新しい生活

注:これはnoteに先に出した記事なので、このサイトでいつも読んでくださっている皆様には既知の情報が含まれていると思います。どうか悪しからず・・・(読み飛ばしちゃってください。その部分は)。

と、いうことで新しい生活です。僕は今年で32歳になりますが——秋まで生きていたら、ということですが、もちろん——いまだにアルバイト生活を続けています。しかしまあ、今までとは場所が変わっている。生まれ故郷に近い、仙台に帰って来たのです。

自転車で帰ってきたくだりはまあそちらの記事でお読み頂くとして(『東京から仙台まで、ママチャリで帰る』)とりあえずそれ以降のことを語りたいと思います。個人的なものごと。

だからまあ、大して重要なことが書かれているわけでもないです。この記事は。一種の日記のようなもの。それでもなお、すべての人間が個人的な人生を生きているのだ、という観点に立てば、あるいは孤独を癒す助けにはなるかもしれない。それが正しいかどうかはともかく。うん。

7年間東京の八王子市で、アルバイトを続けながら作家を目指してきました。いろんな賞に応募し、ごく稀に最終選考に残ることはありましたが(どれも地方の文学賞でしたが)、結局は賞は取れなかった。もちろんそのときには落ち込むのだけれど、長い目で見るとまあそれはそれでよかったのかもしれない、という思いもある。というか下手に最初の段階で評価されない方が自分にとってメリットが大きかったんじゃないか、とさえ思う。当時はなんとか早くこの境遇から抜け出したいと、そればかり考えていたのですが・・・(実は今だって同じことを考えている。まったく)。

メリットが大きかったんじゃないか、というのはつまり、あまり早い段階で「守り」の態勢に入ってしまうと、きっとそのあとが続かなくなるだろう、という意味合いにおいてです。結局のところ、僕が書いていたのはかなり未熟な「試作品」たちであったわけで、その段階ではまあ多少面白いとは思ってもらえたとしても、まだデビューするまでには至っていないわけです。それはまあ自分でもよく分かっていた。だからさほど悔しい気持ちにもならなかったのだと思います。というか悔しがっている暇があったら、少しでも自分を鍛えよう、という方向に意識が向かっていた、というか。

それにまあ、まず受賞した他人の作品を読む、ということもないわけですが(悔しさもあるけれど、それよりも純粋に興味が持てない、ということの方が大きい)、たまに何かの折にふとタイトルなんかが目に入ることがあって、これはすぐに「頭で作った作品だな」と分かってしまう、ということがあります。あるいは僕は自分の感性を過信しているのかもしれない。でもきっとそうだろう、という予感がある。まあ新人が書いたものなんて、大抵その程度さ、と言えばその程度なのかもしれませんが(きっと僕が受賞したとしても同じことを言われるのでしょうが、それはまあ仕方ないとして・・・)・

僕が言いたかったのは、やはり僕は自分が真に納得できるものをまず生み出さなければいけないのだ、ということです。地上のレベルと地下のレベルというものがあって——少なくとも僕の中には、ということですが——地上のレベルにおいては、賞を取って、経済的に豊かになって、そして一人で集中して自由にものを書きたいという欲望があります。決して他人に褒められるために書いているわけではないのだけれど(たぶん個人的に気持ち良くなるために書いているのだと思うのだけれど)、賞を取って、本を売って、いくばくかの金額を稼ぐためには、やはり一定数の支持者というものが必要になってきます。しかしインターネットだけではすぐに埋もれてしまう(プラス、まだ実力が足りない。それはよく分かっている)。賞には落ち続けている・・・。

それはフラストレーションが溜まる状況なのですが、まあそれはそれとして・・・もう一つ、地下のレベルというものがあります。というか精神の●●●レベル、というか。それは僕の個人的な領域の話です。大学卒業後に、就活なんか一切やらずに、実家でウジウジしていた、まさにあのときの僕が必要としていたものごとについてです。そう、それはたぶん精神的なグルーヴのようなものだと思うのですが・・・。あるいはこの十数年間、ずっとそれを求めて足掻あがき続けてきたのではないか、という気さえしているのです。個人的な充実感のようなもの。うん。

