ゴリラの生る木

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ぼくは今日おつかいを頼まれた。丘の上にあるゴリラのる木のところに行って、「小さいゴリラ」と、「中くらいのゴリラ」と、「大きいゴリラ」を摘んでくるよう言われたのだ。

 

「あなたももうそれくらいはできないとね」とお母さんは言った。

「もちろんできるさ」とぼくは言った。

 

でも実際のところまったく不安がなかったというわけではない。丘に行くには途中で川を渡っていかなくてはならないし、そこから先も結構な距離がある。そしてぼくはといえば、まだ一度も一人で家の外に出たことがないのだ。でもぼくはもう一人前の男なのだ、とぼくは思った。それくらいきっとやれるだろう。

 

玄関先で手を振っている母親をあとにして、ぼくは先に進んだ。空は晴れ渡っていて、雲ひとつない。風がとても気持ちいい。

 

家の敷地を出るときには、正直身ぶるいした。確かにただゴリラを摘んでくるだけのことだったのだが、ぼくにとってはそれは大きな冒険だったのだ。でも少し行くと、そんなことは特に気にもならなくなってしまった。一人きりで歩くのは、それくらい気持ちの良いことだったのだ。近くに大人がいなくたって大丈夫、とぼくは思った。だってぼくはもう一人前の男なのだから。

 

 

川に着くと、前にお母さんと渡った石のあるところを探す。そこを通れば靴を濡らさずに川を渡ることができる。川岸を行ったり来たりしているうちに、浅瀬に大きな石が並んだその場所を発見した。ぼくはほんの少しだけひるんだが、それでも意を決して足を前に踏み出した。石はつるつるすべったけれど、それでもぼくはやり遂げた。反対岸に着くと、自分がまた一歩大人に近づいたような気がした。ぼくの気持は高ぶっていた。ぼくはもう今までのぼくではないのだ、とぼくは思った。

 

さらに進むと、やがて小高い丘が見えてきた。その上にゴリラのる大きな木が生えている。近くに行くと、ちょうど「小さなゴリラ」と、「中くらいのゴリラ」と、「大きなゴリラ」が枝に生えていた。ぼくがそれを摘もうとすると、ふと根元に誰かが横たわっているのに気付いた。それは一人の若い男の人だった。

 

「ねえ、どうしたんですか?」とぼくは聞いた。見ると彼はしくしくと泣いていた。「どうして泣いているんです?」

 

すると彼は顔を上げて、じっとぼくの方を見た。でもすぐにまた泣き出してしまった。

「どうしてって、悲しいから泣いているんだよ」と彼は泣きながら言った。

 

「どうして悲しいんですか?」とぼくは聞いた。

 

「どうして悲しいかって?」と彼は言った。「いや、参ったな。そんなの恋人が死んでしまったからに決まっているじゃないか」

 

それを聞くと、なんだかぼくも悲しくなってきてしまった。それでぼくも彼の隣に座って、ひとしきり一緒に泣いた。恋人が死んでしまうというのは、きっとずいぶん悲しいことなんだろう。

 

でもしばらくするとぼくの涙は止まってしまって、またゴリラの方に気が向くことになった。そこでふと、ぼくはある重要なことに気が付いた。

 

「ねえ、お兄さん」とぼくは言った。「どうしてこの『小さいゴリラ』を摘み取って、一口かじってみないの?そうすれば涙なんかすぐに止まるのに」

 

すると彼は言った。「どうしてって、それは悲しすぎて身体が動かないからなんだよ。君が取ってくれればとてもありがたいんだがね」

 

そこでぼくは「小さいゴリラ」を摘んで、彼に渡してやった。彼はその頭の部分を一口齧ると、途端に元気になって、その場にすっくと立ち上がった。そしてぼくと握手をして、どこかに向かって走り去っていった。

 

「どうもありがとう」と彼は言っていた。「君のおかげで元気になった。死んでしまった彼女については、まあよく考えてみると大した女でもなかった。これからもっと良い恋人を見つけに行くよ。それじゃあ」

 

彼はあっという間にどこかに消えてしまった。

 

 

