ただ新宿まで遊びに行っただけの話

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エッセイ 4件のコメント
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2017年12月12日、火曜日。久しぶりにアルバイトが二日連続で休みになったので、新宿まで遊びに行くことにする。この前都心に出たのはたしか7月の始めだった。それ以来ろくに電車にも乗らなかった。普段は自転車で生活をしている。

 

それにここ数カ月は、ずっと新人賞に送る作品の執筆に追われていた。まあ完全に「追われていた」というわけではないにしろ――楽しんでいた部分ももちろんあったから――それでも妙に忙しかったのは事実だ。一体全部でいくつ送ったかな・・・。そもそもより自由になるために小説家になろうとしているのに、これでは自分から〈不自由〉になっているようなものじゃないか、と思ったりもする。でもやはり自分が「何かを書きたい」と思っていたのは事実だし、書きたいと思えないものは、どうやったって書けない。

 

数日前に長めの作品を完成させ(というか無理矢理「完成」ということにして)郵送した。それで少し気分は楽になった。いろいろと作品を出し、落選する、というのを繰り返していると、だんだん力の入れ方(抜き方)が分かってくる。審査員が何を考えているかなんて、あらかじめ僕らに分かるわけがないのだ。はっきりいって運みたいな部分も結構ある。だから僕は今自分に書けるものをできるだけきちんと仕上げるしかない。そうやっていれば――たとえ落選したとしても――少なくとも確実に成長していくことだけはできる。今はそういう姿勢が大事なのだと思う。

 

ということで、応募した作品のことはもうまったく考えない。前は違っていて、すごくすごく期待していたりしたけど、そういうのはやはり精神衛生によくない。落選したのが分かると、なにもかも無駄だったような気がしてくる。でも本当はそうじゃないのだ。自分が書くことを楽しみ、それによって少しでも前に進むことができれば、絶対にそれは無駄にはならないはずだ。というか、そう思って自分を持ち直している。

 

だからできるだけ早く次に移ることにする。別の新たな作品が自分の中に眠っているのだと考えると、すごくわくわくした気持ちになる。これは小説を書き始めなければ味わえなかった感覚だろう。その日は朝に短い作品を一つ仕上げた(原稿用紙10枚)。これはある地方の文学賞に出すものだ。そういえば前日にも一つ短いものを書き上げていた。これは原稿用紙30枚、のはずが、いつの間にか32枚になってしまったものだ。まあとにかくこれで2編できたことになる。まだ第一稿ではあるけれど、それはそれで、とても良い気分だ。これから時間をかけて、ぐずぐず直していくと思う。でも枚数制限に収めるのって増やすのより難しいんだよな。消すのがもったいない気がしちゃってね。でもそれもまた勉強だ。

 

それが終わると外にランニングに行く。川沿いの道を延々と走る。実は今日は朝の時点で「出かけよう」と決めていたのだけれど、天気が良いからどうしても走りたくなってしまう。前の日は久しぶりに走らなかったし。この数カ月、僕はそのようにほぼ毎日走っていたのだけれど、どうも最近ちょっとオーバーワーク気味で、この前アルバイト中に思いがけず意識が朦朧もうろうとしてしまった。だからまあ、さすがにちょっとずつ休みを取りながらやることにしたのだ。

 

休みを取るのは、ある意味ではちょっと怖いことでもある。今までずっと続けてきたことを突然やめる。あくまで一時的に休むだけなのだけれど、このまま再開できなかったらどうしようと心配になる。でもこのペースで運動を続けていたら明らかに身体が持たないし、それに心にだって良くないだろう。そこからは、かつてあったはずの本当の自発性が失われてしまっている。

 

おそらくあるときにそれでよかったことが、別の日にもまったく「正しい」というわけではないのだろう。その時々の心と、身体の状態を見極めることこそが大事なのだと思う。その二つのバランスの取り方を、これから学んでいくべきなのかもしれない。

 

 

ということでここ数カ月はフィットネスと執筆(そして週5日のアルバイト)、というスケジュールでやってきたのだけれど、さすがにそろそろ外に出たくなってきた。つまり「街の外」ということだ。これまでは「外に出たってどうせ面白いことなんかないよ」と思っていたのだけれど、今日はなぜか久しぶりにちょっと遠出してみたくなってきた。あまり同じ生活圏にばかり閉じこもっていると、それに合わせて、心もいつの間にか狭くなってしまうかもしれない。