結局のところ言葉で言えば、ほとんど一行で済んでしまうようなものです。「オリジナルになって、自由に文章を書く」。まあそれだけのことです。もちろん文章のところを「音楽」に置き換えてもいいし、「絵」にしても、「ダンス」にしてもいいわけです。方法なんかなんだっていい。そこに自分なりの必然性があれば、ということですが・・・。

それはある意味では、自分を治療しようとする一つの試みなのだと思います。僕はこの7年間、バイトをしながら、様々な人々を観察してきたわけですが(それは意図しておこなってきたことでもあります。はい)、実はすべての人間が、潜在的には何かを求めているのだと思う。精神的な、透明な何かのことです。それは数値では測れないが・・・やはり人間の心を底の方から温めてくれるものです。生きているという実感を与えてくれるものです。あらゆるドグマから解放されたものです。「自由」。まあ一言で言えばそうなるのでしょう。でもほとんどの場合(95%くらいの割合において)、人々は意識的には自分を自由にしようとはしません。本来持っている——子供の頃は自然に表出していた——「自分」なるものを、むしろ「正常さ」の枠組みに押し込めて、不安から目を逸らそうとします。この僕だってやはりそうなのです。きっとそれが精神にあらかじめインプットされた「安全装置」なのだろうな、と考えるに至りました。その、観察の結果ですね。はい。

しかし、どこかの時点でその「安全装置」を脱出しなければならない人種もいます。僕がそうだと勝手に自認しているのですが・・・。そういった人間は、地上ではない精神のレベルにおいて、自分の「本心」を納得させる行動を取る必要があります。世間的に「善」だと思われていることを踏襲しているだけでは足りないのです。あるいは「悪」の領域に踏み込んでいく必要さえあるかもしれない・・・。精神を自由にはしたいけれど、あの人の意向に逆らいたくない、というのはよくある状況です。我々の多くはフィクションの内部で生きているわけですが、大抵の人々がその事実に気付いていません。善が固まり、悪もまた固まっていきます(当然自分たちは「善」の側にカテゴライズされることになる)。他人の批評をしている間、我々は自分自身を棚に上げておくことができます。まるですべての悩みを解決済みの賢人みたいに・・・(実は今この瞬間の僕自身もそんな感じなのですが。他人のことばかり語っている。時間は刻一刻と過ぎ去っていく。チクタクチクタク・・・)。

結局そういった状況から抜け出すには、今ここ、という一点に深く集中するほかないわけです。というか僕はそう信じて今までかろうじて生きてきました。もし人生というものに「救い」があるのなら、そこにしかないのではないか、と。勘違いされる方が多いのですが、我々のような人種(「火星人」と僕は呼んでいるのですが)にとっては、肉体的生存はただの手段に過ぎないわけです。ただ平和にのうのうと生きているだけでは足りない。ボーナスを期待して、会社に勤めて(会社に勤めるのが悪というわけでは決してありませんが)、一日のうちの大半を犠牲にする。家族と旅行に行く。同僚と飲みに行く。エトセトラ、エトセトラ・・・。それだけでは足りないのです。自分自身にとって価値のあることをやらなければならない。でもそれはいったい何なんだろう?

それはもちろん個人によって違ってきます。僕とあなたは違うし、あなたと僕は違うからです。まあ当然のことですが・・・。プラス、そのときの「僕」という言葉で言い表される領域は、いったいどれほどのものなのか? 僕は思うのですが、大抵の人々の自己理解は固定されてしまっています。そこが問題を引き起こすのではないか、と。僕自身もきっとそうですが、人間というのは——肉体という容れ物に注がれた精神の部分ですが——目に見えない領域に、実に多くのものを含んでいます。特に歳を取るにつれて、我々はきっと膨大な量の記憶を脳の奥深くに溜め込んでいくのでしょう。それらのいくつかを使って、夢は意識にメッセージを送ってきます。ほら、こんなものもあったよ。こんなものも。こんな奇妙なものも。こんな血生臭なまぐさいものも・・・。

