『午前二時半の独白』

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Virgil Anderson(バージル・アンダーソン)(1890-1938)の詩

“A monologue at 2:30 am”(『午前二時半の独白』)(1921)の翻訳

 

私は毎日死に続けている。

あさ死に、ひる死に、夜に死んだ。

昨日も死んだし、おとといも死んだ。

明日もまた死ぬだろう。

 

いつからこんなことが始まったのか、もはや覚えていない。

あるいは――と時々思う――気付かなかっただけで、私は生まれた瞬間からずっと死に続けてきたのかもしれない。

いずれにせよ、死ぬのは悪くない気分だ。

なぜなら死んだ部分は――きちんと死ねばだが――次の日にはまた新しく生まれ変わるからだ。

 

昨日は右腕が死に、今日は左足が死んだ。明日はどこが死ぬのだろう?

とにかくひとつ確かなのは、私が一週間後には全然違う自分になっているだろう、ということだ。あるいはインド人になっているかもしれないし、中国人になっているかもしれない。

 

 

それはそれとして、私は今この瞬間も死に続けている。

息を吸って、吐いた。

また吸って、吐いた。

空気が新しい分子を届け、やがてそれが私の一部になる。

 

光は重要だ。光がなければ、私は何者にもなれないだろう。

 

 

人々は日々しゃべり、動き回っているが、自分が死んでいることに気付かない。

笑ったり、泣いたり、誰かに不満をこぼしているときにでも、死に続けている。

食べたり、飲んだり、あるいは風呂に入っているときにだって、やはり死に続けている。

でも誰もそのことに気付かないのだ。

しかしよく考えてみて欲しい。死んでいる瞬間にだけ、人は生きることができるのだ。

 

 

私は今ここにいて、死に続けている。ばらばらにほどけ、分子になろうとしている。こまかいちりになって、世界に拡散しようとしている。その結果自分が(そして世界が)どうなってしまうのかは、まだ分からない。

でも今日のところは、ひとまず眠ることにする。何ひとつ考えず、堅く目をつぶることにする。明日になったら、自分がどのように生まれ変わったのか、嫌でも気付くだろう。

 

 

いつまでこんなことが続くのかは分からない。おそらくいつの日か、もうこれ以上生まれ変わることができない、というポイントがやってくるのだろう。そのとき私はばらばらの分子となって、空気中に散って行くだろう。そして透明な風に乗り、パタゴニアかどこかに行って――というのも最近私はそこに興味を持っているからなのだが――巨大なアルゼンチンの雲となり、アンデスに大量の雨を降らせるのだ。

 

あるいは宇宙に行くのもいいかもしれない。太陽の中心に迫り――おそらくそのときにはもう「熱さ」というものを感じないだろうから――その強烈なエネルギーの一部になる。私はそこで太陽に仕える神官となり、全宇宙の進行をつかさどるのだ。

 

 

でもまあ結局のところ、こんなのはすべて罪のない想像に過ぎない。午前二時半に、何もない壁に向かってただ独白をしているに過ぎない(この壁はいつも私の話を辛抱強く聞いてくれる)。だからさっきも言ったように、今日のところはひとまず眠ることにする。輝く星空の下で、安らかにベッドに身を横たえることにする。

 

あなたが今何を考えているのか私には分からないが(当然のことだ)、おそらくその考えは夜のうちに死んでしまうだろう。そして、きっとこのおしゃべりの記憶もまた、明日には冷たくなって死んでいるのだろう。でも新しい太陽が昇りさえすれば、その日光のもとで――もちろんいろんなことが上手くいけば、だが――何か別なものに姿を変えているのかもしれない。

 

 

私はそれを見て何かを思うかもしれない。そこに何か新たな発見があるのかもしれない。人生を根本からくつがえしてしまうような・・・。でもいずれにせよ、今この時点では私には何も分からない。ちょうど明日のことについて、あなたが何も知らない――と私は想像するのだが――のと同じように。

 

 

地球は宇宙に浮かぶ小さな孤島に過ぎないが、それでもその存在の持つ意味ははなはだしい。なぜなら宇宙とは無で、地球とは有だからだ。意識の光が――意識の光だけが――あの深い闇を照らすのだ。

 

 

もっとも、明日あなたは月になっているかもしれない。あの美しく、非情な月に。丸く、おごそかな月に。でも少なくとも私の意見では、月というものは死んでいる。つまりあれは死体なのだ。死んでいるからこそ、あれほど美しく輝けるのだ。

でも今のところ私にはあなたを殺すつもりはない。この文章を読んでいるということは――よほど暇なのだろう、ということは別にして――あなたはまだ生きているのだから。でももしあなたが月になっているとしたら、我々は兄弟になる、ということになる。その頃私はきっと地球になっているだろうから。

 

 

私の空想は留まるところを知らない。このまま行けばやがて銀河の果てまで達してしまいそうだ。私としてはまあそれでも構わないのだが、読者諸賢にとっては退屈なだけだろう。なにしろそこにあるのは果てしない闇と、ゴロゴロ転がる未開の星だけなのだから・・・。

 

 

とにかくいい加減そろそろ眠ることにする。外では盛りのついた猫がニャーニャー鳴いている。動物は私の気持ちをなごませてくれる。「動物は神々の影である」とかつて誰かが言ったが、本当にその通りだと思う。もっとも私はその一文を知っているだけで、彼の真意をきちんと理解しているわけではないのだが。

 

 

いや、申し訳ない。こんどこそ本当に眠ろうと思う。今日は酒を飲まないと決めたから――決心したのは一時間前だ――もう何も飲まない。ビールくらいならいいだろう、とさっき少し思ったが(パタゴニアのあたりだ)やはり飲むのはやめることにしよう。私にだってそれくらいの自制心はあるのだ。もう少しすれば朝がやって来る。そのときのために可能な限りこの肉体と、そして精神をまっさらな状態に保っておきたいのだ。私のこの罪深き精神を・・・。

 

 

おやすみグッドナイト。あなた。宇宙が――あの広い宇宙が――あなたに良い夢を見させてくれますように。

 

 

 

 

2 thoughts on - 『午前二時半の独白』

  • 村山亮様
    初めまして。アマゾンで事故的に村山亮さんの小説に出会ってからファンです。声に出したくなるような文章で、留学先のパリの移民街で日本人の友人と村山亮さんの小説を音読していました。思い出です。
    帰国してから半年、ふと名前を思い出し検索しました。良い時間をありがとうございます。これからも楽しみにしています。

    • yanki-様。
      コメントありがとうございます。パリで読んでくださったというのは、僕にはなんかもう想像もつきません。僕にとってのパリとはバルザックであり、ゴリオ爺さんが娘に金をつぎ込んでどんどん貧しくなっていく街です。あとは・・・、ジャン・バルジャンが改心したのはパリじゃなかったかな・・・。
      とにかく、僕の本を読んでくださったということで、なんだかかたじけないです。「声に出したくなる」と言っていただけると嬉しい限りです。というのもリズムと勢いが――というかそれしか頼るものがないのですが――僕の身上だからです。
      小説を書いて一年ほどですが、そろそろ本気を出さないとまずいぞ、と思い始めているところです。
      それでは。
      これからもがんばります。

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