「ああ寒い!」とサンタクロースは言った。「一体なんでよりによってこんな日に、こんな場所で座礁してしまうんだろうな・・・。きっと地球温暖化のせいだろう。そのせいで時の氷河が溶け出して、わけの分からないところにニョキっと飛び出ていたんだ。なあジェームズ(これはトナカイの名前である)。君もそう思うだろ?」
「ヒンヒン!」(同意の意味)
「そうだよ。そうだよ。分かっている。私たちも歳を取ったが、さすがにまだ仕事はこなせる。まったく・・・。いや寒いな。道にだいぶ雪が残っている。数日前のものだな。きっと・・・。なあここはどこだと思う? 見たところ東洋みたいだけど・・・。中国かな」
「フンフン!」(否定の意味)
「じゃあどこだよ? タイには雪は降らないぜ」
「ヒッヒフー!」(あんた馬鹿じゃないのか? の意味)
「馬鹿とは何だ? 誰が餌をやっていると思うんだ?」
「フヒフヒ! フー!」(よくまわりを見てみな、太っちょ、の意味)
「いいか? 私は太っていない。ただちょっとふくよかなだけさ。イメージを保つために・・・。ああ、そんなことは別に今はいいか・・・。ええっとまわりを見ろって? でも冬の寒い日の早朝で、お日様はまだ出ていなくて、アスファルトの道が続いていて・・・。なぜか兵隊たちがコソコソと行進している・・・。みんなおっかない銃を持っていて・・・。こいつら何をやっているんだ? サバイバルゲームでもやるのか?」
「フッフー! ヒー! シャカシャカ(鈴の音)!」(あんたとことん馬鹿だよ、の意味)
「なんだと? まったく、恩知らずめ。帰ったらトナカイ鍋にして食ってやるからな・・・。と、なんか一人の兵隊がこっちにやって来て立ち小便をし始めた。分厚いコートを着ているな・・・。ねえ、お兄さん。ねえ!」
「おお! なんだ急に! あ! ちょっとコートにひっかかったじゃないか! なんだ貴様は! 我々は今大事な任務に赴くところなんだ。急に話しかけたりするな!」
「いやそれは分かってはいるんですがね・・・。ところでここはどこですかな?」
「ここは永田町だ。東京だ。なんだ日本語を話していると思ったら、西洋人じゃないか? こんな大層な髭を生やして。なんとまあ怪しいことか。これは栗原中尉に注進に及ばねば。中尉! 栗原中尉!」
「いや、ちょっと待ってって。東京ってことは日本だったんだな・・・。でもどこにもミニスカートの女子高生がいないぞ・・・。話に聞いていたのと違う・・・。まあこんな時間だから無理もないか。しかしどうも時代が現代とは違っているような気がする。こいつらみんな時代遅れの格好しているもんな。ねえお兄さん。ちょっと御注進に及ぶのはあとにしてさ、今がいつなのか教えてくれないかな?」
「今がいつなのか分からないだと? ますます怪しい。格好だけでなく、頭もおかしいときている。さてはスパイだな? はっは。分かったぞ。その大きな腹の中には爆弾が隠されているんだ。我々の計画を察知して、統制派が送り込んできたんだな? これはいいや。傑作だ。奴らがこんなに馬鹿だったなんて。普通はもっと分からないように送り込んでくるものだが」
「いやいや。このお腹は正真正銘の私のものでございまするぞ。ワインに牛肉にバター。お菓子に魚にソーセージ。ときどき日本酒。いろんなものが混ざってこの脂肪を形作ってござる。医者には痩せろと言われていますがね、私はこれは一種の実験だと思っているんです。人間はいかに不健康に長生きできるのか、とね。そう考えれば、人類の偉大な先駆者とも言えるわけです。なにしろもう二千年近く生きているのですから」
「また戯言を! おい! こら!」(と言って近くに待機していた別の兵士を呼ぶ)「こいつを見てみろ! まるで雪だるまみたいに太った白髭の西洋人だ。真っ赤な服を着ている。流暢な日本語をしゃべるが、内容はちんぷんかんぷんだ。きっと統制派が送り込んだスパイだろう。栗原中尉を呼んでこい!」
でもその兵士は――おそらく東北の農村出身の若い下っ端の兵士なのだが――ぽかんとした顔で、彼を見つめている。まるで何も聞き取れないみたいに。目はサンタクロースのあたりを彷徨っているのだが、焦点が定まっていない。あたかも夢をみているかのようだった。「雪ちゃん・・・」とその兵士は言った。
「おい! 目を覚ませ! お前の雪ちゃんはいない! お前の雪ちゃんは売られたんだ。借金の形にな。いいか? だからこそ今日この計画を成功させる必要があるんだ。分かるか? 統制派のエリート将校たちはお前たちの窮状なんてなんにも知らないんだ。食う物に困ったという経験がないからだよ。分かるか? 目を覚ませ! ほら!」
「雪ちゃんはいないけど雪なら降りそうだね。あと数時間もすれば・・・」とサンタは言った。「いいかい? 私は特殊な人間でね。まあ実を言うと正確には人間じゃないんだ。抽象概念みたいなものさ。だからみんなに見えるってわけじゃないのさ。特殊な心の交流があったときにだけ、会話を交わすことができる。私が日本語をしゃべれるのもそのためさ」
