桜が咲く季節になりました

 さて、三月も末になり、大分暖かくなりましたが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか? 僕は相変わらずさほど変わらない毎日を送っております。もっとも運動量をぐっと落としたせいで、おそらく体重は徐々に増えております(冷や汗)。なにしろお(なか)は減るんだよな・・・。まあその分書くことに時間とエネルギーを割いているわけではあるのですが。

 この一カ月半ほどで、なんとか400字詰原稿用紙250枚くらいのものを二作仕上げて、無理矢理新人賞に送りました。まったく。まるで機関車トーマスになったみたいに、ひたすら書き続けていました(というのもよく分からない比喩だな・・・)。果たしてこんな風にスピード感のみを重視して作品を書くというのが正しいことなのか、正直悩むところではありました。もっとじっくりと考えて書くべきではないのか? でもまあ、おそらくゆっくり書いたところでさほど大したものができるわけでもあるまい、という(なか)ば開き直った気持ちで書いていました。それに書いていないと落ち着かない、ということも事実です。あとはまあ、やっぱりこの状況を抜け出したいという気持ちかな・・・。なんだか賞のために書いているみたいで後ろめたい感じもあるのですが――本来もっと自発的に書くべきだと思っている――でもまあ考えてみれば、結局賞を取らなければその作品が日の目を見ることはまずないわけです。インターネット上で(今までのように)無料で投稿を続けることはできます。でもあくまでそれは結果としてそうなってしまっているのであって、決してそれで良いと思っているわけではありません。うん。僕としては、もちろん基本的には自分のために書いているのですが、やはりそれがどこかに――未来に――繋がってほしいという願望があるわけです。もちろんもっと成長しなければならないことは必定(ひつじょう)なのですが・・・それはそれとして、まあ今の自分にとって賞に出すことが第一優先になるのは仕方がない、と諦めています。と、いうことで、機関車のごとく、自らに石炭を注入しながら(これは食事のこと)、とにかくどんどん文章を書き続けていました。

 さて、僕は今年で30歳になるわけですが(30歳!)、なんとこっちに来てからもう5年が経とうとしています。四月からは6年目になります。まったく。まさかこんなに時間がかかるなんて、当時はまったく予想していませんでした。でもまあ、考えてみれば、今こうして五体満足できちんと生きていられる、ということに感謝すべきなのかもしれませんね。去年一年間は世間も大変だったでしょう。そんな中で、特に体調を崩すわけでもなく――崩しかけたことは何度かありましたが――書き続けよう(走り続けよう)、という当初の目標はまあ達成したともいえるわけです。もちろんもっと成長していたらよかったのにな・・・という願望はありますが、まあ現実は現実です。それを踏まえてなんとかやっていくしかない。

 それはそれとして、やはり5年もアルバイト生活を続けていると、その中で人間的な変化というものが起きてくるわけです。これはまあ、ごく普通に就職していたとしてもたぶん変わらなかったと思う。いろんな経験をして――たとえば失望をして――人は大人になっていくのでしょう。僕は自分が大人になったなんて口が裂けても言えないのですが、それでも少しずつ経験が溜まってきている、という実感はあります。どれくらい、と言われても困るのですが、まあちょっとずつです。それはたぶんどこにも消えることはないと思う。

 考えてみれば人間というのは不思議なもので、記憶を(かて)に生きているようなところがあります。少なくとも僕はそうです。昨日の自分と今日の自分に、かろうじて連続性があるとすれば、それは記憶のおかげでしょう。もし記憶が三時間しかもたなかったとしたら、僕はきっと自分が誰なのか分からなくなっていたはずです。もちろん肉体的な新陳代謝、という側面もあるのですが、それだけでなく、目に見えない精神の流れ、となると、まだまだ謎の領域が残されているのではないかと僕は考えています。たとえば人間の一貫性というものはどれくらい信用できるのか、とか。記憶はどれほど正確に記録されるのか、とか。表層意識の奥には何が潜んでいるのか、とか。

 とにかく、そう考えると、記憶と意識の関係というのは僕にはとても興味深いものと映るのです。自分自身に対してもそうだし、他人に対してもそうです。僕らは実は思っているよりもずっと不確実な基盤の上に立っているのではないか。そしてその事実を緩和するために――言いようによってはごまかすために――記憶が利用されているのではないか。でもそれは必ずしも悪いことではなくて、ときに我々の心を温めてくれます。他人と繋がるはずのないところで繋がったりもします。昔の小説を読んで、なぜか主人公の心の揺れが、今ここを生きている自分の心の揺れとリンクする。そういう経験は、まさにそういった記憶の普遍的な構造に起因しているのではないか、と、まあ僕は思うわけです。

