神様との対話

「ねえ、神様」

「なんだ?」

「僕は一体どれくらいこんな生活を続ければいいんでしょう?」

「何が問題なんだ?」

「何が問題、って、このアルバイト生活ですよ。狭い部屋にもう四年も住んでいることになる。今月更新料も払わなくちゃならないし・・・」

「更新料、払えるのか?」

「まあギリギリですね。あの、もしよければ少しだけお金を貸して頂くことは・・・」

「いや、悪いがわしは一文無しなんだ。なにしろ神様なんでな」

「どうして神様が一文無しなんですか? そんなの貢物みつぎものの中からちょっと拾ってくればいいだけの話じゃないですか」

「いいか、あんなのはただの物だ。形だ。本当に神のことを思っているものは、神のことを考えない」

「何ですかその謎かけみたいなのは」

「いや、事実なんだ。本当に神のことを思っているものは宗教のことなんか気にしないってことだ」

「ふうん」

「まあな」

「それで、僕のことに話は戻りますが、もう四年ですよ。今年で二十九になります。まったく。二十九といったらそれなりの歳です。ごく普通に大学を出て就職していたら、ということですが」

「でも君は就職しなかった」

「まあ」

「それは自分で選んだことなんだろう?」

「選んだ、というか、ほかに仕方がなかったんですよ。僕にはそれしか道がなかったんです。さもなければ・・・」

「さもなければ?」

「たぶん死んでいたでしょうね。方法はいろいろとありますが」

「でも君は生きている。こうしてピンピンしているじゃないか」

「まあそうですね。ちょっと首の後ろが乾燥してかゆいですが、それを別にすれば健康です」

「ちょっとかゆいくらいなんだ。いつからそんな女々めめしい男になったんだ」

「いや、別にそれについて文句を言っているわけじゃないですよ。ただ昔から乾燥に弱くて・・・」

「でもそんなことを気にしている場合じゃないんだろう?」

「ええそうです。僕はこの状況を抜け出したいんです。抜け出したいんです。だからこそ今日こうして神様のところにやって来たんじゃないですか」

「ようこそ迷える子羊君」

「羊でもなんでもいいですがね、僕が欲しいのは金です。金さえあればなんとでもなる」

「ずいぶん急激な心境の変化じゃないか。かつての君はお金なんか軽蔑していたと思っていたが」

「そりゃあ両親の下でぬくぬくと生きていたからですよ。ある意味で僕は幻想の中を生きていたんです」

「それが今では変わった、と」

「変わった、というか・・・。そうですね、本当に正直にいえば、僕の本質的な部分は二十歳はたちくらいの頃から変わっていないと思います。コア、というか。でもそのが変わっています。こうして東京の外れに来て、毎日バイトに行って、なんとか生活費を稼がなくてはならない。それだってあっという間になくなってしまう。文学賞に応募しても、ほとんどは一選考すら通らない。まったく。本来なら二年くらいでプロの作家になっているはずだったのに」

「でも今ではさすがにそんなことは信じられないだろう?」

「まあ、そうですね。僕も僕なりに少しはいろんなことを経験したのでしょう。現実はそう甘くはない。まあその一言に尽きますね」

「でもそこには何かがある。たとえば君はレイモンド・カーヴァーの小説の本当の良さを理解し始めている」

「そうですね。彼が言いたかったのは、おそらくは我々はある意味ではルーザーなのだ、ということだったのだと思います。もちろんルーザーでない人もいるのかもしれない。でも少なくとも僕はルーザーの一人です。そして周囲にいる人々もまた。なんというのかな。そのあまりうまくいかない、という感じがいいんですよね。そう考えると、あまり早く結果が出なかったことはむしろ幸運だったのかもしれない」

「君はそう考えている」

「というか、そう考えてなんとか日々を生き延びているんです。この間なんか大変だったんだから」

「何が?」

「何が、って、そう、ある朝起きたときに、本気で『俺は別に生きていなくてもいいな』と思ったんです。この生活に生きるだけの意味が本当にあるのか、と。答えはノーです」

「しかし君はこうして生きている」

「それはおそらく悔しかったからですよ。自分の中の可能性を伸ばさずに、簡単に死んでしまう、ということが。おそらく生きるよりも死ぬことの方が楽です。一瞬でことが終わるのだから。しかし僕は自分の中に何かの胎動を感じることができるんです」