ぼくはそこでまたゴリラ摘みに戻ったのだが、そのとき「小さいゴリラ」がもう一匹も残っていないことに気付いた。お母さんはいつも「小さいゴリラ」を刻んで、そのままサラダに入れるのだ。でもまあ仕方ない。中くらいと、大きいのがあれば文句は言わないだろう。

 

ぼくはそこで「中くらいのゴリラ」を摘み取ったのだが、そのときぼくのすぐ近くをものすごく餓えたライオンの夫婦が通りかかった。彼らは見るからに痩せ細っていて、骨と皮だけになり、これ以上一歩も歩けない、といった感じだった。ぼくはとっさに彼らに声をかけた。「ねえ、ライオンさん。ここに良いゴリラがありますよ」。すると彼らは信じられない勢いでこちらに駆け寄ってきた。

 

「いや、とてもありがたい」とオスのライオンが言った。「もう腹ペコで仕方がなかったんだ。一月くらい何も食べていない。それこそ道端で会った人間の子どもも食べてしまいそうなくらい」

 

ぼくはそこで少し怖くなってしまったが、それでも今は手元に「中くらいのゴリラ」がある。「ほら、でも今はこれがありますよ」とぼくは言った。

 

「とてもおいしそうなゴリラだわ」とメスのライオンは言い、二人であっという間にそれを平らげてしまった。するとみるみるうちに彼らは元の元気なライオンに戻り、どこかに向けて勢いよく走り去っていった。

 

「どうもありがとう」とオスのライオンは言っていた。「そのうち何かお礼をしに来るよ」

 

「さようなら!」とぼくは手を振りながら叫んだ。

 

 

そこで僕はまた木を見上げたのだが、そこにはもう「大きなゴリラ」しか残っていなかった。お母さんはいつも「中くらいのゴリラ」を素揚げにする。あれはパリパリしてとてもおいしいのだが、まあ仕方あるまい。「大きなゴリラ」がいるだけでもありがたいと思わなければならない。

 

ぼくは「大きなゴリラ」を摘んで、持って来ていた袋に入れた。それは実のところぼくの背丈よりも大きいゴリラだったのだが、そんなことは一人前の男には関係ない。弱音を吐いている場合ではないのだ。それでぼくは、一生懸命その袋をひきずりながら、ゆっくりと丘を下り始めた。

 

ぼくはそうやってようやくのことで川に辿り着いたのだが、そのときにはもう袋の底の部分が破けて、ゴリラの足が見えてしまっていた。このまま川底をひきずっていったら「大きなゴリラ」は川の中に落ちてしまうかもしれない。一体どうすればいいんだろう?

 

ぼくがそうやって悩んでいると、突然後ろから「大きなゴリラ」が話しかけてきた。

 

「そんなの簡単さ」と彼は言った。「俺をここから出してくれればいいんだよ」

 

なんだ、そんな簡単なことだったんだ、とぼくは思って、彼を袋から出した。そして二人して、川の浅瀬の石をぴょんぴょんと渡った。

 

川を渡ると、ぼくはまたそのゴリラを袋に入れようとした。でもゴリラはこう言った。「このままでいいよ。俺は逃げないからさ。それにもうその袋は限界だろう」

 

確かにそうだったので、ぼくらは並んで家に帰ることにした。

 

 

そのゴリラはとても気さくな、人の良いゴリラで、道中ぼくらはいろんな話をした。彼はフランス詩を愛好していて、ランボーとかマラルメの話をしてくれたのだが、ぼくにはどれもチンプンカンプンだった。でもぼくはその代わりに、彼に四葉のクローバーがいっぱい生えている茂みの場所を教えてやった。

 

 

家の玄関先に着くと、彼はぼくに聞いた。「それで、俺はこれからどうなってしまうんだろうね?」

 

「君はね」とぼくは説明してやった。「頭から串を突き刺されて、炭火であぶられるんだよ。とても良いあぶらが出て、おいしいんだ」

 

ぼくはそう言いながら玄関の戸を開けたのだが、なぜかそこにお母さんはいなかった。家はもぬけの殻で、ただ大きく窓が開いて、そこから気持ちの良い風が入り込んでいるだけだった。

 

「あれ?」とぼくは首をひねって言った。「どうしたんだろう?」

 

ぼくが家の中に入ると、バタンという音がして突然ドアが閉まった。どきっとして後ろを振り返ると、「大きなゴリラ」が悲しげな目をしてそこに立ちはだかっていた。

 