「また戯言を!」と彼は言ったが、その目は明らかにうろたえていた。一時待機していた兵隊たちが、またどこかに向けて歩き始めた。彼はどうしようか迷っている。「じゃあ本当にスパイじゃないんだな?」
「スパイじゃないよ」とサンタは言う。「ただ空を飛んでいたらさ、時の氷河にぶつかって、座礁しちまったんだよ。うちのトナカイが無能でね」
「ヒヒン!」(無能とはなんだ! の意味)
「おお! よく見たら謎の生物が・・・。鹿でもないし・・・。こいつもやっぱりスパイじゃないのか?」
「フンフンフン! ヒッヒ! ヒッヒ!」(そんなわけないだろ。頭を使え、馬鹿! の意味)
「馬鹿とはなんだ! というかなぜかこの動物の言葉が分かるという・・・。私はどうしてしまったのだろう・・・」
「それで、答えてはもらえませんかな? 今がいつなのか」
「今は昭和十一年の二月二十六日だ。そして我々の大事な計画を遂行する日でもある。だから邪魔しないでほしいんだ」
「なるほど・・・。西暦で言うと・・・」
「一九三六年」
「トマス・ピンチョンが生まれる前の年か・・・」
「なんだそのトマスなんとかというのは?」
「まあいいさ。あんたにはポストモダン文学は分からんよ・・・。いずれにせよウィキペディアによれば(と言いながらスマホをいじる)、日本がずぶずぶの戦争の泥沼にはまり込んでいく直前の時期ということになるな。まったく。あんたら自分が何をしようとしているのか分かっているのか?」
「世を正すのさ。そして本当に天皇陛下のために尽くす。そのために今の内閣を潰す必要がある」
「岡田首相は死なないらしいぜ」
「まさか。我々はやり遂げるさ」
「殺したと思ったら人違いだったのさ。まあとりあえずさ、よく頭を使ってみなよ。結局一緒なんだって。君たちもその部下も、都合良くシステムに利用されているだけなのさ。武力でものごとは解決しない。よりひどくなるだけだ。君たちは感情を持たない歯車として利用される。あんた自分の運命を知りたくないか?」
ゴクリと唾を呑み込んだのが分かる。「あんたにはそれが分かるのか?」
「分かるよ。実のところね。時空を行ったり来たりしているのだから」
「私は・・・知りたくない。なぜなら、なぜなら・・・」
「怖いから?」
彼は正直に頷いた。「何が起こるのか分かってしまったら、きっと頭が狂ってしまうだろう」
「その男はすでに狂い始めているみたいだがな」と言ってサンタクロースはさっきの若い兵隊の方をちらりと見た。ほかの兵隊たちがすでに出発しているにもかかわらず、隊列に戻ろうとしない。目がどこかを彷徨っている。「雪ちゃん・・・」と繰り返している。
「なあ、ほら! 正気を取り戻せ! お前の雪ちゃんのために頑張るんだよ。計画をやり遂げるんだ! 駄目だなこりゃ。ねえ、ここだけの話なんですがね、こういった青年が山ほどいるんです。田舎の、貧しい家庭から徴兵されてきた青年たちです。本当に食うや食わずで生きてきたんですよ」
「それは気の毒だな。気の毒ではあるが、歴史上で見ればもっと不幸な人々もたくさんいたさ。あんたらは結局こいつらを都合の良い道具として利用しているだけじゃないか? いいかい? 大事なことを教えるぜ。これは全部嘘だ」
「嘘?」
「そう。嘘だ。フィクションだ。歴史なんて存在しなかったのさ。分かるかい? あんたらに良いもの見せてやるよ。特別だよ? 普段はこんなことやらない。違反行為だからな」。サンタはそう言うと、二人の兵隊を自分の橇へと連れていった。そして目をつぶらせた。「絶対に開けるなよ」
「はいはい」
「雪ちゃん・・・」
「ヒヒンヒヒン」(準備オーケー、の意味)
「じゃあ、行こうじゃないか」とサンタは言った。そして男二人のおでことおでこをくっ付けさせ、そこに自分自身の皺だらけの額も付けた。彼は特殊な呪文を唱えた。フィンランド語の、二千年前から伝わる呪文だ。トナカイが突然全速力で走り出した。その瞬間、サンタは二人の心の奥の秘密の扉を開けた。それは危険な行為だったが(というのも元に戻れなくなる恐れがあったから)、結局は二人が後に戦死することを知っていたから、構うものか、と思ってやり遂げた。橇が故障していたせいで最初はてこずったが、やがて軌道に乗り始め、時の透明な流れが、彼らの心を通り抜けた。
「これはすごい」と上官の方の兵隊が言った。「本当に全部嘘だったんだ。私は、私は・・・透明な流れだったんだ・・・。記憶はたしかなものではなかった。それは、それは、単なる・・・」
「雪ちゃん」と言って、下っ端の兵隊は涙を流した。それが空気に乗って、二月の寒さによって結晶し、その朝最初の雪の一片になった。兵隊たちはすでに首相官邸に辿り着こうしていた。三日前の雪に、血が注がれることだろう、とサンタは思う。でも今は今だ。今時は流れているのだ。それが一番重要なことじゃないか?
「ヒヒンヒヒン」(その通りだ)とトナカイは言った。