「それは何だと思う?」

「何なんだろうな? はっきり言って僕はまだ自分の書いているものに、さほどの自信を持つことができていません。前よりは少しましになりましたけどね。それでもまだまだ。いろんな優れた作家の作品を読んで、自らのオリジナルな文章を書くことが最も重要だ、ということは分かっています。でもそんなこと、頭で分かっていても、実際にやるのは至難のわざですよ。そうは思いませんか?」

「思うよ」

「そうでしょう。神様ですらそう思うんだ。でもそういう義務をある種の人間に課しているのはあなたなんだ。違いますか?」

「違わない」

「ほら。自分でも認めている。まったく。だとしたら僕には選ぶ道はほかにないんです。自分の中の文章を少しずつ辿っていくこと。あるいはその先に何かがあるのかもしれない。でもこれは本当に遅々ちちとした歩みですよ。一体いつ結果が出て、お金を稼げるのかまったく分からないんですから」

「君は金のために書いているのかな?」

「理想はそうでない、と言いたいところですが、やはりお金は欲しいです。なぜならお金がなければ自由になることもままならないからです」

「君はお金さえあれば自由になれるとでも思っているのかね?」

「さすがにそこまで楽観的ではありません。きっとそれはそれでわずらわしいことも増えるのでしょう。でも僕がいいたいのは、なにも億万長者になりたいとかじゃなくて、ほんのちょっとでもいいから幸運のきざしが見たい、ということなんです。それくらい見せてくれたっていいじゃないですか? ねえ、神様」

「幸運は見せられないが、この間見つけたものすごく長い脛毛すねげなら見せることはできる。これってすごいぞ。ほら」

「うわ、本当に長い。一体何年かければこんなに長くなるんだろう・・・。ってそんなことはどうでもいいんです。神様の脛毛すねげなんて。僕が見せてほしいのは幸運の兆しです。それさえあればもう少しこの生活も楽になるんですがね」

「君はインドの貧困層の暮らしを見たことがないのか?」

「いや、たしかにそういった人々に比べれば恵まれた生活をしていますよ」

「南太平洋で、食うや食わずで行進し、挙句あげくの果てに戦死した若い兵士たちのことを考えたことはないのか?」

「いや、それを言われると何とも言い返せない・・・」

「わしが言いたいのはな、君がいう幸運とはものすごく底が浅いものだ、ということだ。いいか? もっと長いスパンでものを見るんだ。この生活から何かフィジカルに学び取れるものがあるはずなんだ。君は大学を卒業したあと、二年も実家でぶらぶらさせてもらっていた。その頃には知らなかったことが、今では少しは分かっているはずだ。それは生きるという行為の本質に、少しだけ近づくことでもある」

「おそらく僕は大人になりつつあるんでしょう。かつて嫌っていた大人にね。僕は自分の限界を見なければならないし、いつまでもどこにも存在しない理想の自分を探し続けるわけにはいかないのでしょう。現実を見て、あるものの中で、何かを成し遂げなければならない」

「よく分かっているじゃないか」

「そんなことずっと前から分かっていましたよ。ただ僕がいいたいのは、なんというのかな、ときどき自信がなくなってしまう、ということなんです。何一つうまくはいかないし、これからもずっとこのままだろう、と。誰も僕の文章を読んだりしないし、女の子たちはサインを求めには来ないだろう、と」

「サイン書きたいのか?」

「いや、それは冗談です」

「自信についてはわしに言えることは何もない。なにしろわしだってときどき自信を喪失するのだから」

「神様が? それっていいんですか?」

「いいもなにも、実際にそうなんだから仕方がない。わしが言いたいのはだな、みんな一緒だ、ということだ。いや、正確にいえば一緒じゃない。でも一緒なんだ。その細かいニュアンスを伝えることは難しいが」

「まあなんとなく言っていることは分かりますよ。本当は一緒じゃないけど、みんな一緒なんですよね。うん。まあなんとかやってみましょう。正直いまだに自分の人生に意味があるとは思えないんですが」

「意味のことなんか考えるなよ。私の脛毛すねげのことを考えていなさい」

「嫌ですよそんなの。まったく。あ! ちょっと、神様。その脛毛すねげ抜けちゃってますよ。さっきまではちゃんとくっついてたのに。ヒラヒラと飛んで・・・あ! 僕のお尻にくっついて・・・」

