秘密

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そのことに気付いたのは夜のことだった。布団に入ってさあ眠ろうと思った瞬間に、それはどこからともなくやって来た。始め僕はそれを上手く飲み込むことができなかった。あまりにも突拍子もない考えのように思えたからだ。でも時間が経つうちに、それはむしろごく当たり前のことなのだと感じるようになった。なんだ。考えてみれば当然のことじゃないか。どうして今までそのことに気付かなかったのだろう。

 

そのことに気付くと、まるで世界の鮮度が一段階増したように感じられた。これまでぼやけていたものが鮮明になり、逆に大事だと思えていたことがどこか奥の方に引っ込んだ。僕は布団に入ったまま、自分の心臓の鼓動が速さと、そして強さを増したことに気付いた。

 

一度眠って起きてしまうとその感覚は僕の中からそっくり消えてなくなってしまっているんじゃないかと心配していたのだが、朝起きた時もそれは僕の中にちゃんと残っていた。それで僕はとてもうれしい気持ちになった。やっぱりあれは本当のことだったんだ。夢とか、幻とか、そういうものじゃなかったんだ。

 

 

無邪気にも僕はそのことを朝食の席で両親に話してしまった。僕はごく単純に、自分の新たな発見のことを父と母に伝えて、できることならこの新鮮な心持を彼らにも味わってもらいたかったのだ。でもそのことを聞いた両親の反応は冷ややかだった。

 

「一体誰からそんな話を聞いたんだ?」と父は言った。
「誰からって、自分で思いついたんだよ」と僕は言った。
「きっと何かの本で読んだんでしょう」と母が言った。
「だから昨日自分で思いついたんだって」と僕は主張した。
「今まできちんとした育て方をしてきたつもりだったんだけどな」と父がぽつりとつぶやいた。

 

僕はなんだか自分が「失敗作の子ども」になってしまったような気分になった。僕は何か間違ったことを言ったのだろうか?おかしいことを言ったのだろうか?僕は結局、そのあと黙ったまま朝食を食べ(全然おいしく感じられなかった)、釈然としない気分のまま急いで学校へ向かった。

 

 

学校で僕は友達にそのことを話すという誘惑に耐えることができなかった。両親の反応から察するに、そのことはあまり人に話さない方がいいのではないか、と感じてはいたのだが、友達にならしゃべっても大丈夫だろうと思ったのだ。少なくとも彼らは僕を「失敗作」呼ばわりしたりはしないだろう。

 

僕は授業が始まる前に一番仲の良い友達にそのことを話してみた。こっそりと、周りには聞かれないように。でも彼はよく理解できないという顔をしてこう言っただけだった。

 

「ふうん。それで?」
「それで、って、つまり僕はそのことに昨日の夜突然気付いたんだよ」と僕は言った。「それでとてもうれしい気持ちになった」
彼はまだよく飲みこめないみたいな顔をして僕のことを眺めていた。それはなんだか、すごく変な目つきだった。
「まあそれはそれとしてさ」と彼は気を取り直して言った。まるで僕の言ったことなんかなんにも聞かなかったみたいに。「昨日のレアルマドリードの試合観た?」

 

僕にとってそれはレアルマドリードの試合よりも重要で切実なことだったのだが、これ以上しゃべったところで話は通じないだろうと思った。それで我々の話題はクリスティアーノ・ロナウドのドリブルのすごさについてに移った。

 

 

僕は少し不安になってしまった。両親の反応と言い、この友人の反応と言い、僕が気付いたあのことは、人々の中に何か不快な思いを引き起こすらしかった。でも、と僕は思った。あのことはまぎれもなく事実なのだ。混じりけのない真実なのだ。もし僕が間違ったことを言っているのであれば、彼らの反応は正当だと言えるだろう。でもこれは本当のことなのだ。本当のことを言って何が悪いのか。僕はまだ自分の正当性を信じていたので、そのことについて学校の先生に伝えてみることにした。

 

僕の学校には毎朝先生に対して提出する「メッセージノート」というものがあって、何か疑問や報告があればそれを使って先生とコミュニケーションを取ることができる。僕はメッセージノートにそのことについて書き、その中で、自分は昨日の夜突然それに気付いたのだと書いた。でも誰も全然理解してくれないのだと。先生がどういう反応を示すのかは分からなかったが、それでもそのことについて誰にも話さないまま黙っていることは僕にはできなかった。

 

その日の放課後、僕は先生に呼び出された。僕の担任の先生は四十歳くらいの男の先生で、僕は彼のことを特に好きだというのではなかったけれど、特に嫌いだというわけでもなかった。まあ普通の先生だ。
先生は心配そうな顔をして言った。「なあ、今日メッセージノートに書いてあったことだけど、あれは何かの本で読んだのか?」
またおんなじ反応だ。「いや、自分で思いついたんです」と僕は言った。
先生は難しい顔をして言った。「なあ、何か悩みがあるんなら先生が聞いてあげるから、話してごらん」

 

僕は途方に暮れてしまった。どうして悩みなんかの話になるんだ?僕はただ事実を事実として語っているだけじゃないか。
「いや、悩みなんかありません」と僕は言った。「僕は結構楽しく生きているんです」
「本当にそうか?」と先生は疑わしそうに言った。「良いんだぞ、遠慮しなくて」
「いや、大丈夫です」と僕は無理に笑顔をつくって言った。「それじゃあ、サッカーの練習があるので」

 

僕は下を向いて考え込みながら人気ひとけのない廊下を歩いた。一体なんでみんなはそのことに気付かないのだろう?こんなに当たり前のことなのに。そしてそれは、とても素晴らしいことなのに。