 

 

それでまあ、ランニングだ。今日はあえていつもより短めにする。今まであまりそういうことはやらなかったのだけれど、午後に長く歩くことを考えると、やはりその方がいいと思う。外は天気が良くて、とても気持ちが良い。

 

帰ってくると急いで昼食のパンケーキを作る。オートミール入り。これは最近ネットで注文したやつ。お金がないのに、どうしてもオートミールが食べたくなってしまったのだ。これは僕の感覚がおかしいのかもしれないけれど、たとえばレイモンド・カーヴァーの短篇に、地方の貧しいシングルマザーが父親にお金を無心むしんする場面が出てくる。そして「私たちはオートミールだけで食いつないでいます」というようなことを言う。それはとても大変な状況なのだけれど、僕はなぜか「オートミール美味うまそうだな」とか思ってしまう。たぶんそれは日本人ということもあって、普段そういうものを食べていないせいだろう。それは「コーングリッツ」にしても同じことだ。アメリカの南部を舞台にした小説を読んでいると、よくこれが出てくる。そしてそれもまた「美味そうだな」とか思ってしまう。登場人物たちはさほどおいしそうに食べているわけではないのだけれど。ということで僕の家の狭い――とても狭い――台所の棚には、オートミールとコーングリッツがそれぞれひっそりと収められている。

 

 

僕はよく自分で小麦粉から(つまりホットケーキミックスを使わずに)パンケーキを作るのだけれど、以前ヘミングウェイの短篇を読んでいたら、主人公が森の中で蕎麦そば粉のパンケーキを作る場面が出てきた。材料は蕎麦粉と水だけ。それをバターをひいたフライパンで焼く。それを読んだらどうしても蕎麦粉のパンケーキが食べたくなってきてしまって、わざわざ粉を買ってきて、その通りに焼いて食べてみた。味は・・・、あまりおいしくはなかった。だから残った粉は、あとで卵とか砂糖とかを入れて、ごく普通のパンケーキとして食べた(これはおいしかった)。試しにネットで調べてみると、やはり同じようにヘミングウェイを読んで蕎麦粉のパンケーキを作っていた人たちがいて、みんな似たようなこと考えているんだな、と思って結構面白かった。

 

ということで現在に戻る。今日作るのはオートミールを入れたパンケーキ。こんなにたくさん入れるのは初めてだ。それでも食べてみると意外にサクサクしておいしかった。今度もまた作ろう。

 

でもそんなにぐずぐずしている暇はない。ランニングで着た服を洗濯して(30分くらいかかった)、干してしまうと、すぐ自転車に乗って駅に向かう。天気は素晴らしいが(ほぼ雲一つない)、風が吹くと結構寒い。マフラーを持ってきておいてよかった、と思う。途中でATMに寄って現金を引き出す。まったく。最近お金を使い過ぎている。オートミールやら何やらに。ちゃんと米もあるから、どうしても買わなければならない、というわけではないのだけれど。それでもなぜか見るとつい欲しくなってしまうのだ。適度な額を引き出し、そしてこれで何度目かに「どれか一つでも文学賞が取れれば、好きなものを買うことができるのにな」と思う。そしてまたひたすら自転車を漕ぐ。

 

駅前の自転車用駐輪場はほとんど埋まっている。でも一つだけ空きがあって、なんとかそこに入れることができる。中央線に乗るという手もあるが、京王線の方が早いし、安いので、そちらに乗ることにする。始発で、平日の午後1時だから、まあ楽に座れる。そこで持ってきた本を読む。シェイクスピアの『ヘンリー六世』。なぜ『ヘンリー六世』なのかというと・・・、特に理由はない。ずいぶん前に買ったまま全然読んでいなかったから、かな。それを夢中で読んでいると、あっという間に新宿に着いてしまう。大体45分くらいかかった。最初の何幕かしか読めなかったけど、ジャンヌ・ダルクとかが出てきて、なかなか楽しかった。シェイクスピアの登場人物はみなシニカルで毒舌でありながら、自分の(暗い)運命を逃れることができない。そういうところもまた面白い。ただこれを原文で読めればもっと素晴らしいだろうな、とつい思ってしまう。いつか挑戦するかもしれない。

 

 

 

