重要なんだ、という思いの両方が心を支配していました。そしてかろうじて走って、文章を書き続けてきたのです。それで・・・」

「それで?」と彼は言う。おなかをポリポリと掻きながら・・・。

「それで・・・そう。なんというのかな、少しだけ、人々との間にコミュニケーションを取ることができるようになった気がする。まだまだですが。もちろん・・・。それはやはり、、という認識に至る、一種のプロセスだったのではないかと思っています。これだけの歳月をかけなければ・・・そのことは理解できなかったと思うのです。僕は・・・」

「君はたぶん次の領域に進みたがっているんだと思うね。私は」と彼は言う。「それが正直な実感だよ。君の顔を見ての、ね。いいかい? 持っている力は発揮しないと腐って死んでしまうんだよ。そしてその方向を決めるのが意識の役割だ。つまらないつまらないと言って時間を潰している人生はもったいないじゃないか? どうせみんな死ぬんだ。それは事実だ。そして楽をして稼げる仕事なんかどこにもない。あるいはあったとしても、君は心底退屈してしまうだろう。そう、退だよ。君が求めているのは何だ?」

「何かを生み出すときのグルーヴのようなものではないか、と最近感じているのですが・・・。特にドクター・ジョンの歌声を聴いているとそう思うんです。彼は歌うことを楽しんでいますよね、実に」

「そう。透明なグルーヴさ。それに勝るものは何もない。それは金では買えないんだよ。実のところ。しかし、にもかかわらず、金がないと時間は買えない。安定した生活もない。君は現実的になるべきなんだと思うね。そしてその中で、長期的な観点で見て、価値のあるものを生み出していく。少なくとも自分自身にとって、ということだがね」

「そこに救いがあると?」と僕は訊く。「人生の救いが?」

「どうかな」と彼は言って笑う。「私には分からないよ。なにしろ〈いいタイミングおじさん〉だからね。都合のいい時にしか現れない。君自身が自分の人生を使って実験しなきゃ。そうすることによって初めて、本当ののある経験ができるんじゃないかな?」

「一つ訊きたいのですが」とそこで僕は言う。

「どうぞ」と彼は言う。「なんでも」

「だとしたら僕は何の仕事をすればいいんでしょうね? 実を言うとなんにもやりたくない。ただ自由になりたい」

「それは成り行き次第だろう」と彼は言う。「でも少しくらいは・・・自分の興味に沿ったものの方がいいんじゃないかな? どうせやらなくちゃならないのならね。それが現実さ。百パーセントの幸福なんてなかなか訪れない。嫌でもやらなくちゃならないことの方がずっと多い。私だってそういったことを数多く経験してきた。でもね、その中で、なんとか、自分の世界を保つこと。発展させていくこと。それこそが真の大人なんじゃないかな。だって泣いて文句を言ったところで誰も助けに来てくれないのだから。君は君の力で自分を発展させていかなくてはならない。もし精神を退屈さにからめ取られたくなかったら、ということだが」

「それはいささか孤独であるような気がしますね」と僕は正直な感想を述べる。「システム交換をしないで、すっぽり思考能力を預けてしまったらむしろ楽になることは知っています。その方が生き延びることは容易でしょう。しかし・・・やはり何かが僕を押し留めている。、と。そこにはもちろん個人としての姿勢が関わってくるのですが・・・。やはりプライオリティーは人の目につかないところに置いておかなければならない、ということなのでしょうか?」

「それはもう当然のことだ」と彼は言った。「それが大人になるということなのだから。真の大人に、ね。君は無理解をくぐり抜けて、生きていかなくてはならない。でも大丈夫だ。そのうちもっと強くなるから。そのためにはその環境を用意してやらねば」

「果たして僕とは何なんでしょうね?」と最近抱いていた疑問を彼にぶつける。「この歳になってさらによく分からなくなってきた。肉体はただの容れ物です。それはよく分かるのですが・・・。この論理的思考をしていると思っている僕は・・・何なんだろう? 記憶の中に、その自己理解のヒントが隠されているような気はするのですが・・・」

「その辺のことは私には分からん。フロイト博士か、ユング博士に訊いてみなさい。電話番号はあとで教えるから・・・。と、いうことで私はそろそろ消えるぞよ。いいタイミングおじさんはいいタイミングの時にしか現れないのだから。勇気を出して踏み出すことも時には必要なのさ。まああとは・・・ひたすら真面目に働いて、経験を染み込ませていくこと、なんじゃないかな? そんな気がするよ」

「でも狭い箱ですよ」と僕は言う。「そんな会社、ない方がずっといいかもしれない。より広い目で見れば」

「広い目で見れば地球だって別になくたって構わないのさ」と彼は真顔で言った。「火星も、太陽もね。金星もね。オリオン大星雲もね。ただそれだけのことさ。生きるという行為は不思議だが・・・しかし生きているのは君の心だ。精神だ。分かるかい? そのことを覚えておいた方がいいと思うね。最も小さいものの中に、重要な何かが含まれているんだ。たかが仕事。されど仕事さ。倫理的判断の根拠は、いつだって心の中にある。透明な、心の中に、ね。だからこそ・・・」