 

 

僕はもうそのことについて誰かに理解してもらうのをあきらめかけていた。まあ仕方ない。それについて話すたび、いちいち頭のおかしい人間みたいに見られるのはごめんだ。これについてはきっと、自分の胸の内にそっとしまっておくのが得策なのかもしれない。

 

でもその時僕は脚立と蛍光灯を持って廊下を歩いて来た用務員のおじさんとすれ違った。彼は鼻歌を歌いながら歩いていた。それは僕の全然知らない曲だった。きっと昔の演歌か何かだろう。それはともかく、僕は学校にいる大人の中で彼が一番好きだった。たまにどこかですれ違うと、そのおじさんはニヤッと笑って、いつも何かおもしろいことを話しかけてきてくれた。彼は僕らに上から目線でしかりつけるようなことを一切しなかった。

 

「よう」とその時もおじさんは言った。「今からサッカーか?」
「うん」と僕は言った。そしてその時、なぜかこのおじさんにならそのことを話してもいいのではないか、という思いが僕の心をよぎった。
「ねえ、ちょっと話があるんだけど」と僕は言った。
「話ってなんだ一体?」とおじさんは興味深そうに言った。

 

僕はおじさんにそのことについて話した。昨日の夜ふとその事実に気付いたのだと。でも誰も全然理解してくれないのだと。
彼はそれを聞くと楽しそうに笑った。「はっは。それはそうだろう。きっとみんなには全然理解されないだろう」
「おじさんは知ってたの?」と僕は驚いて聞いた。
「まあ、そうだな。俺がそれに気付いたのはずいぶん最近のことだが」
「僕は頭がおかしいのかな?」
「いや、君はまともだ」とおじさんは言った。「その辺にいる誰よりもまともだ。はっきり言ってそのことに気付かない方がどうかしてるんだ」
「でもみんなは気付かないみたいだ」と僕は言った。
「まあな」と彼は言った。「でもそれはそれで仕方のないことなんだ。そのことに気付いて生きて行く人もいれば、気付かないまま死んでいく人もいる。そういう風になっているんだよ」

 

「じゃあ僕はどうすればいいんだろう」と僕は聞いた。
「今のところはそのことは大事に自分の胸にしまっておくんだな」とおじさんは言った。「それにね」と彼は続けた。「そのことはだね、そのものずばりを口にしてもあまり意味がないんだ。そのことを表すには、そのための特別な表現方法が必要になる」
「特別な表現方法?」と僕は聞いた。「なんか難しそうだね」
「いや、全然難しくない」と彼は言った。「なあ、君はそのことについて気付いた時、とても清々すがすがしい気分になっただろう?」
僕は頷いた。「うん」
「大事なのはその気持ちを伝えることなんだ。理屈じゃなく、その気持ちを伝える表現方法を見つけなくちゃならないんだ」
「それってどんなもの?」
「それは君が自分でみつけるしかない」とおじさんは言った。「もし君がそれを人に伝えたいと思うのなら」
「おじさんはどうなの?」と僕は聞いた。「おじさんはその特別な表現方法を持っているの?」
彼は言った。「いや、俺は持っていない。でも俺はそれでいいんだよ。自分が楽しく生きられればね」

 

それでも僕は釈然としなかった。「みんなどうしてそのことを見ようとしないんだろう。あれじゃあまるで壁を見て生きているみたいじゃないか」
「大抵の人間が壁を見て生きているのさ」とおじさんは笑いながら言った。「まあでも、それもあながち悪いというわけでもないんだろう。中にはおもしろい壁だってあるだろうし」
「僕は嫌だね」と僕は言った。
「それはそうさな」と彼は言った。「君はそういう人間だ。それは顔を見れば分かる。でもね、もうそのことについてあんまり人に理解してもらおうと思わない方がいいぜ。そんなことをしても消耗するだけだからな」
「小説はどうだろう」とその時僕はふと思いついて言った。「それを表現するのに、小説を使うというのは」
「悪くないんじゃないかな」とおじさんは言った。「もっともそれをやるもやらないも、完全に君の自由だが」
「きっとそのうち小説を書くよ」と僕は言った。「そこにおじさんを登場させるかもしれない」
「はっはっ」と言って彼はまた笑った。「それはいいや。そしたら出演料を払ってくれるのかな」
「もしお金になったらね」と僕は言った。

 

そこで僕らは別れた。僕にはサッカーの練習があったし、おじさんは切れた蛍光灯を取り替えなければならなかった。それでも僕の中にあった釈然としない気持ちは、彼と話したことでいくぶん弱まったみたいだった。

 

 

外に出ると、雲の隙間から午後三時半の青空が覗いていた。良く見ると、それはなんだか昨日までの空とは少しだけ違っているような気がした。どのように違っているのか言葉で説明するのは難しいのだが、確かにそれは違っているのだ。僕はその僅かだが、確かに存在する違いを心に通り抜けさせていた。辺りにはすでに夕方の気配が漂い始めていて、校庭からはボール遊びをしている子たちの声が聞こえてきた。僕はそんな風にしてしばらくの間じっと空を見上げていたのだが、そこにふと一陣の風が吹き込んできた。それは透明な風だった。僕はその気持ちの良い風が肌にぶつかるのをじかに感じ、それがどこか遠くに去ってしまう前に素早く息を吸い込んだ。そして、肺に溜まったその空気が血管に乗って全身を巡るのを感じ、今僕は生きているのだ、と思った。

 

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