駅から出ようとしたのだが、間違えてJR新宿駅の構内に入り込んでしまい、出られなくなってしまった。出ようとしても改札のところでエラーの表示が出て、一向に脱出できない。これから一生この駅に閉じ込められるのだろうか、と不安になる。でももちろんそんなことはない。十分くらいウロウロしたあと、駅員さんに訊ねたら簡単に出してもらえた。まあよかった。

 

新宿駅はとても人が多い。僕の住んでいる街とは比べ物にならない。それはまあ考えてみれば当たり前のことなのだけれど。そろそろインフルエンザが流行はやる季節だが、そんなときにわざわざ自分から人ごみに突っ込んでいくわけだ。でもたまにはそれもいいだろう、と思う。いつも人間を避けてばかりいたら、そこにある大事なものを見落としてしまうかもしれない。

 

しかしそう思ってはいながら、地図を見ると、どうしても緑色の領域に心が魅かれてしまう。つまり公園だ。たとえば新宿御苑ぎょえんとか。久しぶりに街を見ようと思ってやって来たのに、すぐに広くて人の少ない場所に行きたくなる。これは根が田舎者だからだろうか。

 

天気はいいけれど、都会の騒音はうるさい。あちこちからいろんな音楽が流れてくる。はっきり言って聞きたくもないような。それは文字も一緒だ。看板にデカデカと書かれた宣伝文句。ああいうのはこちらが求めていなくても、無理矢理意識に入り込んでくる。ズカズカと土足で。まるで無神経な借金取りみたいに。そしていつまでもそこに居座り続けるのだ。それはたしかに一つの力ではあるのだけれど、僕としてはできればああいう言葉は使いたくないな。

 

ビルの隙間から青空が見える。雲もほとんどない。それを見ているとトム・ペティの『Into the Great Wide Open』が聴きたくなってくる。ふと気付くと「Under them skies are blue…」と口ずさんでいる。ということで旧式のiPodを引っ張り出して、音楽を聴く。僕はスマホを持っていないから、今のところこれで音楽を聴くしかない。ランニングのときもこれを使っている。でもよく考えてみれば、今どきこんなものを持っている人がほかにいるのだろうか? おそらく少しはいると思うのだけれど。これを買ったのはたしか高校二年生の誕生日だった。今年で9年経ち、そろそろ10年目に入ろうとしている。少しへこんで、ボタンの反応が悪くなっている。接触もあまりよろしくない。でもまあこんなに長く持っているのだから、さすがに文句はいえない。

 

新宿御苑ぎょえんの入口に着いたものの、どうやら入場料がかかるらしいので、ただその周りを歩くだけにする。そしていい機会だからということで、そのまま明治神宮外苑がいえんに向かう。そもそも今日ここに来た目的は、ある意味では散歩でもあるのだから、これはこれでまあ悪くはない。

 

だんだんそこに近づくと、妙にたくさん工事をしていることに気付く。巨大なクレーンが何台も見える。工事車両がひっきりなしに行き来している。そしてようやく思い出したのだが、そこは新国立競技場の建設予定地だった。そうか、オリンピックがあるのか。僕が住んでいるところは、東京とはいってもずっとはずれだから(まさにアウトスカートだ)、そういう中心部で起きていることはあまり意識に入ってこない。

 

そこを通り過ぎて絵画館の前に出る。絵画館の建物は結構立派で、均整が取れていて、まあ美しい。神宮外苑は静かなので音楽は一旦止める。人が少なくて、とても気持ちが良い。何枚か携帯で写真を撮ったのだけれど、そういうことをしていると妙に恥ずかしい気持ちになってしまう。一体どうしてだろう?

 

 

さらに進むと綺麗なイチョウ並木がある。まっすぐな道路の脇に何本ものイチョウの木が並んで植えられている。黄金こがね色に輝く葉っぱは、その下にいるおばさんの肌まできらめかせている。そこでも写真を撮ったが、なぜかぼやけてしまった。もしかするとレンズのところがちょうど曇っていたのかもしれない。そういえば僕の大学の前にも立派なイチョウ並木があったな、と思い出す。あれはあれで悪くなかったな。ほかに大した思い出はないのだけれど。歩いて行くうちに銀杏ぎんなんの実がまったく落ちていないことに気付く。もうとっくに誰かが回収したのだろう。あれは独特な匂いがするからな。でも実を言うと、その匂いもまったく嫌い、というわけでもない。まあいわば季節の風物詩だ。さらに進み、そこでようやく並木が終わる。最後の方の木は葉がほとんど落ちてしまって、不気味な雰囲気をかもし出していた。まっすぐ天に伸びる、先端が鋭く尖った木の杭、という感じ。何かを突き刺すにはちょうどいいだろう。たぶん魔女の屋敷の周りには、こんな木がたくさん生えているはずだ。