しかし夢は夢です。おそらくはこの7年間——というか正直なところ物心付いてからずっと——僕に欠けていた姿勢というのは、今ここを生きること、だったのではないかと思っています。今ここを、地上のレベルにおいて、生きること。どうも自分の夢を分析するに——大した分析もできないのですが、まあ実感として●●●●●、というくらいの意味です。はい——そんな気がしてきてしまうのです。最近は、ということですが。

僕は一人で自分の道を進むのが怖くて怖くて仕方がなかったのだと思います。だから「オリジナルである」と思い込んでいるときですら、誰かの振りをしていた。キョロキョロとあたりを見回して、そろそろと足を踏み出して、他人に非難されないかと怯えて・・・。それでは決して自由になることなんかできませんね。当然のことながら。でもまあ、経験というのは貴重なものでして、特に僕のような非天才にとってはなおさらです。別に天才である必要なんかないわけです。ゆっくりどこかに向けて進み続けてさえいれば、ですね。問題はその方向が●●●自分の中心に向かっているのか、ということです。自分としてはなんとかそこを目指してきたとは思っているのですが・・・。

と、いうことでまあ環境を変えて仙台に戻ってきたわけです。単純に生活費を抑えるという意味もあるし、心のどこかでは、自分のルーツに近い場所に戻ることによって(故郷は栗原市というもっと北の方にある市なのですが)、もう一度一から自分を見つめ直すチャンスを得られるんじゃないか、と感じていた部分もあります。まあ正直に言えば、自分のルールさえきちんと定めてしまえば(きちんと運動をする。バイトをする。書く。書き続ける●●●)場所なんてどこだっていいのだ、というのが本当のところなのですが・・・。

でもまあ、僕は生身の人間で、機械ではありません(たぶん)。だとすると、記憶というものが重要な意味を持ってくるはずです。感情だって持っている。いくらシステムさえ作ってしまえば一緒だとはいっても・・・場所から受ける影響というものはあるわけです。確実に。まあ今のところはそれをよりポジティブな方向に持っていきたい、と考えているというわけです。

きっと作家になれず30を越えてしまったことによって、自分でも予想していなかったほど、内心では落胆していたのでしょう。たまたま●●●●賞が取れなかっただけで、決して「成長していない」というわけでもなかったのですが・・・。まあ短絡的というか、若いというか、なんというか・・・。

でも少しだけ気持ち的には持ち直してきています。新しい生活に慣れ(ている最中ですが、実のところ)、新しいランニングコースを設定し、新しい景色を自分の中にインプットして・・・そしてもう一度自分自身と向き合おうとしています。正直なところ今までの二週間ほどは、引越しの手続きやら何やらでゴタゴタし過ぎていて、到底集中できる、という状態ではありませんでした。でもようやく落ち着きつつあります。お金はないからかなり節約しなければなりませんが・・・まあ実家からたまに米・野菜も送ってきてもらえるし——あるいは何かの用事の際に持ってきてもらえるし——その辺を有効活用すれば食っていくことはできるでしょう。東京と比べて最低賃金が安いのがネックではありますが・・・(だって900円もいかないのだよ。まあ昔はもっと安かったわけですが・・・)。

プラス、東京を出てきた理由の一つに、「東京にいるというだけで何かをしているという幻想を抱くのはやめようぜ」と思った、ということがあります。なんとなく文化の(そして経済の)中心地である東京にいることで、自分は何か特別なことをやっているのだ、という気分になってしまう人はいると思います(多い●●どうかは分からないけれど。少なくとも僕はそうだった、ということです。はい)。まあ僕の場合、故郷を離れて、いろんな土地から集まってきた、本当に様々な性格の人々と触れ合う、という経験そのものが財産となった、ということはたしかにあるのですが・・・。