 最近はなぜか漱石の『それから』を読み返していました。以前二回くらい読んで、本棚に放ってあったものです。フィッツジェラルドを大分読んでいたら、今度はなんだか日本のものが読みたくなって、それで漱石が目に入ったのです。30歳にもなって、親の金でのらくらと高等遊民的生活をしている代助の姿は、なぜか僕の心を揺り動かします。百年以上前の話で、舞台も明治時代の東京なのに、なぜだか他人事だとは思えないのです。それはまあ、その作品が優れているからこそなのですが――多かれ少なかれ、我々は登場人物に感情移入するわけだから――それでもそのコミットメントの具合がかなり個人的なものだ、という気がするのです。僕が一番感じたのは、彼は今ここに生きている、ということです。考えてみれば当たり前だけど、代助にしろ漱石にしろ、その瞬間を生きていたに過ぎなかったわけです。自分がいつ死ぬか、なんてことは分からなかったはずです。ちょうど今ここに生きている僕らと同じように。その事実を文章を通して直に感じ取ることができる、というのは、優れた文学にしか作り出すことのできない、一種の効能なのだと思います。僕らは――少なくとも僕は――『それから』を百年前の、自分とは関係のない物語として読むのではなく、まさに今ここに起きている事件として読みます。代助の感情を――あるいは平岡の、あるいは三千代さんの感情を――今ここにあるものとして追体験します。そこにこそ物語の真の意味が含まれているような気がするのです。物語の最後の方で兄貴に「貴様は馬鹿だ」と言われたときの代助の心情を、僕はありありと感じ取りました。ある意味では自分がそう言われているように感じました。でもそれはやはり、誰にでもできるというものではないのだと思う。夏目漱石という人の文章力が、そしてその人間を見つめる視点が、極めて普遍的であり(だからこそ現代にも生きているわけですが)、それと同時に、極めてパーソナルだからなのだと思います。彼は個人の内部に分け入ることによって、かえって普遍的な力を手にすることができたのです。そこで得られる力というのは決して固定されたものではなく、常に動いているものです。だからこそ百年以上もあとのテクノロジーの時代を生きている我々の――というか少なくとも僕の――心を揺らすのです。

 漱石という人はとても頭の良い人だけれど、あえて一種の(つたな)さを求めたようなところがあって、その謙虚さがとても好感が持てます。自信と慢心の壁は薄いものです。文章というものには、なかなかごまかしが利かないところがあります。だからこそ普段の生き方が大事になってくるのだと思います。意識が固定されてしまうと、文章もたぶん固定されてきてしまいます。そうなると何かにしがみつくか、あるいは権威主義的になるか、その両方か・・・。いずれにせよあまり幸福な結果には繋がらないでしょう。まあこれは一般論ではあるのですが。

 そういう観点からいうと、漱石の文章から感じる一種の風通しの良さ、というのは、今の時代にも十分必要とされているものなのだ、と感じます。様々な選択肢が増える中で、いろんな人がいろんなことを言っている中で、自分が何をすべきなのか。激動の明治時代にあえて(せつ)を守るべく奮闘していた――あるいは不器用に(おのれ)の道を貫いた――漱石の姿は、むしろ等身大の生身の人間の肖像として、僕の目には映ります。百年前の文豪とかではなくて、むしろその辺にいる人の良い、胃の悪いおじさん、というような。彼の透明な意識の流れを、僕はその文章を通して追体験することができます。それは誰が何と言おうと、素敵なことです。間違いなく。