 

 

そのあとまた歩いて戻る。もう一度音楽を聴き始め、いろいろ試したあと、結局キャロル・キングのベスト盤に落ち着く(Carol King 『Super Best』)。この人も、さっきのトム・ペティも、とても有名な人なんだけれど、僕はよく知らなかった。二人とも土曜日の朝にNHK-FMでやっている「ウィークエンドサンシャイン」でピーター・バラカンさんに教えてもらった(ちなみにトム・ペティは今年の10月に亡くなった。レスト・イン・ピース、トム)。あの人はイギリス人なんだけれど、本当に流暢りゅうちょうな日本語をしゃべる。日本人よりも日本人みたいな。『I Feel the Earth Move』という曲を聴きながら新宿駅に戻る。ちなみにどちらのアルバムも図書館で借りてiPodに録音した(トム・ペティの方はTom Petty & The Heartbreakers 『Into the Great Wide Open』)。申しわけない気もするけれど、お金ができたらちゃんと買うと思う。

 

(注:『ベスト・オブ・キャロル・キング』に関して。僕が聴いていたのはこのCDではないです。内容は似たようなものだと思うのだけれど。僕が聴いていたものはおそらくもう販売していないかも)

 

もう夕方の4時近くになっていて、あたりは暗くなり始めている。都会の夕暮れ。ずいぶん長く歩いたせいで、さすがに疲れてきた。あとは中古のCDを見て、本屋をちょっと覗いて、早々に帰ろう、と思って歩いていると、小さな個人経営の食料品店があって、果物や野菜がとても安く売っていた。あまりにも安いのでちょっと怖くなったくらいだ。結局そこでアーモンドミルクとサツマイモを買った。どうも変な取り合わせだけど、まあそのときに欲しかったのだがそれだったので。長い付けづめを付けた派手な奥さんが、旦那さんにアーモンドミルクの値段を訊ね(「これいくらだったっけ?」)、おつりを渡してくれた。アルバイトのときも思うのだけれど、あれは結構突き刺さりそうで怖い。でもまあそれはどうでもいいこと。大事なのは商品のことだ。帰ってから試しに飲んでみると、まあアーモンドミルクの方は大丈夫だった。ごく普通に飲める。サツマイモは翌日の朝オーブンで焼き芋にしてみたが、まったく甘みがなかった。まあ値段相応、というところか。

 

そしてそのあとブックオフに行ってCDを見ることにする(本当はディスクユニオンに行きたかったのだけれど、なぜか見つからなかった。あとで調べてみたら通りが一本ずれていた・・・)。ブックオフなんてあまり好きではなかったのだが(CMソングからして好きになれない)、それでもさすがに新宿店なだけあって品揃えはいい。だからこれ以上文句は言わない。僕が欲しかったのはルシンダ・ウィリアムズ(Lucinda Williams)のものと、ニック・ドレイク(Nick Drake)のものだった。二人とも例によってバラカンさんに教えてもらった。You tubeで試しに聴いてみたのだけれど、どちらもとても良いシンガーだった。なんというのかな、無理に自分以外のものになろうとしない。肩の力は抜けているけれど、決して力を込めていないわけではない。その辺の感覚は、以前僕が聴いていた中では、ルー・リード(Lou Reed)に通じるものがあると思う。日本でどれだけ有名なのかは分からないけれど、こういう人たちの作品は――爆発的には売れないにせよ――長く生き残り続けるものだと思う。まさにそれが良質な作品のあかしでもあるのだ。ルシンダさんの方は『Car Wheels on a Gravel Road』とか(題名からしてすごく良い)、ニックさんの方は『Pink Moon』とか。どちらも素晴らしいアルバムだった。ルシンダさんはまだまだご健在だが(現在64歳)、ニック・ドレイクの方はもうずいぶん前に亡くなってしまった。調べてみると「1974年に抗うつ薬の過剰服用で死亡」とある。まだ26歳だった(今の僕と同じ年だ)。それが自殺だったのか事故だったのか、いまだに分かっていないらしい。おそらく本人にだって分かっていなかったのではないか。