7年経って、そろそろ移動する頃合いかな、と思ったのは事実です。もちろん作家になれていたら言うことはなかったのですが・・・。それでもまあ、ある状況をポジティブに利用すること。それこそが作家の使命じゃないですか。ドストエフスキーは僕と同じくらいの歳のころにシベリアに流刑囚として流されていたのです。彼はその経験を元に『死の家の記録』という作品を書き上げました。インテリと非インテリとの隔絶が非常に大きかった時代において、政治犯として流され、否応なく民衆と触れ合わざるを得なくなります。でもその経験において、彼の人間理解は深まったのだと僕は解釈しています。たぶん表面的な言葉の違いとか、身分の違いとかを超えた、もっと地べたに根差した生身の人間としての自然な共感を得ることに成功したのだと・・・。あの本も実はずいぶん前に読んだきりなので、そろそろ読み返したいのですが・・・それはともかく。はい。

僕に関して言えば、ここで一旦状況をリセットして、シンプルに自分自身と向き合いたかったのであります。もちろん真の望みは、作家として独り立ちして、またどこか別の土地に旅立っていくことであります。ここが嫌いというわけではなくて、純粋にいろんな場所を見て回りたいのだと思う。いろんな言葉を聞きたいし、いろんな人の顔を見たいのだと思います。外国にだって行きたいし・・・。

そのためにはまず、自分自身とのつながりを確立する必要があります。これが言葉で言うほど簡単ではないという・・・(簡単だったら僕は今ここにいないと思う。もっとリッチな生活を送っていたはずだ)。まあでもなんとかやってみるほかないでしょう。だって目指すべき場所はそこしかないのだから。より自分自身になることより自由になること。うん。

しかしまあ感覚的にはちょっとずつ分かりかけてはきています。要するにそれは・・・回転する歯車のようなものです。大きな、しかし、透明な歯車。それが僕の中心にあって、決して動きを止める、ということがありません。こう、書いていると・・・それがグルグル回っているのが分かる。僕がすべきなのはそのスピードを落とすことなく、その「動き」そのものを、言葉に変換していくことです。それは大抵の場合・・・論理的なステートメント、という固定された容れ物には入りきらないものです。というか入ったとしても、本質が抜け落ちてしまっているのです(ちょうどこの文章みたいにね)。だから別の形に変える必要がある。それは・・・経験です。体験です。別の言い方で言えば・・・物語●●です。はい。

あるいは音楽や、絵もやるかもしれない(そういう気分にだんだんなりつつあるから)。でもまあ時間もないし、文章に専念することになるかもしれない。それはまあ成り行き次第です。いずれにせよ、この仙台の街で、なんとか自分自身と向き合っていきたいと考えています。ランニングコースには田んぼがあり、水路があり、畑があり・・・都会ではあるのだけれど(住んでいるのはまあその外れですが)、僕の実家の田舎の景色を思わせるところがあります。近所の家の庭に停められたトラクターとか・・・。楽天イーグルスの帽子をかぶっている子供が多いのも、今はまだ新鮮です。区役所のお姉さん方も、ちゃんと仙台なまりでしゃべっていた(これは可愛らしかった)。僕は宮城県のもっと外れの、かなりの田舎の出身なので、そこからすると当時は仙台は「大都会」でした。だからあんまり訛っているとも感じなかった(僕の実家近辺の方がたぶん訛りが強い)。でも東京から戻ってきてみると・・・やはり若い人たちでさえイントネーションが違っている。ああ、仙台ってこんなにローカルだったんだなと(これは決して悪口ではなくて、良い意味で言っているのですが)、初めて認識した次第であります。僕としてはその「ローカルさ」をむしろ消さずに生かしていった方が、仙台としてのオリジナリティーを維持できて素敵だとは思うのですが・・・(なんでも東京にならう必要はない。あそこでだって生きているのはごく普通の一般市民なんだしね)。まあそんなこんなで、いろんなことに驚きつつも、たぶん慣れてきたらほとんどなんとも思わなくなってしまうのでしょう。八王子のときもそうだったように・・・。