「だからこそ?」と僕は言ってみる。「何ですか? だからこそ・・・」

「いや、それ以上はやめておこう」と彼は意味しんな笑みを浮かべて言った。「それ以上は君が自分の経験から発見するべきことだ。そうしないと意味がないんだよ。実のところ。さあ、私はそろそろ行くぜ。身体が消えかかってきた。参ったな。まだ何も見届けていないのに・・・。まあなんにせよ、我々が地上で生きるという行為は基本的には利己りこ的なことだ。分かるかい? 自分勝手なんだ。みんな、ね。でもその中にバランスを求めることはできる。生と死と〈存在〉を理解する精神としてのバランス・・・。人間の文化は形のないものを目指してきたことの証だ。それが積み重なっているんだよ。実際のところ。形が残っていたとしてもなお、そこにあるのは形のないものだ。というかその記憶だ。サグラダ・ファミリアだって本当は形を持たないんだ。法隆ほうりゅう寺だってそうだ。分かるかい? ピラミッドもそう。『モナリザ』もそう。我々は生きていると同時に生きていない。でもやはり生きて、理解したいと欲している。我々は矛盾している。・・・」

 彼はそのままスッと消えていった。それがついさっきのことだ。まったく。僕は一人で部屋に取り残されている・・・。これからどうしようかな?

 まあそれはそれとして、今月の末くらいに、おそらくはほぼ七年ぶりに(正確には六年と十ヶ月ぶりに)実家に帰ろうと思います。まったく。計画では二年くらいで職業的小説家になっているはずだったのですが・・・。有給が取れるようになったことで、今回の旅行が実行できるようになったわけです。もちろんまだ先に問題が起こるという可能性はありますが(コロナとかインフルエンザとか。エトセトラ、エトセトラ)・・・あまり心配し過ぎても仕方がない。今の自分にとって故郷の町がどのように見えるのか、というのはいささか興味があるところではあります。あまり変わらないかな。夢ではしょっちゅう変形した形で出てはくるのですが・・・。

 想像していた三十一歳とはまったく違っていますが、一方でこんなものかな、という思いもなくはないです。いずれにせよなってしまったものはなってしまったんだから、ひとまずここにいる自分を受け入れて、その上でどこかに進まなければならない。進む「理由」は自分の中に隠していますが。もちろん。それでは。

P.S. またりもせずネットでDAZNを契約して、アメフトを食事中に観ています。やはりあれはいいですね。単純であり・・・なかなか奥が深い。高額の年棒で移籍したラッセル・ウィルソン(デンバー・ブロンコスQB)の不調を見ていると、いまだに四十五歳で現役を続けているトム・ブレイディ(タンパベイ・バッカニアーズQB)の凄さがよく伝わってきます。一方でマホームズ(カンザスシティー・チーフスQB)の能力の高さは相変わらずだし、ジョー・バロウ(シンシナティ・ベンガルズQB)もまた凄みを増しています。ただオフェンスばかりが注目されがちですが、やはりディフェンスの良いプレーがあると巻き戻してもう一度観てしまいますね。レベルが上がれば上がるほど、ディフェンスの重要度は増していきます。スター選手たちを支える縁の下の力持ちたちの奮闘もまた、アメフトを観ることの重要な楽しみとなっています。たしかに危険なスポーツではあるんですけどね・・・。いつか現地で生で観戦してみたいです(クラウドノイズはうるさそうだけれど・・・)。

 注:クラウドノイズとは、敵チームの意思疎通を邪魔するために、ホームチームの観客が一斉に大声を上げたり、フェンスを叩いたりして、騒音を発すること。それが大きいチームだと、ジェット機のエンジンの下にいるよりもうるさいらしい・・・。アメリカ人のエネルギーには驚かされます。本当に・・・。

 ちなみに真冬のグリーンベイで上半身裸になっている観客も見られました。雪が降っているようなところです。北海道並みの緯度です(調べてみたら旭川市よりも北にありました。寒そうだ・・・ブルブル)。グリーンベイ・パッカーズの観客は熱狂的なことで知られ、およそ十万人ちょっとの人口の街なのに、八万人収容のスタジアムが満員になります。この間その試合を観ていてびっくりしました。いや、本当・・・。日本人の駅伝好きもなかなかですが(プラス高校野球なんかも)、これはこれでやっぱりすごい。ここまで何かに熱狂的になれるというのも・・・一つの才能だと言えるのでしょうね。メジャーリーグでここまで満員になるというのも最近はあんまり見ないしな。まあ試合数が圧倒的に少ない、というのも関係しているとは思いますが(MLBはレギュラーシーズンで162試合。NFL〈アメフトのリーグ〉は17試合しかない。17。まあ激しいコンタクトがあるスポーツなので、それでも怪我人が絶えないのですが・・・)。この間ランニング中に、河原でフットボールを投げているどこかの大学の(たぶん)アメフト部の男の子三人組がいて、つい声をかけたくなってしまいました。どこのチーム応援している? とか(たぶんパッカーズだろう。そういう顔をしていたから。単なる予想ですが・・・)。おそらくアメフト好きはすぐに仲良くなれるような気がする。希望的観測、ですが・・・。余談でした。それでは。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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