(P.S. ニック・ドレイクの作品は生前まったくと言っていいほど売れなかった。評論家などに評価されてはいたらしいのだが、その音楽の持つ優しい切迫性が当時の聴衆の心を掴むには至らなかったようだ。彼はイギリス人で、のちにケンブリッジ大学に進んだものの(英文学を専攻した)、学業はほっぽり出して、麻薬を吸うか、音楽をやっていた。かつては短距離走や、ラグビーもやっていたらしいのだが、そういうものとは次第に距離を置くようになった。彼が生前に出したアルバムは三枚だった。ちなみに彼の母親もまた優れた音楽家だったらしい)

 

 

それでブックオフのCDコーナーに行ったのだが、その二人のものは見事になかった。まあ中古屋だからタイミングがものを言う。仕方ない。あきらめるしかない。でもほかのCDの値段を見てみると、これが意外に高い。これならAmazonで中古品を買った方が安いかも、と思って、結局何も買わなかった。そのあと紀伊きのくにへ。

 

そういえば言い忘れていたけれど、ブックオフの前で知り合いの男の子に会った。同じアルバイト先の子。僕の知り合いなんてほんのわずかしかいないから、こんなところで会うなんてとても驚いた。よくぞ見つけてくれたものだ。彼は就職関係の用事でこっちに来ていたらしい。あれだけの人ごみの中で、こういうこともあるんだな。

 

ということで紀伊国屋。店頭には手帳の特設コーナーがある。それとは別に、何かのイベントの宣伝の人もいて、何やら大声で繰り返し叫んでいる。でもなんというか、やっぱり本屋にこういうのは似合わないよな。ほかの店ならともかくね。

 

そう思いながら、結局まっすぐ洋書コーナーに行く。どうしてかは分からないのだけれど、なぜかいつも洋書に興味を魅かれてしまうのだ。そこでいろんな本の背表紙を眺めたあと、結局ジェイン・オースティンの『エマ』の原文を買う。ペンギン版。値段は税込みで900円くらい。どうしても欲しい、というわけでもないのだけれど――家にはまだ読んでいない洋書が何冊かある――でもせっかく来たのだから、と思ってつい買ってしまう。ブレット・イーストン・エリスの『アメリカンサイコ』と、どちらにしようか迷ったのだけれど、そっちの方は少し高くて(まだ作者が健在だからだろう)それに映画を観たときにひどくおっかなかった記憶があるので(でもとても良い作品だった)、またの機会に取っておくことにする。ジェイン・オースティンの原文なんかをリュックに入れて持ち歩いていると、なんとなくほっこりした気持ちになる。自分がこの忙しい世間の流れから離れて、悠々と自分の生活を送っているような気になってくる(実際はそうでもないのだけれど)。それはまだ仙台にいるときに、マタイ受難曲のCDを買ったときも一緒だった。それでまあ、あとはさすがに疲れたので、電車に乗って家に帰った。

 

 

といってもその時間帯はちょうど夕方のラッシュに当たっていて、電車はずいぶん混んでいた。きっと慣れている人にとっては、こんなのはまだ大したことないんだろうけど、僕にとっては十分に狭い。リュックを腹に抱えて、なんとか隙間に収まる。これを毎日やっている人たちは大変だな。でもそれもすぐに慣れてしまうのだろうか?

 

結局座席に座れたのは到着駅の一つ手前だった。そこに来るまではずっとRed Hot Chili Peppersの『One Hot Minute』を聴いていた。これも図書館で借りたもの。この人たちは本当に元気で、余計なことは一切考えていない感じがして、僕はとても好きだ。そういえば以前よく『Give It Away』のミュージックビデオを見ながら筋トレをしていた。そうするとくよくよ考え込んでいる場合じゃないよな、と本能的に理解することができる。Give it away, give it away, give it away now…

 

 

ようやく駅に着いたのだが、もうずいぶん疲れていて(時刻はすでに午後7時を回っている)、腹も減っている。お昼に食べたパンケーキは相当大きかったのだけれど、それでももうそのエネルギーはほとんど残っていない。まあかなり歩いたもんな。

 