まあもう一つ僕が実感しているのは、「灰色の退屈さ」からはどこまで行っても逃れられない、ということです。東京にいたって、おそらくはニューヨークにいたって、きっと一緒です。灰色の退屈さ。結局はこれが一番の敵なのかもしれない、とさえ思うことがあります。我々は退屈を埋めるために、いろんな奇妙なものごとにしがみつくのです(安易な心理学ですが)。だとしたら、まあ東京にいたって、ニューヨークにいたって、仙台の外れにいたってやるべきことは一緒です。自分を動かすのです。どのように、かは人によって当然違ってくるわけですが。それでも。

P.S. 結局レイモンド・カーヴァーが書いていたのは、そのような灰色の退屈さに絡め取られた人間たちの、心の震えのようなものだったのではないか、と僕は思っています。本人たちでさえ気付いていないところで、やはり感情の震えが起きている。アメリカの田舎町はきっとさらに規模が大きくて、さらに「物哀しさ」もスケールアップしているのかもしれませんが・・・。でもまあ東京にいたところで、そこで生きている人たちの顔をよく観察してみると、やっぱりどこにいたって一緒なんだな、ということは分かってくるような気がする。生活のスピードも、金銭感覚も、ファッションも、何が正しいのか、というモラルの判断も・・・まあ厳密に言えば結構違っているのでしょう。でも人の心が深いところで抱えている哀しみ、というようなものに関しては・・・あまり変化はないような気が、僕にはしています。人間は歳を取るにつれて、やはり人生に飽きてきてしまうものなのかもしれない。一概には言えませんが、どうもそんな気がしているのです。だとしたら・・・積極的に、こちらからアクションを起こすしかない。外に期待しているだけでは駄目です。それでは他人から与えられた「物語」になってしまうからです。もしこの短い人生を充実したものにしたいのなら・・・たぶん、自分のために動くことのできる領域と時間とエネルギーを、特別に用意してやらなければならないのかもしれませんね。でもまあ、僕は他人のことをあれこれ言っている場合ではないのだった。自分のことをやらなきゃ。それでは・・・。

と、言いつつさらなる追記:まあ僕がこのような抽象論で書いたものごとも、結局は優れた音楽を一度聴けば、もうそれで言いたいことを代弁してくれる、というところがあるわけです(優れた小説でも、絵でもいいわけですが。とりあえず)。ようやくインターネットがつながって、ネットラジオで色々聴けるようになって(通信料を気にしてあまり使っていなかった。この二週間は。使い放題プランではないのです。はい・・・)あらためて思ったのは、「やっぱり音楽っていいな」ということでした。基本的にピーター・バラカンさんの番組ばかり聴いているので(プラス月一の「村上ラジオ」と細野晴臣さんの「Daisy Holiday」。あとは渋谷陽一さんの「ワールドロックナウ」)、かかる曲は古い洋楽がほとんどなのですが・・・。「オリジナルになる」とか、「精神的充実」とか、七面倒くさいことは言わずとも、リズムに合わせてシャウトすればいいわけです(ちょうど亡くなったティナ・ターナーの特集をやっていた)。まあシャウトしなくたって、自分にとって自然なやり方で歌えばいいわけです。ああ、そういうことか、と膝を打ちながら(これは比喩ですが)、僕は身体の奥の方で納得することになります。この人たちは気持ちよく歌うこと以外何も考えていないよな、と。俺もそれでいいんだ。今この瞬間、気持ちよく文章を書こうじゃないか。そうすれば・・・その気分を共有してくれる人も現れてくるかもしれない。どこかには・・・とにかく。

そういえば先日の「東京→仙台間」のママチャリ旅行のことをメールにしたためて送ったところ、めでたくもピーターさんに読んでもらえました。6月4日(日曜日)放送分の、interfm、”Barakan Beat”においてです。最後から二番目の曲でかかりました。19時50分くらいかな(リクエストはトム・ウェイツの”I don’t wanna grow up”)。これはまあ良いことの先触れだぞ、と自分に都合よく言い聞かせながら、新しい文章に取り組むところです。それでは。おやすみなさい。良い夢を。

村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

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