 さて、昨日(3月30日、火曜日)はアルバイトが終わったあとに、一年以上ぶりに図書館に行って本を借りてきました。あまりにも長い間行っていなかったので、図書カードの情報を更新する必要がありました(まあ免許証を見せればよかっただけなのですが)。それは僕としてはかなり珍しいことです。大学に入って以降、ほぼずっと図書館に入り浸りの生活だったのですから。主に外国文学の領域ですが、まだ自分の読んだことのない物語がこんなにある、と思えるのはとても素敵なことでした。世界中の様々な作家たちが、エネルギーと時間を注ぎ込んで、何かを書いた。面白いかもしれないし、それほど面白くないかもしれない。それでもそこに活字として存在しているわけです。それはわくわくするような未知の世界でした。僕は――勉強する気のなかった僕は――その一部分に齧り付き、そしてその結果、就職もせずいまだアルバイト暮らしの身になってしまったわけです。まあそれはそれとして、僕が言いたいのは、ずいぶん久しぶりにそういった純粋なわくわく感を味わった、ということなのです。この一年はコロナ禍ということもあったし、とにかく文章を書くということに集中しよう(プラスランニングと筋トレ)と考えていたこともあって、他人の文章を読むという時間がそもそもなかったのです。それはまあ今も基本的には変わらないわけですが、最近ランニングと筋トレのノルマを緩めたおかげで、多少は読める時間が確保できるようになりました。第一の優先が自分の作品であることは言うまでもないのですが、それでも書き疲れたときなんかに他人の――それもできれば古い――作品を読むとなんだか心が(なご)むことがあります。次第に引き込まれて和んでばかりもいられない、という事態もしばしば起きますが。とりあえず。

 いずれにせよ、今日は日本の古いものが読みたくて、池澤夏樹さんが個人編集された日本文学全集第13巻(樋口一葉『たけくらべ』、夏目漱石『三四郎』、森鴎外『青年』が入っています。河出書房新社刊)、と漱石の『行人』(新潮文庫)を借りてきました。『たけくらべ』は前から読みたいと思っていたけれどまだ読んでいなかった。『行人』もまだなぜか読んでいなかったのです。まあそれはそれとして、そんなものを借りて、(かばん)に入れて外に出ると、なんだか心がほかほかした気分になりました。まだ読んでいない物語が、この中には潜んでいるのだ、と。みんな百年以上も前のものだけれど、そんなことは関係ありません。なぜなら僕に読まれようとしているのだから。

 そんな純粋な心の高揚は、ずいぶん久しぶりに味わったものでした。日々生きることに忙しくて――そして現在の状況を抜け出したいという(あせ)りで――ゆっくり文章を読むという習慣すらなくしてしまっていたのです。じゃあそれがすぐに復活するかといったら、なかなかそうはいかないと思う。やはり第一優先は自分のものを書くことだから。でも一方で、どこかで肩の力を抜いて、今生きることを――今書くことを、今読むことを、今聴くことを――楽しもうじゃないか、という姿勢もまたすごく大切であるような気がします。あるいはそれは歳を取ったことによって、ほんの少しだけまわりが見えるようになった、ということなのかもしれません。まだまだ先のことは分かりませんが。まあとりあえず前よりは。そしてそういった姿勢は――姿勢をしていくことは――おそらく僕という人間の人生を少しだけ前に進めていくことになるような気がしています。読書なんてただの娯楽じゃないか。音楽なんてただの趣味じゃないか。そう言われればその程度のものなのかもしれません。でもやはり、僕はごく個人的に、そういったものに楽しみを見いだす人間なのです。そこに生み出される心の震えのようなものを、僕は感じ取りたいのです。僕の中の何かがそれを要求しているのです。

 あるいは僕が自分の文章を書くことによって引き起こしたい効果、というのは、まさにそういうものなのかもしれません。賞を取ったところで、お金をもらったところで、自分自身をごまかすことはできない。起こらなかったことを起こったと言うことはできないのです。では何を起こしたいのか。つまり生きるということの震えです。グルーヴです。言葉は違えど、たぶん漱石もそう思っていたはずです。僕は勝手に、彼に背中を押されているような気が、『それから』を読んでいる間していました。そういうのはとても素敵な感覚です。僕は一つ一つ、そういった個人的な後押しを、記憶の底に溜め込んできました。目には見えないけれど――そして数字にも表せないけれど――確実に役に立つ記憶です。そのような基盤の上に(たぶん)僕という人間が成り立っているのです。