駅前の改札を出ると、そこにJupiterという輸入食料品店がある。ちょうどコーヒー半額セールをやっていて、そして何やらいろいろとわけの分からない輸入品が置いてあって、ついそこに寄ってしまう。見ると、そこにも欲しいものがいくつかある。明らかに「どうしても必要」というわけではないものだ。キヌア(結構高い)。カボチャの種の入った賞味期限間近のミューズリー(三割引き)。バジルのみじん切り(業務用)。ひよこ豆の缶詰(新発売)。迷った挙句、ええい買ってしまえと思って全部買ってしまう。来年にはアパートの更新料も払わなくちゃならないから、無駄遣いをしている余裕なんて全然ないのだが。まあ仕方ない。楽しく生きるというのもきっと大事なことだから。

 

その勢いに乗って、ちょっと離れた別のデパートに行き、そこでバターミルクパウダーを買う。これをパンケーキに入れるとコクが増す。それに最近はまっているポリッジ(オートミールを煮込んだおかゆのようなもの)に入れてもいいかもしれない。これもまあ結構な値段がする。そして明らかに「どうしても必要」というわけではない。仕方ない。人生のプラスアルファ。

 

そういう買い物をしながら、「早く新人賞が取れれば、あれも買えるし、これも買えるのにな・・・」と考えていることに気付く。でもそんな余計なことはさっさと頭から締め出す。それよりも次に書くもののことを考えていた方がずっといい。きっとあまり先のことを考えすぎると、今そこにある本当の楽しみを失うことになるのだろう。そういう感じがだんだん掴めてきた。

 

自転車で帰るついでに、いつものスーパーでミネラルウォーターと豆乳を買って帰る(ミネラルウォーターはコーヒーを淹れるときに使う)。そうするとリュックも自転車のカゴも一杯になってしまう。まったく、どうしてこんなに買っているんだか、と自分自身にあきれる。でもまあ全部一日で消費しちゃうわけじゃないんだし、と思って(都合良く)自分をなぐさめる。帰りの道はちょっとした――ほんのちょっとだとは思うのだけれど――坂道になっていて、それが結構脚にくる。でもまあ、カロリーを消費するにはちょうどいいはずだ、と思って、なんとか頑張る。トライアスロンの選手はもっときついトレーニングを日々積んでいるのだ、と思うと、なぜかめげずに漕ぐことができる。それは僕の感覚がおかしいのかな。

 

そんなこんなで部屋に着いたのは午後8時前だった。まったく。ずいぶん疲れてしまった。電車に乗った時間を差し引いても、結局5時間くらい歩いたり自転車を漕いだりしていたことになる。脚にくるのも当たり前か。こんなことならおとなしく部屋で小説を書いていた方がよかったんじゃないか、とも思う。

 

でもまあ、今日に限っては外に出てみたい気分だったし、たまにはこういうことも必要なんじゃないかと思う。なにも「書くことそのものが善」というわけじゃないんだから。あくまでたまたま僕にとっては書くことが必要である、というだけで。つまりその時々の自分の状態を見極める、というのが大事なんだと思う。

 

干していた洗濯物を取り込んで、道中ずっと気になっていた腕立て伏せと腹筋(腹筋ローラー)をやり(前の日は休憩にしたから、鍛えたくてうずうずしていたのだ)、そのあと急いで親子丼を作る。タマネギを切り、数日前に買った鶏モモ肉(一割引)を使う。一個だけ残った最後の卵を割り、それを箸でかき混ぜる。かつおぶしと昆布で出汁だしを取る。酒とみりんと醤油と砂糖で味付け。そのとき醤油が残り少なくなっていることに気付く。まったく。また買うものが増えちゃったな。親子丼そのものは、ちょっと砂糖を入れ過ぎて甘くなってしまったが、まあ不味まずいというわけではない。

 

それを食べながら、かろうじて間にあった日本対中国のサッカーの試合を観る。本当はテレビを見ながら食べたくはないのだけれど――注意力が散漫になり、せっかくの食事を楽しむことができない――まあ代表戦なんだから仕方ない。急造チームで選手間の連携には難があったけれど、みんな自分をアピールするために必死で頑張っていた。スポーツのいいところはそういうところだと思う。特に言葉なんか必要ではないのだ。必死で頑張るという姿勢。それがとても大事。

 

それにしても昌子しょうじのロングシュートはすごかった。最後の失点は、まあ中国にだって意地があるから、仕方のないところでもある。でも勝ったからよしとしようじゃないか。なにもかもいつも完璧、というわけにはいかないのだから。