「どうしたの?」とぼくはおびえながら言った。

 

彼は首を振ってこう言った。「君のお母さんはもういない。もう消えてしまったんだ。『どうして』とか『なぜ』とか聞いてはいけない。もう事実として消えてしまったんだからね。そしてその時点で我々の立場は逆転したことになる。なぜならもう私を料理する人間がいなくなったんだから。さあ、これから君の頭に串を突き刺して、炭火でじっくりあぶることにする。きっと良い脂が出ることだろう」

 

ぼくはとっさに逃げ出そうとしたのだが、出口は彼が塞いでいた。それで窓の方に行こうとしたのだが、そのとき彼がぼくの首元を掴んだ。それはものすごい力だった。ぼくはじたばたともがいていたのだが、彼は落ち着いた声でこう言った。「じたばたするのはみっともないよ。我々が一度でもそんな態度を見せたかい?君は一人前の男なんだろう。黙って運命を受け入れなけりゃ」

 

そう言われるとぼくも大人しくするしかなくなってしまった。黙って運命を受け入れるのだ。なにしろぼくは一人前の男なのだから。それでもゴリラが実際に串を探しに隅に行くと、とても怖くなってきてしまった。本当にお母さんはいなくなってしまったのだろうか?

 

ぼくはもう叫び出したいような気分だったのだが、なんとかその衝動を押し留めた。ぼくとしてはまた「みっともない真似をしている」と言われたくなかったのだ。だからただ黙ったまま、心の中で何度もお祈りの文句を繰り返していた。

 

やがてゴリラが串を発見し(とても長く、太い串だ)、その尖った先っぽをぼくの頭頂部に向けて構えた。ぼくははっと息を呑んだが、それでもまだ黙ったままでいた。黙って運命を受け入れるのだ、とぼくは思った。でも彼はすぐには串を突き刺さなかった。何度か串の向きを調整していたあとで、彼はこう言った。

 

「やっぱり反対側からの方がよくないかな」

 

そして尖った部分をぼくのお尻に向けた。

 

 

ぼくはごくりと唾を呑み込んだ。これでぼくの生涯は本当に終わりなのだ、と思った。そこに何か意味があったとは思えないが、きっとこれまでたくさんのゴリラを食べてきた報いなのだろう。ぼくはただ黙して運命を受け入れようとしていた。自分は一人前の男なのだ、とぼくは思った。泣いたり、わめいたりしてはいけない。

 

でもそう心を決めた瞬間、開いた窓から何かが入り込んできた。見ると、それは「中くらいのゴリラ」を分けてやったあのライオンの夫婦だった。彼らはものすごい勢いで家の中に入ってくると、「大きなゴリラ」に噛みついた。ゴリラはそれを振り払ったが、ライオンたちはしつこく彼に絡みついた。ぼくがあっけにとられていると、窓の外からあの若い男の人が声をかけてきた。

 

「ここから逃げ出すんだ、早く!」

 

ぼくは彼に引っ張られて、窓から家の外に逃げ出した。ぼくら二人はそのままずっと遠くに走っていき、ようやく安全な距離が保てた、と思ったところで家の方を振り返った。見るとちょうどライオンの夫婦が窓から飛び出してくるところで、彼らはちらりとこちらを見たあと、すぐにまたどこかに向けて走り去った。その後少ししてから玄関の戸が開き、あの「大きなゴリラ」が現れた。彼は一度頭を掻いたあと、ぼくらに向けて大きく手を振った。ぼくはわけが分からないまま、彼に向けて大きく手を振り返した。

 

「あの家はもう彼のものだ」とぼくの隣の若い男の人は言った。「そういう風に事が運んだんだ。もう変更はきかない。それで君はどうする?」

 

でもぼくは何をどうしたらいいのか全然分からなかった。家がもうないことも、お母さんがいないことも、ぼくにはまだ上手く呑み込めなかったのだ。

 

「なあ」と彼は言った。「もしどうしたらいいのか分からないんなら、俺と一緒に恋人を探しに行かないか?良い女の子が集まってる場所があるんだ」

 

 

それでぼくは、彼と一緒に新しい恋人を探しに出かけたのだ。

 

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