 と、いうことで、明日も頑張ります。とりあえず。

P.S. 最近は料理をしながら、You Tubeで大瀧詠一さんのラジオを聴いていました。山下達郎さんとお正月に毎年やっていた新春放談。僕は日本の音楽を食わず嫌いでろくに聴いてこなかった人間なのですが、この人たちのお話はとても面白いです。外国の(主にアメリカ・イギリス)音楽に心から惹かれながら、同時にそれを自分の中にインテイクしていく過程というのがとても興味深かったです。大瀧さんのユーモアのセンスも素晴らしい。山下さんは、何を歌っても山下さんの曲にしてしまいます。そしてバックのインストゥルメンタルのグルーヴ(グルーヴだけは自分で作り出すしかない)。専門的な話は正直分からないところはあるけれど(レコーディングの話など)、それでも聴き流しているだけで愉快な気持ちになれます。好きなことを追求していこうという姿勢と、ものを造り出す人間としての飽くなき好奇心。大瀧さんは晩年はあまり曲作りをされなかったみたいですが、それでもその一歩退()いた姿勢が、なんだかすごく温かみを醸し出しています(苔の話とか)。きっとすごくシャイな人だったんだろうな、と勝手に想像しております。ちなみに大瀧さんは岩手県の出身で、そのあたりもまた僕が勝手に個人的なシンパシーを感じているところであります(僕の実家は岩手に近い宮城の外れなので)。あんな田舎から――といっては失礼かもしれませんが、とりあえず――こんな人が出てきたなんて・・・。大瀧さんは自分のことをエルヴィスを見いだしたサム・フィリップスになぞらえていました(冗談交じりで)。大瀧さんのサン・スタジオたる福生(ふっさ)45スタジオがある福生は(正確には隣の瑞穂(みずほ)町みたいなのですが)、僕の住んでいる街からもさほど遠くないです。まあそれはそれとして、なんだか個人的な関心を持って、彼の話を聴いていました。何かを生み出すという行為は、たとえそれがいくばくかの苦悩を伴ったとしても、それ自体が大きな喜びなんだな、と勝手に解釈しております(大瀧さんの作る曲の中には、いつもユーモアのセンスがあります。その一方で、彼の歌声には紛れもない哀しみの影のようなものが含まれている気がする。その背反性が大きな魅力になっている・・・気がします)。まあそう思って自分を励ましているところもあるのですが。

〈さらなる追記〉 この間のヤクルト対阪神の二回戦(3月27日、土曜日、神宮球場)で、先発の田口投手が打たれたあとに、我が宮城県の無名の公立高校(岩出山(いわでやま)高校:〈注〉僕の出身校ではない、けれど、結構近いところにある)出身の今野龍太投手がナイスピッチングを披露しました。三回にまたがって投げ、無失点。ストレートが走っていました。解説の藤川球児さんが褒めていましたよ。140キロ台半ばだったけれど、たしかに質の良いまっすぐでした。外国人選手も振り遅れていた。コンパクトなフォームから、小柄な身体にもかかわらず、伸びの良いボールを放ります。彼は2013年のドラフトで、東北楽天から9巡目(一番最後です)で指名された投手で、その後育成契約を結びました。楽天時代には少ししか一軍で登板することができず(二軍では結構頑張っていたのですが)、2019年に戦力外通告を受けました。ヤクルトがすかさず彼を拾い(というか戦力になると思って契約し)、昨年は負けパターンが主ではあったものの、それなりに良い成績を残しました(20試合登板。防御率2.84)。今年はさらなる飛躍を予感させるシーズンとなっています。正直なところ完全な贔屓(ひいき)目なのですが、自分と同じような田舎から(というか岩出山といえばすぐ隣である)出てきて、こうしてプロの世界で頑張っている姿を見ると、単純に勇気づけられます。高校だって有名な私立ではなく、たしか部員もかなり少ない状態の、無名の高校です。故星野仙一監督が「面白い」と評価したことで契約が決まった、ということですが、9巡目から這い上がってくるのは並大抵のことではなかったはずです。たしか膝の怪我もあった。プロでどこまで活躍できるのかは分かりませんが――まさにこれからが正念場ですね――とりあえず僕は勝手に応援しています。こういう、まだ有名ではないけれど、個人的に応援したい選手がいるというのも、プロ野球観戦の一つの大きな楽しみだと思います(もう一人僕が勝手に応援しているのは――NFLですが――ニューオーリンズ・セインツの控えクォーターバックだったテイサム・ヒル選手。 フルバックを務めたり、スペシャルチームにも参加するなんでも屋で「スイス・アーミーナイフ」の異名を取る。でもその話をすると長いので割愛)。そのうち勝ちパターンで投げる日も近いぞ、と僕は信じております。頑張れ今野選手。僕もまあぼちぼち頑張ります。それでは。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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