「さよなら。作家志望の若者よ。君はまだまだ成長しなければならん。そのことをよく心得ておくんだぞ。それと正直にいえば、君は崖っぷちに立たされているわけですらない。そんなのまったく崖っぷちではない。第一次世界大戦で死んでいった兵士たちに言わせれば、こんなのはピクニックみたいなものだ。いいか? 君なんかこの世に存在しなくたって、全然問題ない人間なんだ。そう思うと肩の力が抜けるさ。誰かのためじゃなく、自分のために生きなさい。私にいえるのはそれくらいのことだ。じゃあ、もう行くよ。その脛毛すねげを私だと思って可愛がってくれ。さよなら」

「さよなら、神様」

 ということで僕は今、彼のものすごく長い脛毛すねげとともに、狭い部屋にいる。ときどきうんざりすることはあるにせよ、ふと謎の風が吹いてきたりして、束の間息を吹き返す。あるいはみなさんも似たような日々を送っているのかもしれない。ねえ、人生はとても奇妙だ。そうは思いませんか?

「そう思います」
村山亮
1991年宮城県生まれ。好きな都市はボストン。好きな惑星は海王星。好きな海はインド洋です。嫌いなイノシシはイボイノシシで、好きなクジラはシロナガスクジラです。好きな版画家は棟方志功です。どうかよろしくお願いします。

4件のコメント

  1. 拝見させていただきました。
    生きることへの苦悩、解決手段としてのお金、ルーザーとしての自分というところに共感しました。
    私自身、親に生活基盤を頼っている部分があり、また生きることに苦悩していました。
    私は最近、座禅や瞑想をしています。
    思考をしないようにし、浮んできた思考を放っておく、思考のない今この瞬間を見るということを座禅で学び、精神的にある程度の充実を得ることができました。youtubeに井上貫道老師、長井自然老師、井上哲玄老師という方がいて、その人たちの話を聞きながら学んでいます。
    しかし、やはり生きていることは無意味かもしれないけれど、生きることへの意味は問わなくなるのかもしれないと思いました。

    1. うーん。お金に関しては、僕にはなんともいえないです。というのも一般社会で普通に働いて、お金を稼いでいる人も、たぶんそれなりに楽しんで生きていると思うから。僕は--おそらくあなたもだと思いますが--それだけではない何かを求めているんですよね・・・。
      結局ヒントになるのは、僕の場合優れた小説や音楽です。今までよく分からなかったものがちょっとずつ分かりかけたりしてきて(カーヴァーの小説もその一つです)、それはそれで結構嬉しいものです。
      この四年間はたぶん何かを認識するための期間だったのではないか、と考えているところです。僕は小説家になる以前に、あまりにも人間として未熟過ぎた。だからこそこうやってアルバイト生活を送る必要があったのではないか、と。
      一日一日なんとか生き延びてきた経験が僕の基礎となりつつあります。そこから見える景色は四年前とは少し違っています。人々の顔もまた。そこには明らかに僕自身の反映があります。「俺はこういう風にだけはなるまい」と思っていた人々の中に、自分の反映があるのです。
      とはいってもやることに変わりはありません。結局のところ意識(と肉体)の使える部分を、どの方向に向けるのか、というのが重要になります。一日の長さはおそらくはすべての人に均等です。ずっと先のことではなく、今きちんと頑張ること。たしかに座禅に通じるところはあるのかもしれませんが。

  2. こんばんは。1つ年上のいとこです。
    表現方法を1つ持っているだけでも羨ましい。それどころか小説やエッセイや音楽、詩…。色んな表現方法を持っている。人生でたったの1つも見つけられない人って多いんじゃないかなと思います。私もそのひとり。だからこれからも書き続けてほしいです。なんだか、書く行為自体が生きてることのようだから。
    とはいえ、お金は欲しいですよね〜

    1. 「1つ年上のいとこ」さん。
      参ったな。こんなところでお話するとは・・・。
      僕の表現方法なんてたかが知れたものです。素人の物真似です。でもまあ、最近割り切って考えられるようになりました。技術的にいえばほとんど誰にも勝てないだろう。だとしたら、最初から戦うことをやめればいいんじゃないか、と。もちろん自分自身と闘い続ける必要はあるわけですが・・・。
      ところで僕の作る曲には、昔いとこ同士で歌っていたあの不思議な歌の影響があるのではないか、と姉が申しておりました。悔しながら、そういうこともあるかもしれない、とときどき思う今日この頃です・・・

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