 

サッカーが終わるとパソコンに録音していたNHK-FMの『ベストオブクラシック』を聴く。パガニーニの無伴奏バイオリンソナタ。なかなか悪くない。最近は、食事のときはいつもこうやってクラシックを聴いている。それが一番合うような気がするので。はっきりいって聴き流しだ。でもまあそれも悪くないのかもしれない、と思ってきた。これだけが正しいわけじゃないけれど、全部が全部肩肘張って何かを吸収しようという姿勢で聴かなければならない、というわけでもないと思う。ごく自然にすっと入ってくるものもある。そういうものの方が、案外うまく染みとおってきたりもする。

 

食事のあとに試しにキヌアを茹でてみる。オリーブオイルで軽く炒めて、倍の量の水で弱火で煮る。ときどきかき混ぜないと焦げてしまうから注意。15分くらい茹でたかな。その間隣の折りたたみ式テーブルの上でフィリップ・ロスの『The Great American Novel』の原文を読む。もちろん電子辞書で調べながら。はっきり言って、この人は本当にイカれていると思う。もちろんいい意味で。

 

 

ということで、そのすべてが終わったあとの午後10時36分に、この文章(のためのメモ)を半分うとうとしながら書いた。なにしろその日は午前5時半くらいに起きたから、もう眠くて仕方がなかったのだ。まったく。ずいぶん疲れた一日だった。はっきり言って、楽しかったのかどうかすらよく分からない。でも人生の終わりにもまったく同じことを思いそうで怖いな。「ずいぶん疲れた一生だった。はっきり言って、楽しかったのかどうかすらよく分からない」。ということでまた。失礼します。おやすみなさい。

 

P.S. この文章そのものはその翌日(つまり12月13日、水曜日)にその大部分を書いた。前日に続いてすごく天気が良かった。え?  一体誰がこんな文章を読むのかって? そんなことは知りません。読みたい人は読んでください。楽しんでもらえたら幸いです。それでは。さようなら。

 

 

4 thoughts on - ただ新宿まで遊びに行っただけの話

  • また歩いて行ったのかと思ったから安心したよ.
    ところで最近昔治療した虫歯が疼いてよっぽど自殺したほうがましと思うような痛みを経験したからドーナツにはくれぐれも気を付けてほしい.

    • いや、さすがに今回は電車で行きました。あそこまで40何キロも歩いていくって、我ながら相当イカれていると思う。
      ドーナッツは、世にも恐ろしいドーナッツ中毒になるのが怖いから(これで何人もの人が命を落とした)あまり食べていないけど、この前オートミールたっぷりのパンケーキを食べたら、あまりに固くて、食べ終わる頃には顎〈あご〉が痛くなってしまった。でもそのおかげでアマゾン川流域のワニ並みに噛む力が付いたから、今では道端にある木を片っ端から齧〈かじ〉っているよ。ときどき甘い樹液が出て、とてもおいしい。でもそのせいで警察に職務質問をされた。「アマゾン川流域のワニなんです」と言ったら、すぐに解放してもらえたけど。まあよかった。

      • 追記。木を齧〈かじ〉っている、というのはさすがに嘘ですが、警察に職務質問されたのは本当です。アルバイト帰りに夕闇の中、自転車を停めて落とした手袋を拾っていたら、どうも不審に思われたらしい。自転車の防犯登録ナンバーが宮城県のものだったから、さらに不審に思われた。「引越しのときに一緒に持ってきたんです」とは言ったのだけれど(これは本当です)。結局財布の中まで調べられて(「他人名義のものがないか調べさせていただきます」)釈放された。まあこの街も最近物騒ではあるからな。
        そういえばその少し前に、部屋に50代後半くらいの太った警察の方が来て、〈巡回連絡カード〉というものに、住所や名前、電話番号なんかを書くようお願いされた。それはまあごく普通の任意の「お願い」ではあったのだけれど、その人のズボンのチャックが完全に開いていたので、僕としてはそればかり気になっていた。なかなか腹に一物ありそうな(実際におなかが出ている、というだけではなく)独特な雰囲気を持った方だった。

  • 筋肉が他人よりも発達しているだけの善良市民である君を不審者扱いとはどうもいただけないね…でもチャック全開の警官が家を訪ね歩いている街というのは確かに物騒だし,仕方ないか.

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